第378話 第七章「七瀬がカメラを伏せる」後編
『それは死角じゃない。別の監視だ』
「呼ぶかどうかを、利用者が選びます」
『選べない者は』
「案内を置きます」
『案内者が見る』
「見ない当番も置きます」
『言葉遊びだ』
「設計です」
轟が低く言った。
薄墨の顔が、広告板の端で轟へ向く。
『建物は、人を裏切らないと思うか』
「裏切る」
『即答だな』
「作った奴の想定どおり壊れる」
『人も同じだ』
「だから、想定した奴の名を書く」
薄墨は笑った。
録音では平らに聞こえるよう訓練された声。
しかし笑いだけ、少し早い。
『七瀬。おまえの空白は、こちらで補完する』
「補完した人を、記録してください」
『拒否する』
「記録しました」
『撮っていない』
「音声と時刻があります」
『足りない』
「足りないと書きます」
映像が消えた。
広場の広告板は、再び黒い配信画面へ戻った。
今度は字幕が変わっている。
《撮影停止中》
《停止開始 午前十時〇分〇秒》
《停止者 火群七瀬》
《代替記録 音声・固定時計・手書き人数・警備救護記録》
誰が修正したかは、まだ表示されていない。
しかし《信号喪失》ではなくなった。
午前十一時四十七分。
広場の黒い配信画面へ、二人の声が同時に届いた。
一人は、監視を続けてほしい男。
一人は、監視を止めてほしい女。
「先に来たのは私です」
女が言う。
「俺は十時から並んでる」
男。
「受付札を取ったのは私」
「顔を出してない」
「顔で順番を決めるんですか」
「そういう意味じゃ」
七瀬は撮影機を伏せたまま、二人の間へ札箱を置いた。
「声明を記録する方法を選んでください」
札は五つ。
《顔と氏名》
《顔なし・氏名》
《顔なし・呼称》
《音声加工》
《筆記のみ》
「こんなに選んでたら、話す前に日が暮れる」
男。
「日暮れまで選んでも構いません」
「事件は待たない」
「今は事件ではなく、声明です」
男は《顔と氏名》を取った。
女は《筆記のみ》を取った。
「同じ画面に出ない」
男。
「映像は停止中です」
「じゃあ、俺の顔をどう出す」
「別の記録者へ、あなたが個別に依頼できます」
「おまえが撮れ」
「今は撮りません」
「俺は同意してる」
「あなた以外の人が広場へいます」
「俺だけ寄ればいい」
「背後の人、反射、音声、位置情報が入ります」
「面倒だな」
「はい」
「見られたい人も困るのか」
「見られたくない人と同じ場所にいる時は」
男はしばらく黙り、青い監視継続札を胸へ当てた。
「俺の雑貨店は、三回荒らされた。二回目までは犯人が分からなかった。カメラを付けて、三回目で捕まった。少年だった。映像がなければ、近所の外国人労働者を疑ったままだったと思う」
「外国人労働者の方へ、その疑いを伝えましたか」
七瀬。
「謝った」
「映像の公開範囲は」
「警備と店の者」
「少年の顔は」
「出してない」
「誰が決めましたか」
「俺だ」
「その判断を残しましたか」
「残してない」
「今日の声明へ、追加しますか」
男は考えた。
「監視が犯人を見つけた。監視が、疑っていた相手を犯人じゃないと分からせた。少年の顔は出さなかった。それを俺が決めた。全部」
「受領しました」
「顔を出せないのは不満だ」
「それも」
「入れろ」
七瀬は音声記録へ追加する。
次に、女の筆記札。
字は太く、何度も書き直されている。
《夫と別居中。帰路確認の名目で、夫が私の勤務先と宿を検索した。警備へ訴えたが、婚姻中の安否確認として処理された。私は、夫へ見せないでほしい。警備には見てほしい時がある。誰にも見せない、ではない》
男が読み、口をつぐんだ。
「夫の名は」
真琴が訊く。
女は札の裏へ書く。
《非公開。審理担当だけ》
「現在地は」
《非公開》
「勤務先」
《非公開》
「警備が緊急時に照合する鍵は」
《別紙で渡す》
「監視撤去を求めますか」
女は少し迷い、書く。
《夫が使える検索を止めて。夜道のカメラは、私は残したい》
男が言った。
「矛盾してない」
女の鉛筆が止まる。
「私に言ってる?」
「俺も、店は残したい。少年の顔は出したくない」
「同じじゃない」
「同じにしてない」
女は男を見ない。
しかし、筆記札を裏返さなかった。
七瀬は二人の声明を、賛成と反対へ一枚ずつ分けなかった。
《残す範囲》
《止める範囲》
《判断者》
《見直す日》
四欄へ分ける。
「分類すると、両方が同じ票へ入ります」
真琴。
「同じ票ではありません。同じ人です」
「集計が難しくなる」
「人が簡単になりません」
「名言の顔を」
迅が言いかける。
「していません」
「まだ言ってない」
「分かります」
「監視」
「会話です」
午後零時十三分。
黒い画面の視聴数は、三千を越えていた。
七瀬は、映っていない人々の声を全部は流さない。
女の筆記声明は、本人が選んだ三行だけ。
男の顔は、別の記録者が本人だけを壁前で撮影し、背景と位置を切った。
切ることを隠さない。
《背景を除外》
《理由:他の参加者を映さないため》
《編集者・撮影者・本人確認》
薄墨の放送が、すぐに割り込む。
『切った映像で、無編集を語るか』
七瀬は黒い画面へ答えた。
「《無編集》は使っていません」
『能力の話ではない』
「私もです。編集したなら、どこを誰が何のために切ったか出します」
『全部出せば、切った意味がなくなる』
「内容ではなく、判断を出します」
『判断者が狙われる』
「公開範囲は本人が選びます」
『責任を選べると思うのか』
「選べない責任もあります。だから、押しつけた人を隠しません」
『おまえは今、カメラを伏せた責任を一人で取れる?』
「一人では取れません」
広場が静かになる。
「停止に同意した人、反対した人、代替記録を担った人、警備した人、壊さなかった人。分けて残します。私が開始を選んだ責任は、私の名で残します」
『失敗したら』
「失敗した内容を、成功した理由で消しません」
『便利な台詞だ』
「便利なら、あなたも使ってください。主語付きで」
薄墨は答えなかった。
中央鐘が零時十五分を鳴らす。
七瀬は撮影機の蓋を外さない。
沈黙も、勝利として数えなかった。
午後零時三十六分。
広場の声明は終了した。
撮影機は伏せたまま。
参加者数。
開始時、三百二十六。
最大、五百十一。
終了確認、四百二。
顔は数えない。
出入口ごとの手札を、本人が箱へ入れた数で確認する。
負傷者。
軽い擦過傷、二人。
打撲、一人。
七瀬の左肩痛増悪。
器物損壊。
支柱保守蓋の浅い打痕。
撮影機固定脚の曲がり。
監視線、切断なし。
梓が記録を読み上げる。
「追加は」
「あります」
七瀬は右手を上げる。
左は膝の上。
「撮影停止中に、身体接触が二件ありました。映像記録はありません。停止判断を支持する人だけでなく、反対する人の異議を同じ欄へ残してください」
「反対者氏名は」
「本人が公開を選んだ場合だけ」
「停止者の氏名は公開済み」
「私が選びました」
「公平じゃないと言われる」
「同じ露出が公平ではありません」
「受領」
梓は左時計へ記録した。
七瀬は撮影機の蓋へ手を置く。
外さない。
再開条件の一つ、本人の個別同意。
広場の全員へ、今から聞くことはできない。
進行中の重大危険は終わった。
公開範囲の再確認は、まだ。
「帰る?」
迅が訊く。
「機材を片づけます」
「肩」
「動かせます」
「長く上げられない」
「はい」
「認めるの、早い」
「昨日からです」
「遅い」
「それは、今日初めてです」
「数えた」
「今のは覚えただけです」
迅は固定台を持ち上げた。
「それは私の機材です」
「肩より軽い」
「比較対象が違います」
「持つ?」
七瀬は手を出さなかった。
「お願いします」
迅が立ち止まる。
「何」
「珍しいって言わないんですか」
「言うと、次、頼まない」
「正解です」
広場を出る。
七瀬の配信画面には、最後まで何も映らない。
ただし、空白ではない。
停止時刻。
理由。
代替した人。
壊れなかった線。
映らなかった異議。
それらが字幕として、黒い画面の下を流れ続けていた。