第379話 第八章「轟とイオの段差」前編
九月二十二日 午前七時十六分
入口は、人を選ぶ。
東部監視実証区の地下保守路は、幅八十六センチ。
入口の階段、十三段。
一段の高さ、二十三センチ。
手すりは右側だけ。
扉の下に、十一センチの防水框。
誓痕者が走り抜けるには、困らない。
伏見轟は、一段目で頭をぶつけた。
「却下」
額を押さえながら言う。
「まだ入ってない」
水科イオが、下から見上げた。
「だから却下」
「あなたは規格外」
「建物が言ったか」
「百九十八センチ、百十二キロ。入口の想定利用者は保守員二名、各七十五キロ、工具二十キロ」
「俺、一・四人」
「体積はもっと」
「人を体積で呼ぶな」
「床荷重で話す人に言われたくない」
イオは左右の違う靴で階段を下りる。
左は白い運動靴。
右は黒い作業靴。
筋量の差を毎日確認するため、あえて揃えない。
右腕の強化を失ってから、階段の下りで身体が右へ寄る。
本人は、寄った角度を数えていた。
「三度」
「何が」
「右へ傾いた」
「手すり、左にも付ける」
「付ければ使えると思う?」
「思わん」
「今、即答が遅かった」
「〇・三秒」
「もっと」
「数えるな」
地下へ降りる。
湿ったコンクリート。
頭上に細い配管。
壁へ監視線と非常線が同じ束で留められている。
保守路は、旧広告塔から共同浴場、診療所、配給倉庫へ続く。
地上のカメラを避けるには便利だった。
便利な道は、使える人を隠す。
階段を下りられる人。
腰を曲げられる人。
暗闇で足元を読める人。
扉の框を越えられる人。
体調が悪くなっても、自分で非常紐へ手を伸ばせる人。
「死角路にする案、誰が出した」
轟。
「あなた」
「忘れた」
「昨日午後三時十二分。図面の右上へ《地下なら見えん》と書いた」
「字、俺じゃない」
「真琴が清書した」
「俺の言葉じゃない」
「《見えない》を《監視節点から観測されない》へ直しただけ」
「それで長くなる」
「法務は距離を増やす」
「配管みたいだな」
「曲げるほど詰まる」
「それ、真琴の前で言え」
「午前八時四十五分に言う」
「予定に入れたのか」
「今」
保守路の奥で、金属音がした。
環玉樹が、鉄箱を横向きにして扉へ通そうとしている。
箱の幅、六十二センチ。
扉は八十六。
通るはずだった。
しかし、肩掛けの金具が壁へ当たる。
タマキは身体だけ先へ入り、箱が框へ引っかかった。
「動けない」
「後ろへ」
轟。
「前に行きたい」
「箱外せ」
「荷物入ってる」
「何」
「非常食、薬、呼出鈴、工具」
「何のため」
「この道を使う人へ」
「本人は通れん」
「本人じゃない、箱」
「同じだ」
「違う」
「届かん荷は、ないのと同じ」
タマキは口を尖らせた。
「箱を薄くする」
「中身減る」
「二つにする」
「持つ人増える」
「床へ小さい車輪」
「段差で止まる」
「段差なくす」
「水、入る」
「防水蓋」
「開ける手、要る」
タマキが黙った。
イオが言う。
「道具を使える身体だけで、道具を考えてる」
轟は框へしゃがんだ。
左膝ではなく、右を床へ付ける。
左肩を扉枠へ当てない。
「おまえも」
「何が」
「能力者の身軽さで、この道選んだ」
イオの顔から、乾いた笑いが消えた。
「元能力者」
「選んだ時は」
「失ってた」
「身体は覚えてる」
イオは左前腕の装具へ触れた。
「あなたも、肩を壊す前の図を引く」
「引く」
「私も、右腕が動いた時の幅を残す」
「なら、二人で間違えた」
「簡単に共同責任へするな」
「俺が先に地下って言った」
「私が採用した」
「タマキが詰まった」
「俺は荷物」
「本人も詰まってる」
タマキは箱を外し、身体だけ抜けた。
「三人で間違えた?」
「おまえは試した」
轟。
「料金は」
「試験費、払う」
「いくら」
「後で」
「決めてから試すべき」
「正しい」
「気持ち悪い。轟がすぐ認めた」
「建物に負けた」
午前八時二分。
地下保守路の試験利用者は、十二人だった。
共同浴場の浅海スエ。
左股関節に古い傷があり、長い階段では一段ごとに右足を揃える。
硝子店の店員、野々村葉。
強盗被害後、背後へ人が立つ狭い道を避ける。
元監視員、坂下ユウ。
画面を伏せた翌日から宿舎審査中。
能力を失った配管工、三人。
片腕の筋量が左右で違う者。
光へ過敏になった者。
発動姿勢の癖で足首が固まった者。
子ども、二人。
荷車利用者、一人。
視覚に障害がある老人、一人。
補助犬、一頭。
轟は入口の上へ、紙を貼った。
《使えるか試す。使えなければ人のせいにしない》
「人のせいにしない、だと、設計者も人です」
真琴が訂正する。
《利用できなかった責任を利用者へ負わせない》
「長い」
轟。
「誤解しにくい」
「入口狭いのに、字が広い」
「物理的な幅と文量を同じ尺度で批判しないでください」
「法文、太る」
「安全率です」
「それ、俺の言葉」
「借りました」
「料金」
「法務助言と相殺します」
「勝手に相殺するな」
スエが杖で床を叩いた。
「始めるよ。喧嘩は外でして。中でやると全員聞くから」
試験開始。
第一の失敗は、一段目だった。
スエは手すりへ右手を置き、左足を下ろす。
高さ二十三センチ。
股関節が止まる。
「これは風呂へ行く階段じゃないね」
「保守用」
轟。
「人が通るんだろ」
「通る」
「なら、人用だ」
スエは下りない。
第二の失敗は、補助犬。
階段下の金属格子を嫌がり、前足を乗せない。
主人が命じても動かない。
「賢い」
タマキ。
「錆びてる」
第三の失敗は、野々村葉。
階段は下りた。
しかし、扉を通った先で、後ろの足音が近づく。
轟が距離を取っている。
それでも、狭い壁が音を増幅する。
葉の呼吸が速くなった。
「止める」
イオが言う。
「まだ歩ける」
葉。
「止めるのは試験」
「私のせい?」
「設計のせい」
「私が怖がるから」
「怖がる人が使う道」
「強盗が来る前は平気だった」
「今、使うのは今のあなた」
イオは秒を数えない。
葉の呼吸へ時刻を付けない。
「戻る、休む、別の出口。どれ」
「外」
「前か後ろ」
「前」
轟が前方の保守扉を開ける。
框十一センチ。
葉の足が止まる。
「足元、見なくていい」
轟は言い、框へ薄い板を渡した。
「俺の声、嫌ならタマキ」
「何で俺」
「小さい」
「声は高い」
「後ろへ響かん」
タマキが葉の前へ出る。
「出口まで、十二歩。俺の歩幅だと十八」
「どっち」
「葉さんの歩幅、知らない」
「測らないの」
「今は、数えられたくない?」
葉は頷く。
「じゃあ、扉まで」
名前のない距離で、外へ出た。
第四の失敗。
荷車の車輪が、扉へ通らない。
第五。
視覚障害の老人が、右側だけの手すりを途中で失う。
第六。
元配管工の光過敏が、出口の白い反射板で起きる。
第七。
ユウが、途中の監視端末へ気づく。
「地下にもある」
天井の隅。
保守員の安全確認用。
「死角じゃない」
「誰が見てる」
イオが端末番号を確認する。
《節点七十六》
「第三閲覧室」
「私の席から見えた?」
「地下は設備優先。常時表示じゃない」
「必要なら見られる」
「誰が必要を決める」
ユウは自分で言って、笑わなかった。
試験は二十七分で中止された。
十二人のうち、全区間を通れた者は三人。
タマキは身体だけなら通れた。
荷物は通らなかった。
轟は入口から先へ入れなかった。
「最下位」
イオ。
「建物より大きかった」
「誇るな」
「誇ってない」
「顔が」
「顔に責任はない」
タマキが首を振る。
「迅の悪い言葉、増えた」
午前九時十一分。
地上案へ切り替える。
東部診療所と共同浴場の間、全長四十六メートル。
現在、三台の監視端末が重なる区間。
道幅は四・二メートル。
片側に商店の裏口。
反対側に、低い花壇。
「完全に囲うと、犯罪者の箱になる」
イオ。
「屋根なし」
轟は白墨で地面へ線を引く。
「高さは」
「視線を切るなら一・八」
「子どもへは壁」
「一・二」
「大人の顔、見える」
「座れば見えん」
「移動中は」
「屏風」
「押したら倒れる」
「底、重くする」
「私が押せない」
「手回し」
「肩を上げる?」
轟は左肩へ目をやった。
「腰の高さ」
「車椅子から回せる?」
「七十センチ」
「子どもは」
「五十五」
「二つ?」
「二つ」
「部品増える」
「壊れる場所が増える」
「悪い?」
「直せる場所も増える」
轟は花壇の縁へ耳を当てた。
コンクリートの返り音。
「ここ、支柱入る」
「花は」
スエが訊く。
「抜かない」
「根、切るだろ」
「避ける」
「誰の花か知ってる?」
「知らん」
「浴場の裏で育ててる。薬湯に使う」
「移す?」
「勝手に?」
轟は白墨を止めた。
「聞く」
「誰へ」
「育ててる人」
「私」
「移していいか」
「嫌だ」
「じゃあ、避ける」
「簡単に言うね」
「難しい?」
「根は見えない」
轟は花壇を見た。
監視も同じだった。
レンズは見える。
線は壁の中。
判断の根は、もっと深い。
「花壇、図に入れる」
「最初から入れな」
「反省」
「早いね」
「建物に二回負けた」
「花は建物じゃない」
「三回」
イオが白墨を取る。
線を引かず、点を置いた。
入口。
中央。
出口。
「短い遮蔽を三つ」
「間、見える」
「見られたくない人は、一つずつ休んで移る。急ぐ人は通り抜ける。外から全部の経路は見えない。でも、中に閉じ込めない」
「隙間から追える」
「追う人がいる前提で、出口を二つ」
「診療所と浴場」
「第三は商店裏」
波佐間啓吾が、店から出てきた。
「勝手に俺の裏口を出口にするな」
「聞くところだった」
轟。
「今、図に書いた」
「案」
「案って書いたか」
「真琴が来たら書く」
「先に書け」
イオが《案》と大きく足した。
「店前のカメラは残せ」
啓吾。
「死角路へ向いてる」
「店員が帰る時に必要だ」
「時間限定」
「閉店前後一時間」
「本人が指定」
「店員は同意してる」
「今月も?」
「毎月聞けって?」
「変えられる日を決める」
「面倒だ」
「本日――」
真琴が遠くから言いかける。
「数えるな!」
啓吾が先に怒鳴った。
「まだ数えていません」
「顔が数えてる」
「顔へ責任を負わせないでください」
迅の悪い言葉は、街へ広がっていた。
午前十時四十六分。
試作の死角路が立ち上がる。
三つの短い遮蔽。
一つ目は、長さ六メートル。高さ一・二メートル。上部に細い光取り。内側に腰高の手回しシャッター。
二つ目は、長さ九メートル。途中に椅子二脚。非常紐は、立位と座位の二高さ。
三つ目は、長さ五メートル。出口二方向。片方は浴場、片方は診療所。
遮蔽材は、旧舞台の幕板、工場の軽量枠、列車の損傷していない内装板。
過去の戦いの記念品ではない。
用途を失った部材。
轟は一枚ずつ、元の所有者と返却条件を書いた。
「全部、字」
タマキ。
「読めない人は」
「色と形」
イオが札を付ける。
丸は入口。
三角は休憩。
四角は非常呼出。
矢印は出口。
「色だけにすると暗所で分からない」
魚住ミヨが、茶店から指摘する。
「形も」
「触って分かる?」
「縁を変える」
轟は札の角を削る。
丸い縁。
尖った縁。
波形。
「削り粉、片づけな」
ミヨ。
「片づける」
「今」
「今」
轟が箒を取る。
イオは手回しシャッターの軸を調整する。
右腕だけでは回しにくい。
左で握り、右は添える。
軸の高さ、七十二センチ。
「重い」
「何キロ」
轟。
「感想」
「直せん」
「直して」
「数値」
イオはばね秤を付ける。
「始動荷重、六・二キロ」
「四へ」
「軽くすると、風で動く」
「留め具」
「解除が増える」
「足踏み」
「膝が固い人は」
「肘」
「肩が上がらない人は」
二人が同時に止まった。
轟は左肩。
イオは右腕。
「横へ押す」
轟が言う。
「体重で?」
「壁へ寄る」
「車椅子」
「車輪で押す板」
「子ども」
「低い板」
「また二つ」
「壊れる場所」
「直せる場所」
今度は、二人とも笑った。
午後零時までに、始動荷重は三・八キロへ下がった。
午後零時七分。
死角路の試験は、昼食を挟まなかった。
挟めなかった、ではない。
スエが「腹が減った人間は安全確認を急ぐ」と言い、路上へ小さな机を出したからだ。
豆粥。
塩漬け菜。
湯。
遮蔽の内側へ食事は持ち込まない。
立ち止まる人と通る人が重なり、出口を塞ぐから。
「食べる場所まで見られる」
野々村葉が言った。
店の強盗被害後、背後へ人が立つ狭い場所を避ける。
机は監視節点二台の画角が交わる場所にある。
「ここ、嫌?」
イオ。
「食べる顔は別にいい」
「別に?」
「見られたくない時もある。今日は、誰がいるか分かった方がいい」
「毎回、訊く?」
「毎回は面倒」
「じゃあ、曜日」
「月曜は嫌」
「どうして」
「日曜の夜、眠れないから」
「理由、聞かない方がよかった?」
「今は言った」
「受領」
葉は粥を一口食べる。
「入口だけ見えるようにできる?」
轟。
「死角路の中は嫌。入口に誰が来るかは、私は知りたい」
「顔?」
「人数と、立ち止まった時間。顔は、非常時だけ」
「非常、誰が決める」
「私」
「葉がいない時」
「店の当番」
「当番が葉と違う判断したら」
「その人の判断」
「店主は」
「波佐間さんは、あとで文句を言う」
「止める?」
「文句と命令は違う」
葉は明確に言った。
轟は入口の圧力板へ、二つ目の切替を加える。
通常。
人数だけ。
本人指定。
非常時に、入口の足元と手だけ。
顔は、別の鍵が必要。
「カメラ残ってる」
タマキ。
「中は見ない」
「死角って名前、嘘?」
「全部見えない場所じゃない」
イオ。
「見せるところを、使う人が決める道」
「長い」
「名前じゃない。説明」
「死角路の方が短い」
「普通語だから、変えていい」
「今日だけ《食べる顔は別にいい道》」
葉が笑う。
「明日、変える」
轟。
「建物の名前、毎日変えるの?」
「用途が変われば」
「住所が困る」
「道に住所いらん」
「配達が困る」
タマキ。
「名前、必要」
「じゃあ、死角路」
「戻った」
名前より先に、使い方が増えていく。
午後零時十九分。
非常紐が一度、短く引かれた。
赤灯。
死角路の二つ目。
「誰」
ユウが入口の人数板を見る。
二人。
理由は表示されない。
「映像、開ける?」
イオ。
入口の葉が首を振った。
「先に声」
遮蔽の外から、低い呼出筒へ話す。
「中の方。必要なものを選べます。救護、警備、案内、待機。返事は声、紐一回、二回、三回でも」
返事がない。
紐が二回。
「警備?」
葉。
決めた合図では、二回は案内だった。
「案内」
タマキ。
「誰が入る」
「私」
「一人?」
「入口へ一人残す」
葉が中へ入る。
監視支持者が声を上げる。
「映せ! 中で何かあったら!」
轟はレンズを動かさない。
人数板。
二人から三人。
三十秒。
赤灯は消えない。
外で待つ時間は、長い。
見えない時間は、実際より長く感じる。
「開ける」
警備員が限定鍵へ手を伸ばす。
イオが止めない。
「条件」
「呼出後、応答不明。案内者が入り三十秒。赤灯継続」
「見る範囲」
「足元、手、出口。顔なし」
「誰が決めた」
「私」
警備員が名を言う。
限定映像が開く。
画面には、床だけ。
倒れた杖。
葉の膝。
老人の靴。
もう一人の利用者の手。
老人は座っている。
怪我ではない。
呼吸が速い。
葉が背中をさすらず、少し離れて座る。
「触っていいか聞いてる」
イオは口の動きを見た。
老人が首を振る。
葉は触らない。
タマキが呼出筒から言う。
「救護、呼ぶ?」
紐一回。
救護。
映像を顔まで上げる必要はない。
救護員が入る。
人数板、四。
老人は薬袋を自分で見せた。
発作時の吸入薬。
五分後、呼吸が戻る。
赤灯が消えた。
限定映像を閉じる。
閲覧時間、四分十七秒。
顔、ゼロ。
声は、本人の公開選択まで保存しない。
老人が出口へ出た。
「見られた?」
イオ。
「靴」
「嫌だった?」
「顔よりまし」
「カメラなしがよかった?」
「倒れたら、少しあってよかった」
「次も同じ?」
「次は、最初から救護員と通る」
老人は自分で変更した。
監視支持者の男が言う。
「結局、カメラが要った」
「四分十七秒」
ユウ。
「常時じゃない」
「遅れて死んだら」
老人が振り返った。
「私を、もう死んだ話にするな」
男は黙った。
「助かったから言える」
「今、生きてるから言ってる」
老人は杖を拾い、診療所へ向かった。
轟は限定鍵の箱へ、新しい欄を足す。
《本人が次回変更した方法》
「設備じゃない」
イオ。
「使い方」
「建物?」
「人」
「言えた」
「本日――」
真琴。
「数えるな」
午後零時二十四分。
青い板を持つ人々が、通りの向こうへ現れた。
最初の妨害者は、青い板を持ってきた。
《死角は犯罪者を守る》
四十人ほど。
先頭に、監視同意票の推進役だった商店組合員。
その後ろに、実際に盗難や暴力の被害を受けた住民がいる。
顔を隠していない。
見られることを、自分の安全の一部として選んだ人たちだった。
「撤去しろ」
先頭の男が言う。
「試験中」
轟。
「試験の間に、襲われたら」
「非常紐」
「見えなきゃ遅い」
「見えてても遅い時ある」
「だから増やすんだ!」
「増やして、見落とした」
「見落とす人を替えろ!」
ユウが遮蔽の入口に立った。
「百九十二画面、十二時間見てから言って」
「仕事だろ」
「そう。だから、断る範囲も仕事にしたい」
「職務放棄だ」
「夜中、あなたの店の裏で、店員が恋人と別れたのも見る仕事?」
男の顔が変わる。
「見たのか」
「見ないって申請した。却下された」
「誰の店だ」
「今、言ったら、その人が分かる」
「じゃあ、嘘だ」
「そう思っていい。私は、証明のために顔を出さない」
青い板の列が揺れる。
監視に救われた人と、監視で傷ついた人は、別の列ではない。
同じ人の中にもいる。
先頭の男が遮蔽へ手を掛けた。
「動かす」
「所有者の同意なし」
真琴。
「公道だ」
「仮設占用許可、午後四時まで」
「誰が許可した」
「道路管理三名、商店裏口二名、浴場一名、診療所二名。異議申立て窓口はここ」
「おまえらの仲間だろ」
「全員、今日初めて会いました」
「嘘つけ」
「証明のために私生活を出すつもりはありません」
「何でも隠せるな」
「何でも見られるより、少し面倒です」
男は遮蔽を押した。
底の重りが滑る。
試作一号は、想定より軽かった。
「下がれ!」
轟の声。
遮蔽が横へ倒れかける。
内側には、スエと視覚障害の老人がいる。
轟は倒れ込む側へ入った。
左腕を上げない。
右肩と背中を板へ当てる。
足を柱間隔へ開く。
重量は百四十六キロ。
一人で持つ重さではない。
「支柱、三番!」
完全な文で指示する。
「赤い脚を、花壇側の穴へ入れてください。二人で。板へ触る前に返事をしてください」
「持つ!」
イオ。
「持つな。軸を止めろ」
「六秒」
「数えるな」
「肩じゃない。倒れるまで」
イオは手回し軸へ棒を差し込む。
ユウが非常紐を引く。
赤灯。
警報箱。