第380話 第八章「轟とイオの段差」後編

 監視画面は遮蔽の外だけを映す。

 中の老人の顔は見えない。

 しかし、非常紐の番号と、入口の圧力板が二人分を示す。

「中、二人!」

 ユウ。

「出口、浴場側開ける!」

 タマキが低いシャッター板を押す。

 始動荷重三・八キロ。

 彼の体重で動く。

 スエが老人の手を取り、浴場側へ出る。

「走らないよ」

 スエは言う。

「急いで!」

 誰かが叫ぶ。

「急ぐと股関節が抜ける!」

「でも板が!」

「板は轟が持ってる!」

「俺へ任すな!」

 轟が怒鳴る。

「三番支柱、まだか!」

 監視支持者の中から、若い男が走り出た。

「赤い脚ってこれか!」

「そう。名前!」

「今?」

「後で記録する!」

「木庭修!」

「木庭、もう一人呼べ!」

「親父!」

「家族で固めるな! 別の人!」

「何でだ!」

「同じ判断で倒れる!」

 木庭は舌打ちし、隣の女性を呼ぶ。

 二人で支柱を入れる。

 イオが軸を止める。

 遮蔽が戻る。

 轟はすぐに離れない。

「荷重、残ってる」

「何キロ」

 イオ。

「感想」

「今だけ許す」

 二本目の支柱。

 底重りへ輪止め。

 板が自立する。

「離す」

 轟は三秒かけて背を離した。

 左肩に痛みなし。

 右肩へ圧迫痕。

 新しい損傷ではない。

「怪我」

 イオ。

「なし」

「検査」

「後」

「時刻」

「午後一時」

「十二時三十八分」

「二十二分後」

「受領」

 倒しかけた男は、青い板を地面へ置いていた。

「俺のせいか」

「押したのは、あなた」

 梓。

「軽く作ったのは」

「俺」

 轟。

「占用を許可したのは」

「道路管理と利用者」

 真琴。

「止めたのは」

「複数」

 イオ。

「じゃあ、誰の責任だ」

「分ける」

 梓は二つの時計を見る。

「あなたの押した時刻。設計重量。支柱が未固定だった理由。警備線の位置。試験中の表示。全部一つの事故記録へ置く。原因と結果は別欄にする」

「俺を捕まえるのか」

「故意の妨害は審理する。今すぐ拘束する必要はありません。ただし、立ち去るなら連絡方法を」

「名前は」

「先ほど、監視端末が撮っています」

 男がレンズを見上げた。

「便利だな」

「誰に」

 タマキ。

 男は答えなかった。

 午後二時五分。

 試作路は、三時間閉鎖された。

 轟は底重りを増やさない。

「重くしないの」

 ユウ。

「重くすると、動かせん」

「誰が」

「使う人」

「じゃあ、倒れる」

「支柱を先に固定。動かす時は、固定解除を二人で」

「二人いない時」

「動かさない」

「火事」

「非常解除。一本で抜ける」

「悪用」

「抜いた人、札残る」

「見ないで分かる?」

「封印線切れる」

「タマキみたい」

「俺、まだ能力ない」

「知ってる」

 タマキは、封印線を結ぶ。

「これ、能力なくても切れたら分かる」

「それがいい」

 イオ。

「能力ある方がいい?」

「ある日も、ない日も、同じ手順が残る方がいい」

「能力、嫌い?」

「嫌いだった。失うのは怖かった」

「今は」

「両方」

「面倒」

「本日――」

 真琴。

「数えないで」

 イオが先に言った。

 午後三時。

 試作路は再開した。

 利用条件。

 入口で、見られないことを望むか確認する。

 理由は聞かない。

 緊急呼出の方法を選ぶ。

 紐、足板、声、同行案内。

 出口は二つ以上。

 遮蔽の内側へ監視カメラは置かない。

 入口と出口の人数だけ、本人が選んだ記号で確認できる。

 記録を残したくない人は、入口札を持たず通る。その場合、案内者は人数だけを手動で数える。

 完全な無記録ではない。

 完全な監視でもない。

 見られないが、孤立しない。

 最初に通ったのは、浅海スエだった。

「地下よりまし」

「褒めた?」

 轟。

「まだ」

 スエは一つ目の遮蔽へ入る。

 外から頭が見える高さ。

 顔は見えない。

 中央の椅子へ座る。

「座ると、花が見える」

 遮蔽板の下端に、細い隙間がある。

 花壇の根元だけが見える。

「狙った?」

「通風」

「褒めないよ」

「知ってる」

 スエは非常紐へ触れず、立ち上がる。

 出口で、タマキが訊く。

「見られなかった?」

「顔はね」

「怖かった?」

「少し」

「呼ぶ?」

「呼ばない」

「次も使う?」

「風呂上がりに考える」

「今、決めない?」

「年寄りに、先の約束を急がせるな」

「何歳」

「訊くな」

 スエは浴場へ入った。

 入口の監視端末は、彼女の顔を追わない。

 轟は支柱を二回叩く。

 返る音。

 まだ仮設の音。

 持つかどうかは、明日も確かめる。

 イオが装具へ触れた。

「午後三時十二分。最初の利用、一人」

「成功?」

「一回通れた」

「成功じゃない?」

「次も通れるか分からない」

 轟は欠けた前歯へ舌を当てた。

「いい答え」

「恋愛の話なら――」

「時計の話」

「建物の話」

「人の話だ」

 イオは七秒黙った。

「そう」

 死角路の外では、三台のレンズがまだ動いている。

 しかし、どこを見ているか分からないという欠陥は、同じままにはしなかった。

 轟は支柱の根元へ、小さな機械旗を付けた。

 レンズが右へ動けば、旗も右へ。

 下を向けば、旗が倒れる。

 電気は使わない。

 監視室が表示を切っても、外から方向が分かる。

「子どもの風車みたい」

 タマキ。

「風じゃなく、目で動く」

「嫌な風車」

「見える嫌さは、直せる」

 一本目の機械旗が、ゆっくり東へ向いた。

 死角路の入口からは外れた。

 誰が動かしたかは、まだ分からない。

 だから、その時刻と向きだけを、梓が二つの時計へ別々に書いた。