第381話 第九章「見ない当番」前編

九月二十三日 午前六時二十分

 見ないための部屋には、窓が三つあった。

 一つは東向き。

 一つは廊下向き。

 一つは、監視端末へ向いている。

 石英綺理は、三つ目へ布を掛けた。

「全部、隠すの」

 坂下ユウが訊く。

「端末だけ」

「外から見えない」

「中からも見ない」

「見ない当番なのに、隠れてるって言われる」

「言われる」

「困らない?」

「困る」

 綺理は、透明な雨衣の内側から札を三枚出した。

 一枚目。

《内容を見ない》

 二枚目。

《保存状態を見る》

 三枚目。

《誰が見たかを見る》

「見ないのに、見るが二つ」

 ユウ。

「同じじゃない」

「分かりにくい」

「だから、分ける」

 部屋の中央には、監視映像の保管箱が九十六個並ぶ予定だった。

 今は十二個だけ。

 試験対象。

 箱は中身の映像を映さない。

 正面に出るのは、記録開始時刻、保存期限、閲覧目的、開鍵回数、削除予定時刻。

 鍵は三つ。

 閲覧を求めた当事者が持つ鍵。

 監査担当が持つ鍵。

 その目的に必要な専門担当が持つ鍵。

 一つでは開かない。

 二つでも、内容全部は開かない。

 三つ揃っても、申請した時間と範囲だけ。

「鍵、増やすと遅れる」

 ユウ。

「遅れる」

「事件なら」

「例外を作る」

「誰が例外を決める」

「まだ」

「決めてないのに始める?」

「決めた人だけで始めると、その人が持つ」

「今、綺理が箱持ってる」

「そう」

「手放す?」

「手放す」

「いつ」

「午前七時」

「誰へ」

「あなたたち」

 ユウは透明な箱を見る。

「私、映像の仕事、昨日から止めてる」

「保存はできる?」

「中身を見ないで?」

「開いてないことを確認する」

「開けたくなったら」

「記録する」

「我慢できなかったら」

「一人では開かない」

「鍵持ってる人を説得したら」

「説得した記録を残す」

「脅したら」

「警報」

「警報を切ったら」

「封印線」

「切ったら」

「切れた形が残る」

「箱を持って逃げたら」

「重い」

 伏見轟が入口から言った。

 十二個の箱を載せた台車は、百八十キロある。

「重いだけ?」

 ユウ。

「床へ固定。外す工具、二人分。一本は見ない当番。一本は外」

「力のある人なら」

「持てる」

「迅」

「持てん」

「轟」

「俺なら台車ごと動く」

「危ない」

「だから、俺を鍵にしない」

 綺理はガラス棒を一度鳴らす。

「能力も鍵にしない」

「綺理の、使わない?」

 ユウが訊く。

「使わない」

「預かれば、誰も見られない」

「私も見られない。戻せる時間を、私が決める」

「悪い?」

「監視映像は、誰か一人の記憶じゃない。勝手に同じにしない」

「便利なのに」

「便利なものは、誰が不便になるか隠す」

 ユウは青い人差し指の爪を見た。

「ここで働いたら、給料は」

 イオが答える。

「試験期間、監視手当の八割」

「下がる」

「下がる」

「見ない方が安い?」

「今の賃金表では」

「じゃあ、見る人が偉い」

「賃金表はそう言ってる」

「直す?」

「案を出す」

「いつ」

「九月二十五日、午後三時」

「通らなかったら」

「私は明日班の工賃から差額を出さない」

「何で先に言う」

「善意で埋めると、賃金表が残る」

「嫌な人」

「午前六時二十六分。正確」

 綺理が言う。

「正確って、褒めてる?」

「状態」

 イオは少しだけ笑った。

 ユウは笑わなかった。

「八割だと、今月の寝台代が足りない」

 監視員宿舎の寝台は、給料から先に引かれる。

 朝食券も同じだった。監視画面を見ない仕事へ移れば、手当だけでなく夜食券が消える。

「不足はいくら」

 イオが訊く。

「寝台が百十二。朝食が、残り九日で四十五」

「貯金」

「二十八」

「差、百二十九」

「数字にすると、急に部屋から追い出される音がするな」

「元からしてる。聞かないふりをしてただけ」

「差額を出さないって言ったよな」

「私の工賃からは出さない。宿舎費を監視手当へ結びつけた契約を、今日のうちに止める申立てを出す」

「通らなかったら」

「九日分の食事は、共同厨房の有料票をあなた名義で買う。貸付。返済日は、次の賃金表が決まった後」

「善意じゃない?」

「利息なしの貸付。条件を紙にする」

「嫌な人」

「午前六時二十七分。正確」

 ユウは、ようやく笑った。

 監視をやめる権利は、その夜に寝る場所まで失う権利ではない。けれど、その一文だけで寝台代は払えなかった。

 午前七時。

 箱の鍵は、予定どおり分けられた。

 見ない当番。

 坂下ユウ。

 伏木レン。

 夜勤から残った二名。

 外部監査。

 真壁梓。

 朽葉真琴。

 当事者側。

 共同浴場のスエ。

 硝子店の野々村葉。

 顔を出さないため、声だけ参加する二名。

 専門担当。

 救護。

 設備。

 警備。

 一つの箱へ、全員の鍵は必要ない。

 目的ごとに違う三者を組む。

「家族は」

 タマキが訊く。

「本人が選べば、当事者側」

 真琴。

「本人が決められない時」

「事前指定。なければ、利益が衝突しない代理。後から本人が変更」

「家族が怒る」

「怒る権利と、閲覧権は同じではありません」

「本人が死んだら」

 綺理のガラス棒が、鳴らなかった。

「別の手続き」

「今は決めない?」

「今、決めると、死んだ人を急いで使う」

「でも事件は待たない」

「待たない」

「じゃあ」

「決める範囲を、小さくする」

 綺理は試験箱一番を指した。

《共同洗濯場・非常紐作動時》

 閲覧範囲は、作動前三十秒、作動後五分。

 目的は救護と現場安全。

 顔の拡大なし。

 過去履歴への連結なし。

 保存七日。

 当事者が延長を選べる。

「七日で消す?」

「救護記録が別に残る」

「暴力事件だったら」

「当事者が警備申告を選べば、別目的へコピーせず閲覧権を追加」

「コピーしない?」

「同じ箱へ、目的札を増やす」

「目的が増えると、見る人増える」

「だから、見た人も増える」

 綺理は箱の正面へ、空欄を作った。

《閲覧者》

 まだ誰もいない。

 午前八時十四分。

 最初の緊急例外は、子どもだった。

 東部第五学舎から、七歳の女子が一人戻らない。

 母親が見ない当番室へ駆け込んだ。

「昨日から?」

 ユウ。

「今朝。六時半に家を出た。学校にいない」

「名前」

「公開しないで」

「呼称だけ」

「ミナ」

「本名?」

「違う」

「今使っていい?」

「いい」

「服」

「赤い上着。白い靴。髪は二つ」

「行先」

「学校」

「別の行先を言ってた?」

「言わない。最近、何も言わない」

 母親の声が震える。

「監視を拒否したから?」

「何を」

「うち、同意票を出さなかった。あの子の映像、消された?」

「消されてない」

 ユウは即答した。

「見たの?」

「見てない。保存灯が点いてる」

「じゃあ見て!」

 ユウの手が鍵へ動く。

 綺理が止めない。

「範囲」

「家から学校まで」

 ユウ。

「時間」

「六時二十分から八時十四分」

「長い」

「見つけるためだ」

「途中の人も見る」

「子どもが消えてる!」

 母親が叫ぶ。

「早く!」

 綺理は声を上げない。

「帰り道は」

「何?」

「ミナは、学校へ行く道を誰かに決められてる?」

「いつも東橋」

「寄る場所」

「パン屋。犬を見る。赤い郵便箱」

「三つ」

 綺理は地図へ印を置いた。

「全部の道を見ない。三つの場所と、その間の交差点」

「遠回りしたら」

「範囲を増やす」

「最初から全部見た方が早い!」

「早いかもしれない」

「なら!」

「他の子の家、医療所の裏、浴場の入口も全部見る」

「今は、うちの子が」

「だから、先に三つ」

 母親は泣きながら、鍵札へ指を押した。

 当事者側。

 ユウが見ない当番から、一時閲覧者へ役割を変える。

 専門担当は、学校の保護担当。

 監査は梓。

 三鍵。

 箱が開く。

 画面に、六時二十九分。

 赤い上着の子どもが、東橋を渡る。

 顔は拡大しない。

 白い靴。

 髪は二つ。

 六時三十四分。

 パン屋の前。

 立ち止まる。

 画面の端に、犬。

 六時三十七分。

 赤い郵便箱。

 子どもは、学校と反対へ曲がる。

「どこ」

 母親。

「共同墓地方向」

 梓。

「何で」

「映像は理由を言わない」

 七瀬が入口から答える。

 撮影機は持っていない。

「次の節点を」

 ユウ。

「範囲変更」

 綺理。

「そんな時間ない!」

「変更時刻を残すだけ」

「誰が押す」

「母親、学校担当、梓」

 三人が押す。

 共同墓地入口。

 映像には、子どもがいない。

「死角」

「墓地内は私的経路」

 七瀬。

「カメラがない」

 母親の顔が白くなる。

「じゃあ、分からない」

「墓守へ連絡」

 タマキが鉄箱の送話器を鳴らす。

「槻野サエさん。環玉樹。誰から、誰へ、何のため。東部第五学舎のミナという呼称の子。母親が捜索を希望。墓地内の現在確認。顔と本名は外へ出さない」

『こっちにいるよ』

 返事は早かった。

『犬が死んだって、昨日聞いたらしい。墓を探してる。犬の墓はないけどね』

 母親が膝から崩れた。

「無事?」

『転んで膝を擦った。水飲んでる。本人、母親へ今すぐ会うか訊くよ』

「私が行く!」

『本人へ訊く。待ちな』

 母親は泣いた。

 ユウは画面を閉じる。

「見つかった」

「カメラだけじゃない」

 綺理。

「カメラが道を絞った」

「墓守が見つけた」

「両方」

「両方、残す」

「それ、みんな言うようになった」

「便利?」

「面倒」

 ユウは閲覧記録へ、自分の名を書いた。

《坂下ユウ》

《六時二十九分~六時三十七分、三節点》

《目的:現在捜索》

《履歴連結なし》

《発見:墓地内は映像外。墓守の本人確認へ接続》

 母親の名は、非公開欄。

 学校担当は、勤務番号だけ。

 梓は自分の名を公開した。

「全部同じ公開じゃない」

 ユウ。

「同じだと公平?」

 綺理。

「もう、その質問、嫌い」

「答えなくていい」

「でも仕事」

「仕事だから、答えを急がない」

「綺理の仕事、遅い」

「知ってる」

 午前九時二十六分。

 子どもの捜索記録を閉じて十五分後、今度は男が一人、見ない当番室へ来た。

「妻が帰らない」

 年齢は三十前後。

 右手に婚姻登録票の写し。

 左手に、監視同意票。

「呼称」

 ユウ。

「妻だ」

「本人へ使う呼称」

「名前を言わないと探せないだろ」

「公開しない欄で受けます」

 男は名前を書いた。

「いつから」

「昨夜」

「約束した帰宅時刻」

「結婚してる。帰宅は当然だ」

「時刻」

「決めてない」

「連絡は」

「端末を切ってる」

「事故の兆候」

「ない。だから誰かに隠されてる」

「本人が離れる意思を示したことは」

「夫婦喧嘩はある」

《帰らない》《探さないで》と言いましたか」

 男の顎が固くなる。

「一度だけ」

「いつ」

「先週」

「今回の捜索へ同意があるか確認できません」

「事故だったらどうする!」

「生命危険の兆候を確認します。現在位置をあなたへ渡すこととは別です」

「俺は家族だ」

「家族であることと、所在を受け取る権限は同じではありません」

「法律の話をするな」

 真琴が入口で立ち止まった。

「私が話す前に禁止されました」

「黙ってろ」

「受領しません」

 男は監視同意票を机へ叩きつけた。

「妻は監視に同意してる。ここに署名がある」

 綺理が票へ触れず見る。

「配給優遇の同意。家族への現在地共有は別」

「同じ制度だ!」

「だから、分ける」

「今、妻が倒れてても?」

「救護へ、本人の安否だけ確認する依頼を出せます。あなたへ場所は伝えない」

「俺が迎えに行く」

「本人が望めば」

「望まなかったら」

「行かない」

 男は机を蹴ろうとした。

 迅は部屋にいない。

 警備員が一歩出る。

 綺理がガラス棒を机の縁へ置いた。

 男の靴が棒へ触れ、乾いた音がする。

 蹴りは止まった。

「壊すと、話があなたの足になる」

 綺理。

「今は、妻の安否」

「俺を犯人扱いするのか」

「してない」

「疑ってる」

「怖い」

「何が」

「所在を出した後、戻せないこと」

 綺理は、自分の感情を状態として出した。

 男は、その言葉へすぐ返せない。

「じゃあ、安否だけ」

「受領」

 三鍵ではない。

 本人の事前指定が確認できないため、緊急安否照合の一鍵だけを使う。

 対象時間は昨夜十時から今朝九時二十六分。

 対象は、医療施設への搬送、事故通報、本人が登録した安全連絡先への到着だけ。

 街路映像で追跡しない。

「それで分かる?」

「分からないこともある」

「全部見ろ」

「今、選んだ範囲は安否です」

 照合結果。

《救護搬送なし》

《事故通報該当なし》

《安全連絡先一件・本人確認済み》

 場所は表示されない。

「どこだ」

「本人は安全です」