第384話 第十章「監視塔への潜入」後編
「あなたは撮る側」
綺理。
「見られた側でもあります」
「自分の分だけ」
「はい」
「全部は開かない」
「はい」
七瀬が遠隔鍵を押す。
最後の系統が止まった。
最後の系統が止まっても、数字はすぐ一つにならなかった。
中央盤には、四つの残存率が出ている。
映像本体、五十二。
閲覧ログ、六十四。
通報順位、五十五。
従事者名簿、六十一。
「五十八は、何の数字」
タマキ。
「四系統を一件として照合できる単位」
綺理。
「全部揃った記録?」
「全部ではない。誰が見たか、何を見たか、何を優先したかのうち、二つ以上を結べる」
「二つで足りる?」
「足りない」
「じゃあ、残ったって言う?」
「部分残存」
綺理は即答した。
七瀬が遠隔盤の表示を読む。
「消失四十二の中にも、映像だけ消え、閲覧名簿が残ったものがあります。逆に、映像は残り、誰が見たか消えたものも」
「どっちが悪い」
迅。
「比べません」
「映像がなければ、何をしたか分からない」
「閲覧者がなければ、誰が選んだか分かりません」
「両方ないのは」
「七件」
部屋の空気が重くなる。
七件。
数字だけが残り、内容も責任者も結べない。
「事件だった?」
タマキ。
「分かりません」
「事故」
「分かりません」
「じゃあ、何が消えたかも」
「削除範囲と時刻は残っています」
「空っぽの枠」
「はい」
七瀬は、七件を《不存在》と書かない。
《内容・閲覧者とも照合不能》
分からないことを、なかったことへ編集しない。
十二階保全二番の女性が、物理鍵へ手を置いたまま言う。
「私が切るの、二秒遅れました」
「何秒」
梓の通信。
「十一時〇分二秒」
「理由」
「鍵が固かった。手袋を外した」
「判断は」
「能力が切れた時、削除を再開する命令が来ていました。従うか迷った」
「迷いも記録しますか」
七瀬。
「する。名前は今は出さない」
「勤務番号」
「十二階保全二番」
「受領」
四階六番の監視員からも、音声が届く。
『俺は削除を望んだ。自分の名簿が残るのが怖かった。それでも、他人の記録ごと消す鍵を抜いた。英雄扱いするな』
「しません」
イオ。
『怖かったことも出すな』
「公開範囲は、勤務番号と反対記録だけ」
『受領』
八階のユウ。
『転送線を固定したのは四人。私だけじゃない。伏木、二十一番、四十五番。氏名公開は各自確認』
「受領」
残存五十八は、能力の数字ではない。
十一分を作ったイオ。
鍵を切った人。
線を押さえた人。
反対しながら残した人。
自分の分だけ遠隔鍵を押した七瀬。
全員の判断が同じだったわけではない。
「勝った?」
タマキが、誰へともなく訊いた。
「四十二、消えた」
凱。
「五十八、残った」
「両方だ」
「勝ち負け、ない?」
「あるとすれば、あとで誰が数字を一つへ丸めるかだ」
凱は膝を床へ伸ばした。
「今は、丸めない」
中央盤の四つの数字は、別々に表示されたまま残る。
その下へ、照合可能単位五十八。
照合不能四十二。
どちらにも、勝利の色は付けなかった。
削除率、四十二パーセント。
守れた五十八。
消えた四十二。
凱は、勝ったと言わない。
薄墨は床で、左耳を押さえている。
迅が彼の正面へ回り、口を見せる。
「病院」
薄墨は首を振る。
「選べる。ここで応急、搬送、拒否」
タマキが大きく、区切って言う。
「呼称、薄墨。範囲、この事件。受領してる」
薄墨は、タマキの口元を読む。
右耳にも耳鳴り。
左は音がほとんど入らない。
「……ここ」
声の大きさを自分で調整できていない。
「ここで応急?」
タマキ。
頷く。
真琴が救護箱を出す。
「耳へ何も入れません。外側の血だけを押さえます。横向き。飲食なし。意識、吐き気、眩暈を確認」
薄墨は目を閉じる。
「光、下げる」
七瀬。
室内灯を落とす。
光過敏を攻略に使わない。
負傷を罰にしない。
薄墨は、床の振動で人の動きを知ろうとする。
凱は、彼から距離を取って座った。
左膝も、もう立位を続けられない。
「拘束は」
十二階保全二番。
「しない」
凱。
「逃げます」
「可能性はある」
「あなたたち、何をしに来たんです」
「記録を守る」
「本人は」
「治療を選んだ範囲だけ守る」
「甘い」
「そうかもしれない」
「王なら」
「王ではない」
「便利ですね」
「不便だ」
凱は、切られた物理鍵を見る。
「だから、名前が要る」
「私の?」
「公開するかは、あなたが選ぶ。勤務番号は残る」
「十二階保全二番」
「受領した」
「本名は、今は言いません」
「受領した」
薄墨が、目を開ける。
声は聞こえない。
しかし、凱の口の形を見ていた。
彼は煤色の上着から、細い紙を出す。
震える手で書く。
《削除経路 四系統》
《残存 五八》
《消失 四二》
その下。
《俺が開始した》
主語は消していなかった。
七瀬は、その紙を撮らない。
綺理が透明袋へ入れ、薄墨へ見せたまま封をする。
「所有者」
タマキが訊く。
薄墨は自分を指した。
「保管先」
市民記憶庫を指す。
「公開範囲」
薄墨は、監査を指す。
公衆へは、首を振る。
「受領」
十四階の窓から、東部の街が見える。
九十六の節点。
そのうち何台が今、塔を見ているかは分からない。
しかし、塔の中で誰が何を止め、何を消し、何を残したかは、少なくとも一人の声ではなくなった。