第409話 第十一章「浮上」前編

十月二十日 午後三時四十六分

 最後の五人は、同時には出られなかった。

 東医療口は、担架一台。

 西家族口は、自力移動一人。

 中央保留室は、三人。

 三つの入口が開いていても、途中の水路は一部を共有する。

 先に東。

 次に西。

 最後に中央。

 順番は、行先の優劣ではない。

 担架の幅。

 圧力扉の閉鎖時間。

 酸素残量。

 狭い場所で身体を入れ替えられるか。

 その四つで決めた。

 タマキは地上の図板前へ座っていた。

 立つと床が左へ傾く。

 目を閉じると身体が右へ回る。

 だから座る。

 腰へ三本の細い索を結ぶ。

 東、一結び。

 西、二結び。

 中央、輪。

 自分で潜れない代わりに、三口から来る振動を受ける。

 能力は使わない。

 使えないからではない。

 方向感覚を失っている今、到達不能を正しく判断できない。

 知っていながら進めば、条件違反になる。

「東、受入れ」

 凱が読み上げる。

 三回、短い。

「担架準備。高濃度酸素。照会は救命範囲」

 タマキは東索を一度引く。

 受領確認。

 水底側から、迅が一度返す。

 進行。

 意識のない成人が運ばれる。

 本人選択ではない。

 ミソラの医療代行。

 名簿へ、先にその文字が入る。

《東を選択》ではない。

《時雨ミソラが救命目的で東へ代行》

 将来、本人が目を覚ました時、選んだことにされないための文だ。

 東索が震える。

 一回。

 二回。

 担架が狭窄へ入った。

 三回。

 停止。

 タマキは図板の東経路を見る。

 見える地図は、傾いている。

「何」

 凱が訊く。

「東、止まった」

「理由」

「分からない」

「推測」

「しない」

 凱は受け取る。

「東班。理由を返せ」

 水底から、長い振動。

 短い二回。

 轟が表を見る。

「長、短二。幅不足」

「担架角度」

「図面では水平。現物は配管が下がってる」

 七瀬が壊れた撮影機の代わりに、東口の作業員が描いた図を受け取る。

 配管。

 担架。

 人の肩。

「担架を横へ傾けると、呼吸器が壁へ当たります」

 ミソラ。

「呼吸器を外す?」

「だめ」

「配管を上げる」

 轟。

「左肩」

「使わん」

「誰が」

「現地二人。俺は手順」

 轟は低音器へ、三つの振動を送る。

 配管の吊り金具を一つ緩める。

 補助索で上へ三センチ。

 担架は水平のまま。

 現地潜水員が作業する。

 轟は地上から「もっと」と言わない。

 三センチ。

 その数字を超えれば、別の継手へ負荷が出る。

 東索が再び動く。

 タマキの腰へ、細い振動。

 進行。

 六十秒後。

 東医療口から、受領。

 三回、短い。

 凱が名簿へ時刻を入れる。

「東、十七」

 最終数。

 東医療口、十七人。

 呼吸器が外される音は、ここまで届かない。

 代わりに、受領索の結び目が一つ増える。

 東医療口で、十七人目はまだ「到着」しただけだった。

 受領は、門を越えた瞬間ではない。

 担架の車輪を固定する。

 呼吸器を東側の酸素へつなぐ。

 水底側の機器を外す。

 薬剤禁忌を紙へ移す。

 誰がどの欄を見たか記録する。

 その五つが終わって、初めて受入係が受領索を返した。

 意識のない成人の胸には、十字札と、封じられていない円札が別々に残っている。

 東の登録担当が円札を外そうとする。

「治療の邪魔です」

 ミソラの補助医が止める。

「身体から外していい。記録から外さない」

「中央の札です」

「医療代行前に持っていた」

「本人選択か不明」

「不明だから残す」

「東の治療簿へ中央希望が入ると、転送指示になります」

「指示欄へ入れない。保留資料へ」

「端末に保留資料欄がない」

「紙箱を作る」

「紙ばかり増える」

「人間が端末の欄より多い」

 補助医は透明袋を一枚取り出す。

 円札を入れる。

《本人所持》

《意味未確認》

《覚醒後に確認》

 花弁の札も別の袋。

《救命照会に未使用》

《本人へ返却》

 金属番号片は薬剤照会後、見えない封筒へ入れる。

《薬剤禁忌照会に使用》

《氏名・家族・能力履歴は閲覧せず》

「本当に見てない?」

 七瀬が地上回線で訊く。

 薬剤担当は答える。

「画面の右三分の二へ布を掛けました。薬剤欄だけ。閲覧者、私。確認者、看護補助一名」

「映像」

「撮っていません」

「証明」

「二人の署名。端末の閲覧履歴。布の封印番号」

「完全ではない」

「完全だとは言いません」

「受領」

 七瀬はそれだけ言う。

 監視を減らすために、監視の証明を求め続ければ、別の監視が増える。

 最後は、誰が責任を引き受けるかを残すしかない。

 成人の呼吸数が下がる。

 二十八。

 二十四。

 二十一。

 東の医療者が高濃度酸素へ切り替える。

 ペニシリン系を避ける。

 救命処置が始まる。

 本人はまだ、自分が東へいることを知らない。

 目覚めた時に説明する義務は、受領と同時に発生する。

 凱は東の欄へ追記した。

《覚醒後説明責任者――東当直医》

《行先再確認――本人が判断可能になった時》

《円札保管――東保留資料箱》

「人が助かった後の予定まで書くんですか」

 若い職員。

「助かった後へ責任を送るためだ」

「予定が変わったら」

「変更者を書く」

「また紙」

「紙が嫌なら、責任を頭の中で持ち続けろ。眠ったら忘れる」

 凱は自分の左膝へ手を置く。

 立ち続けて、関節が熱い。

 医療連絡の期限付き委任は既に終わっている。

 今の凱は王でも医療責任者でもない。

 地上連絡担当。

 だから東の治療内容を決めない。

 記録欄だけを作る。

 役割が狭いことは、無力ではない。

 狭いから、越えた時に分かる。

 東の担架が共有水路から抜けるまで、西班は動かなかった。

 青年は自力で泳げる。

 待つ必要がないように見える。

 しかし、共有水路で担架とすれ違えば、青年は右肩を壁へ寄せることになる。

 痛めている側。

 西へ急ぐと、東の担架を避けるために負傷側を使う。

「先へ行ける」

 青年は左手で示す。

 迅が首を横へ振る。

「二十八秒待つ」

 青年は眉を寄せる。

「東が先だからじゃない」

 迅は水路の幅を指す。

 担架。

 右肩。

 青年は理解し、二本線の札を胸へ当てる。

 待つ。

 百舌なら、その二十八秒を救命率の損失へ入れる。

 迅は、本人の肩を守る時間へ入れる。

 どちらの数字も同じ二十八秒。

 意味は違う。

 東索が三回震える。

 水路が空く。

 西班、進行。

 西は、青年一人。

 右肩を動かさない。

 自力で泳ぐ。

 家族面会は希望しない。

 共同宿舎で食事と睡眠。

 屋根札には、二本線の呼称。

 タマキは西索を二回引く。

 受取先。

 目的。

 地上の西口から、同じ二回が返る。

 受入れ。

 封緘便は使わない。

 普通の二結びを辿る。

 青年は、自分の右肩へ左手を添える。

 痛みを固定する。

 百舌の施設潜水員が後ろへつく。

 迅は前。

 水没した舞台下を通る。

 幕が水中で広がっている。

 布は人を包む。

 迅が短棒で幕を押さえる。

 切れば早い。

 切った布が水流へ入り、後ろの青年へ絡む。

 だから切らない。

 舞台の床下へ、古い大道具の車輪がある。

 迅は車輪を回す。

 幕を巻き取る。

 施設潜水員も反対側を回す。

 敵味方ではない。

 同じ道具へ別々の手を置く。

 青年は待つ。

 右肩が痛い。

 酸素も減る。

 それでも、東へ行けば早いとは言わない。

 本人が選んだ西の目的は、救命より軽い飾りではない。

 食べて、眠り、家族ではない人の近くへ行く。

 生きた後の目的だ。

 幕が上がる。

 青年が進む。

 西口の巻上げ筒。

 屋根札を、自分の左手で持つ。

 水面へ出る。

 受入係が、まず札を見る。

 次に肩。

「家族面会」

 青年は首を横へ振る。

「共同宿舎」

 頷く。

「医療」

 右肩を指す。

 受入係が整復担当を呼ぶ。

 西索が二回震える。

 タマキの腰へ届く。

「西、十四」

 凱。

 西家族口、十四人。

 家族口という名前でも、家族に会わない人が一人いる。

 その一人を数から消さない。

 西の受領を確認した後、共有水路の圧力を戻す必要があった。

 中央の三人をすぐ入れれば、四十秒短い。

 戻さず進めば、水路の片側へ流れが偏る。

 担架のない年少者は通れる。

 百舌も通れる。

 意識が戻った成人の足は、まだ力が弱い。

 誰か一人なら、問題は少ない。

 三人だから、最後の一人へ流れが残る。

「四十秒待機」

 轟。

 年少者が円札を叩く。

 早く。

 百舌も水位計を見る。

 中央圧力筒の受入れ有効時間まで、二分十七秒。

 四十秒はある。

 事故がなければ。

 事故がなければという言葉は、今日何度も使われた。

 事故は、計画の外から来るだけではない。

 急いだ人間が作ることもある。

 迅は年少者へ四本指。

 次に、十。

 四十秒。

 年少者は首を横へ振る。

 百舌を指す。

 右手。

 痺れ。

 待つほど悪化する。

 年少者の急ぎには、理由がある。

 ミソラが百舌の呼吸器残圧と神経症状を見る。

「四十秒で、右手の障害が決定的に増える可能性は低い。水路の偏流で転倒する方が、減圧症状を悪化させる」

 年少者はミソラを見る。

「待つ理由、百舌のためでもある」

 頷かない。

「納得しなくていい。待機は私の医療判断。責任、私」

 年少者は円札を一度、床へ当てる。

 怒り。

 それでも待つ。

 四十秒。

 地上側で水門係が小弁を開く。

 水路の左右へ圧力が戻る。

 十秒。

 タマキは三本の索を腰で受ける。

 方向は分からない。

 振動の強さは分かる。

 東は静か。

 西も静か。

 中央だけ、細かく震える。

 年少者が札を叩く音かもしれない。

 水流かもしれない。

「中央、振動」

 凱。

「意味不明」

「復唱を求める」

 タマキは輪索を一回長く引く。

 返答。

 短い四回。

 待機時間。

「四十秒の確認」

 凱。

 タマキは一回返す。

 受領。

 二十秒。

 イオは床へ座ったまま、真鍮装具の振動を数える。

「左右差、あと〇・一」

「単位」

 タマキ。

「圧力」

「分からない」

「分からなくていい。あと十七秒」

「数字を教えるなら、分かる単位にして」

「あと、塩パンを三口噛む時間」

「一口が長い」

「あなたは長い」

 十二秒。

 百舌が左手で年少者の円札を指す。

 年少者は、自分で持ち直す。

 百舌は世話を焼かない。

 監督する癖が出た手を、途中で戻した。

 七秒。

 意識が戻った成人が、円札を落とす。

 百舌は拾わない。

 成人が自分で手を伸ばす。

 流れが弱くなっている。

 届く。

 拾う。

 零。

 水路の圧力差が許容内へ戻る。

「中央、進行」

 凱。

 タマキが輪索を一回引く。

 水底から一回。

 三人が動く。

 四十秒待ったことで、受入有効時間は一分三十七秒。

 短い。

 けれど、三人の札はまだ本人の手にある。

 中央保留室の受領係は、三人分の寝台を並べなかった。

 一床目。

 年少者。

 二床目。

 百舌。

 三床目。

 呼称未定の成人。

 同じ向きへ並べれば、作業はしやすい。

 年少者の札には、百舌と同じ施設、別室、今は面会しないとある。

 受領係は、二床の間へ折り畳み壁を立てる。

 百舌から年少者の顔は見えない。

 声もほとんど届かない。

 同じ場所。

 別室。

 年少者が選んだ条件を、到着後の都合で消さない。

 百舌の寝台には高濃度酸素。

 右手の神経診察。

 再圧評価。

 報告用の机は、寝台の横へ置かない。

 治療と報告を分けるため、廊下の向こう。

「報告は今」

 百舌が左手で打つ。

 受領係が返す。

《治療開始後、本人が続行を選べる時》

《報告を断っても治療継続》

 百舌は眉を寄せる。

《逃げる可能性》

《ある》

《監視》

《本人が選んだ範囲》

《加害責任》

《別記》

 百舌は打鍵器を握る左手へ力を入れる。

 自分へ厳しい手順を望むことが、被害を受けた人のためになるとは限らない。

 自己処罰も、本人一人で決める制度になり得る。

 受領係は、報告の紙を封筒へ入れた。

《治療後に開封》

 百舌は封を切らない。

 治療を先に受ける。

 その選択も、報告から逃げたことにはしない。

 中央は三人。

 年少者。

 百舌。

 意識が曖昧だった成人。

 成人は、担架へ固定された後で目を開けた。

 東への医療代行札が胸にある。

 円札を見つける。

 右手を上げる。

 東札。

 円札。

 今度は全部へ頷かない。

 円だけを指す。

 ミソラが確認する。

「中央?」

 頷く。

「今は呼吸が安定。中央でも監視できる。悪化時、東への移動を相談する」

 頷く。

「呼称」

 成人は自分の胸へ指を当てる。

 言葉は出ない。

 空欄を指す。

「今は決めない?」

 頷く。

 医療代行の東札は、履歴として残す。

 その上から中央札を貼らない。

 隣へ並べる。

《代行案》

《本人変更》

 選び直した事実は、最初から選べた人より下に置かれない。

 これで中央は三人。

 最終配分に届く。

 けれど、まだ水上へ出ていない。

 中央へ向かう三人は、列を決めなかった。

 施設手順では、監督生が先。

 次に年少者。

 最後に、判断の遅い者。

 百舌は先頭へ出ようとする。

 年少者が円札で百舌の胸を止めた。

 次に、自分を指す。

 先に行く。

 百舌は首を横へ振る。

 年少者は、壁の輪索を指す。

 中央経路を知っている。

 施設で何度も通った。

 百舌は監督した。

 年少者は歩かされた。

 知っている道の所有者は、監督した側だけではない。

 ミソラが三人へ訊く。

「先頭、本人?」

 年少者、頷く。

「百舌、異議」

 百舌、頷く。

「理由」

 左手で打つ。

《危険》

「具体的に」

《逆流》

《輪索欠落》

《門》

「年少者へ説明」

 百舌は表示板を年少者へ向ける。

 年少者は読む。

 次に、自分の腰索を指す。

 百舌の腰索。

 最後の成人の担架。

 順番。

 自分が先。

 百舌が中間。

 成人が最後。

 百舌が危険を確認し、後ろの担架へ伝える位置。

 百舌は考える。

 先頭ではない。

 監督権を失うように感じる。

 実際には、中間の方が前後を見られる。

 百舌は左手を上へ向ける。

 待機か。

 渡すか。

 不満か。

 年少者は意味を決めない。

 首を傾ける。

 百舌は打つ。

《受領》

 列は、年少者、百舌、成人になった。

 中央経路の壁には、輪が十二個並んでいた。

 一つ目。

 入口。

 二つ目。

 左へ曲がる。

 三つ目。

 床が下がる。

 四つ目。

 水流が強い。

 五つ目。

 輪がない。

 金具だけ。

 年少者の手が空を掴む。

 身体が一度流される。

 百舌が腰索を引く。

 肩には触れない。

 年少者が選んだ位置ではないからではない。

 今は水中で確認する時間がない。

 だから、既に同意された腰索だけを使う。

 年少者は壁へ戻る。

 金具だけの五つ目を見る。

 輪は救助中に外れたのか。

 以前からなかったのか。

 百舌が先へ出ようとする。

 年少者が止める。

 壁の下。

 小さな傷。

 三本。

 五つ目の輪がない時は、床の溝を右足で辿る。

 施設で暮らした人だけが知る補助印。

 年少者が右足を溝へ入れる。

 前へ。

 百舌は後ろから見る。

 監督記録にはなかった知識。

 年少者たちは、命令された道の中に、自分たちの道を作っていた。

 百舌は打鍵器へ何か書こうとし、やめる。

 今記録すれば、補助印が施設側の正式手順になる。

 本人へ公開範囲を訊くのは、水上へ出てから。

 今は覚えるだけ。

 六つ目。

 床が下がる。

 成人の担架が前へ傾く。

 百舌が左手で担架索を引く。

 右手は胸へ固定。

 指の痺れが、肘まで広がるような感覚。

 実際に広がったのか。

 恐怖か。

 百舌は自分で判断しない。

 低音器を一回長く。

 症状報告。

 地上から返る。

《右手を使わない》

《呼吸正常なら継続可》

《増悪時停止》

 百舌は左手だけで受領。

 年少者が振り返る。

 右手を指す。

 百舌は左手で、遅いと示す。

 年少者は、百舌の前へ戻らない。

 速度を少し落とす。

 助けるために先頭を譲るのではない。

 自分が先頭のまま、後ろがついてこられる速度へ変える。

 七つ目。

 水流が左から。

 年少者の身体が壁へ押される。

 百舌は腰索を短く持つ。

 成人の担架は施設潜水員が守る。

 三人が別々の姿勢。

 同じ動作をする必要はない。

 百舌の誓痕はもう使わない。

 八つ目。

 古い鏡。

 水中で三人の姿が歪む。

 年少者は鏡へ手を触れない。

 百舌は、自分の喉帯が大きく見えるのを一瞬見る。

 成人は目を閉じている。

 鏡の向こうに道はない。

 九つ目。

 音の出ない鈴が、床へ落ちている。

 先ほど百舌の腰から外れ、年少者が預かった物とは別。

 同じ形。

 年少者が拾おうとする。

 百舌が止める。

 自分の鈴か。

 誰か別の監督生の鈴か。

 被験者が外した物か。

 今は分からない。

 年少者は鈴を床へ残す。

 位置だけ、壁の泥へ印を付ける。

 水上へ出た後、所有と意味を確認する。

 拾わないことも、返却手順の始まりになる。

 十個目。

 中央受入れから、輪索へ振動。

 三回。

 間。

 一回長く。

 受入れ継続。

 年少者が円札を胸へ押す。

 百舌も円札を持つ。

 成人は担架の上で、指を円へ置く。

 同じ動作に見える。

 意味は別。

 年少者。

 同じ施設、別室、話は後。

 百舌。

 治療と報告を分ける。

 成人。

 呼称をまだ決めない。

 十一個目。

 輪が二つ絡んでいる。

 年少者が一つを選ぶ。

 百舌は別の一つをほどく。

 成人の担架が通る幅を作る。

 十二個目。

 逆流防止門。

 輪索の終点。

 三人は、そこまで自分たちの手順で来た。

 最後の門だけが、人間の選択を知らない。

 鉄と水圧で閉じている。

 中央経路の最後に、問題があった。

 逆流防止門。

 幅一・一メートル。

 高さ一・八メートル。

 上部の対向錘が、沈下で斜めに噛んでいる。

 門を開くには、錘を二十センチ上げる必要がある。

 轟の手動修理班が、地上側から索を引く。

 水底側では迅が門の枠へ立つ。

 水流が、左右からぶつかる。

 門の向こうは中央圧力筒。

 あと四メートル。

 迅は床へ足を置く。

 一歩。

 水流が右から押す。

 二歩。

 門の枠へ左手。

 三歩。

 対向錘の鎖を右手で取る。

 環指と小指が痺れる。

 四歩。

 背中を水流へ向ける。

 五歩。

 百舌の担架を守る。

 六歩。

 年少者の中央札が、腰帯へ当たる。

 七歩目の場所がない。

 床が動く。

 水流の源も動く。

 右から来た水が、門の隙間で左へ巻く。

 暴力の源。

 対向錘か。

 沈下した地盤か。

 閉じた門か。

 押し返す自分か。

 定まらない。

 迅は七歩目を踏まない。

 鎖を殴らない。

 代わりに、六歩分の位置を保つ。

 自分の背中を、流れを分ける板にする。

「轟」

 水中では声にならない。

 低音器を一回長く。

 準備。

 地上の轟が返す。

 一回長く。

 迅は対向錘の鎖へ、赤い紐を結ぶ。

 七つの結び目。

 能力ではない。

 索の滑り止め。

 地上班が引く。

 轟。

 水門係。

 施設整備員二人。

 凱は左膝を曲げず、巻上げ機の停止合図を担当する。

 四人で引く。

 対向錘が三センチ上がる。

 門は動かない。

 迅の肩へ水が当たる。

 水が耳へ入る。

 一秒。

 十二歳。

 閉まる水門。

 兄の背中。

 自分だけが遅い。

 呼吸が止まる。

 迅は、恐怖を殴らない。

 面体の中で言う。

「怖い」

 誰にも聞こえない。

 自分には聞こえる。

 息を吐く。

 泡が上がる。

 上の方向を、泡に訊く。

 タマキのように、誰かに訊く。

 地上班がもう一度引く。

 六センチ。

 門の下へ、轟が用意した楔が入る。

 住民の古い机の脚。

 十三番目の避難口で使い、元の生活設備へ返したものとは別だ。

 この居住区で使われていた机。

 人が暮らした物が、また人を通す。

 九センチ。

 鎖が軋む。

 迅の右手が滑る。

 赤い紐が受ける。

 十二センチ。

 百舌が担架から左手を伸ばす。

 鎖を持とうとする。

 ミソラが首を横へ振る。

 潜水中止。

 百舌は手を戻す。

 助けられる側へ置かれる。

 それは罰ではない。

 責任を奪うことでもない。

 今の身体が担う仕事を変えるだけだ。

 十五センチ。

 門の上部が動く。

 十七。

 楔をもう一本。

 二十。

 開く。

 迅は鎖を離す。

 対向錘を完全には上げない。

 人が通れる二十センチ分だけ。

 年少者が先。

 円札を胸へ。

 中央圧力筒へ入る。

 次に百舌。

 左手で円札。

 右手は胸へ固定。

 最後に、呼称未定の成人。

 この人が、最後だった。

 担架から上体を起こす。

 救助員が止める。

 本人は首を横へ振る。

 円札を自分で持つ。

 指で、中央を示す。

 誰かに持たされた旗ではない。

 自分の行先札。

 水面が近い。

 圧力筒の水位が下がる。

 胸。

 腹。

 膝。

 最後に顔が水面へ出る。

 本人は咳き込みながら、円札を離さない。

 地上の受入係が最初に見るのは、救助班の印ではない。

 濡れた円。

 中央。

 タマキの腰へ、輪の索が三回、間、一回長く震えた。

 受領。

 凱が名簿を読む。

「東、十七」

「西、十四」

「中央、十二」

「現在所在、全員」

 ミソラが訂正する。

「生存四十三。医療代行一件。代行後の本人変更一件。行先変更二件。拒否継続三件。保留十二」

「行方不明」

 凱。

「ゼロ」

「新規死亡」

「ゼロ」

 誰も「全員無事」とは言わない。

 耳を傷めたタマキ。

 右手の感覚を失いかけた百舌。

 膝が固まったイオ。

 肩を守りながら作業した轟。

 水を怖いまま潜った迅。

 生きて出たことと、無傷であることは違う。