第422話 第五章「カナタの失敗稽古」後編

「書く。講習修了。重傷判断はしない」

「それでいい?」

「よくない時、医療者へ渡す」

「私は避難者役でした」

「歩ける?」

「はい」

「荷物」

「十キロくらい」

「測ってないなら八」

「減らすんですか」

「増やすより安全」

 白いカードへ書く。

《歩行可》

《八キロまで》

《応急手当講習》

《重傷判断しない》

《声が届く》

 役ではない。

 技能と限界。

 カナタは、そのカードを見た。

「これを、全員に」

「カード足りない」

 タマキ。

「役札の裏」

「役名が透ける」

「黒墨」

「濡れる」

「油筆」

「本数」

「十二」

「六十四人」

「回す」

「書いてる間、仕事止まる」

「口で言う。後で書く」

 問題が増える。

 解決のたび、別の仕事が生まれる。

 英雄物語は、最後の一撃で終わる。

 現場は、最後の一撃の後から忙しい。

 午後二時二十八分。

 最初の区域が動き始めた。

 凱は声量を申告した。

 大声、三十メートル。

 復唱担当がいれば六十。

 担架は短距離。

 左膝のため階段往復不可。

 地図は苦手。

「地図は苦手って、英雄役が書くの?」

 訓練生が訊いた。

「英雄役を外した」

「元英雄役」

「それも外す」

「じゃあ何ですか」

「声が大きく、担架を持てて、地図が苦手な獅堂凱だ」

 訓練生は笑った。

「長い」

「短くする」

 カードへ書く。

《声》

《担架一回》

《地図は他者へ》

《左膝、階段反復不可》

 迅は書かない。

「書け」

 タマキ。

「何を」

「できること」

「歩く」

「速さ」

「人に合わせる」

「怪我」

「右手」

「何が」

「環指、小指。寒いと痺れる。握力、左より弱い」

「水」

 タマキが言う。

 迅の目が一瞬止まる。

「ここ、水ない」

「放水設備ある」

「書く必要」

「ある?」

 迅は自分で考える。

 やがて書く。

《歩行・狭所》

《組技》

《右環指・小指、寒冷時痺れ》

《深い水で呼吸が止まることがある》

《七歩を期待しない》

「最後、技能?」

 タマキ。

「注意」

「誰へ」

「俺」

「他の人も見る」

「見ればいい」

 カードを裏返さない。

 カナタは自分のカードを持つ。

 何ができる。

 演出。

 声。

 殺陣。

 舞台進行。

 観客の視線。

 台詞を増やす。

 何ができない。

 設備安全の単独判断。

 右足首での長距離走。

 失敗した直後に黙る。

 書く。

《演出・放送》

《殺陣の受身》

《右足首、走行制限》

《設備判断は技術者へ》

《説明が長い。止めてよい》

 迅が読む。

「最後、便利」

「後片づけします」

「誰が止める」

「近くの人」

「全員、仕事増えた」

「謝罪します」

「長い?」

「一文」

「何」

「ごめんなさい」

「受領」

 午後三時四十六分。

 六十四人全員が、停止区画の外へ出た。

 最後に出たのは、救助者ではない。

 最後の救助者を、外で椅子へ座らせた犬飼豪だった。

「息」

 豪。

「吸える」

「指」

「動く」

「足」

「動く」

「次の人」

「もういません」

「お前がいる」

「自分?」

「助けた奴も人数」

 最後の救助者は、紙へ自分の名を書いた。

 六十四人。

 外へ出た人数、六十四。

 六十四人を外へ出した後、もう一度人数を数えた。

 六十四。

 役札は六十四枚あった。

 本人も六十四人いた。

 数字は合う。

「だから終わり?」

 タマキが訊いた。

「誰に」

 カナタ。

「全員」

「終わっていない」

「何が」

「出た場所。怪我。帰れるか。明日の本番へ参加するか。役札を返すか。撮影を使ってよいか」

「多い」

「増やしたの、君たちでしょう」

「人が増えたわけじゃない」

「質問が増えた」

「見えるようになった」

 タマキは、入口へ六本の紐を張った。

《医療》

《休憩》

《帰宅》

《宿泊》

《説明を聞く》

《まだ決めない》

「一人一つ?」

 受付係。

「複数」

「列が交差します」

「札を持って、座る場所は一つ」

「誰が管理」

「受付二人。人数は七瀬と照合」

 七瀬は左肩を冷やしながら、固定台から入口を撮る。

 顔は写さない。

 紐と札。

 選択が変わった時刻。

「帰宅を選んで、説明も聞く人は」

「説明資料を持ち帰る」

「宿泊して、まだ決めない」

「空欄の札」

「空欄は不備です」

 受付係。

「回答」

 タマキ。

「何も書いていません」

「まだ決めないって書いてある」

 一人目が来る。

 右手を擦った英雄役の青年。

「医療。帰宅。本番は参加」

 カナタが顔を上げる。

「本番は中止します」

「運営は続けると」

「私の演目は中止」

「認証が必要なんです」

「失効による損害を申告してください」

「補償される保証は」

「ない」

「なら、出ます」

「止めない」

「あなたが中止を言ったのに」

「あなたの仕事まで、私が決めない」

「事故があっても?」

「事故があったから、条件を全部言う。参加すれば安全とは言わない。参加しなければ正しいとも言わない」

 青年は《本番参加》へ札を置く。

 その下へ、自分で書いた。

《安全条件を再確認後》

「条件が満たされなければ」

「出ない」

「受領」

 二人目。

 避難者役の女性。

「帰宅。映像使用拒否。役札は持ち帰る」

「貸与品です」

 運営係。

「私の名前が裏にある」

「回収義務が」

「写しを作る。原札は封印保管。本人の写しへ役名を残すか本人が選ぶ」

 七瀬が提案する。

「消したい」

「受領。消去前後を公衆へ出さない」

 三人目。

 喘息を起こした田部。

「医療。宿泊。説明を聞く。明日は決めない」

「吸入器」

「届いた」

「誰が持って来た」

「名前、聞いてない」

「確認する?」

「礼を言いたい。でも、映像は嫌」

「限定照合」

 七瀬が別札を作る。

 人数が合っても、選択は合わない。

 午後四時を過ぎ、豪が出口の脇へ椅子を増やした。

「帰れねえ奴が多い」

「怪我?」

 カナタ。

「疲れた。怒ってる。怖い。家へ事故の説明をしたくねえ。理由は身体だけじゃねえ」

「私は、説明を」

「長い」

「一文で」

「今は座れ」

「それ、説明じゃない」

「指示」

「受領」

 カナタは座る。

 自分が中止を言えば、全員が帰れると思った。

 演目を止めれば、役から自由になると思った。

 止めた後にも、認証が必要な人がいる。

 賃金を失う人がいる。

 役札を消したい人と、持ち帰りたい人がいる。

 失敗を公開してほしい人と、撮られたくない人がいる。

 中止は、結末ではない。

 幕を下ろした後、客席には財布と薬と迎えの時間が残る。

 豪は救助者の交代訓練へ戻る。

 カナタは、六本の紐の前で一人ずつ話を聞く。

 台詞を短くする。

 答えをまとめない。

 同じ質問へ違う答えが来ても、矛盾と呼ばない。

 六十四人目は、《まだ決めない》だけを選んだ。

「明日、また訊きますか」

 本人。

「いつなら」

「分からない」

「では、こちらから期限を決めない。連絡を望むかだけ」

「紙で、一回」

「受領」

 カナタは、空欄の札へ連絡方法だけを書いた。

 物語は、答えを欲しがる。

 生活は、答えない権利へ住所を付ける。

 負傷。

 右足首捻挫一。

 喘息発作一。

 肩打撲疑い一、検査で構造損傷なし。

 疲労、複数。

 死亡、ゼロ。

 だから成功。

 そう書けば、会議は楽になる。

 カナタは成功欄へ線を引かなかった。

《全演目中止》

《役割札回収》

《技能申告へ移行》

《安全装置の独立性、未確認》

《事故認知の外部放送、未実施》

《演出責任者の確認不足》

 レムがその紙を見る。

「中止は、暫定です」

「私の演目は中止」

「運営は、本番を別進行で実施できます」

「私の名前を外して?」

「必要なら」

「脚本と殺陣も外して」

「公認教材は運営資産です」

「私の修正前の原案も?」

「契約上、共有です」

 カナタは契約書を覚えていた。

 正確には、読んだつもりだった。

 著作。

 安全。

 中止。

 代替担当。

 公的教育資産。

 言葉は、扉になる。

 開ける時より、閉まった後に形が分かる。

「本番をやるなら」

 カナタは言った。

「私は公開で反対します」

「混乱を招きます」

「中止だけでは救えないことも、今日知った」

「なら、継続に協力してください」

「協力と賛成は別」

「役割を外した結果、混乱が増えた」

「だから技能札へ替えた」

「それは新しい役です」

「違う」

「何が」

「役は、人を物語へ合わせる。技能札は、物語を人へ合わせる」

「言い換えです」

「言い換えで人が休めるなら、仕事です」

 レムは返事をしなかった。

 回収箱の中に、役札が重なっている。

 岳。

 王。

 母。

 子。

 犠牲者。

 英雄。

 どれも、人を分かりやすくする。

 箱の横には、白い技能札が散らばっている。

《地図は苦手》

《触られる前に声》

《八キロまで》

《休憩が必要》

《分からない》

《説明が長い。止めてよい》

 人は分かりにくい。

 だから、助ける時に時間がかかる。

 カナタは、役札の箱へ蓋をしなかった。

 誰が閉じるか、まだ決めていないからだ。

 回収後、犬飼豪は六十四人を八人ずつに分けた。

 英雄役も避難者役も混ぜる。

 体格も混ぜる。

 怪我も混ぜる。

「倒れた奴を一人で起こすな」

 豪は言った。

「起こせるなら?」

 訓練生。

「起こせることと、起こしていいことは別だ」

「意識があれば」

「本人へ訊け」

「急ぐ時は」

「急ぐ理由を言え」

「返事がなければ」

「呼吸。出血。首。周囲。次の奴を呼べ」

「英雄なら」

「膝を悪くする」

 豪は自分の装具を叩いた。

 笑いは起きなかった。

「俺は強かった。だから持った。持てたから、次も俺へ来た。交代を教えなかった。強い奴が潰れると、周りは強くならない。困るだけだ」

 八人の一組が、転倒者役を囲む。

「誰が指揮」

「決めてください」

「俺が決めたら、俺がいない時に困る」

「じゃあ」

「仕事を言え」

 一人。

「呼吸確認」

 一人。

「周囲を空ける」

 一人。

「医療を呼ぶ」

 一人。

「本人へ触れてよいか聞く」

 一人。

「時間」

 一人。

「荷物を守る」

 一人。

「交代」

 最後の一人が残る。

「何も」

「倒れた人の顔を見る」

「それ、仕事?」

「名前を呼べる」

 豪が頷く。

「仕事だ」

 倒れる。

 受身。

 息。

 床。

 八人が動く。

 英雄の一人が、無意識に全部へ手を出す。

「止まれ」

 豪。

「救助中です」

「おまえ、何担当」

「全体を」

「そんな札ない」

「見れば分かります」

「見た奴が全員同じならな」

 英雄役は手を引く。

「では、名前」

 倒れた人へ近づく。

「呼んでいい名は」

「ミカ」

「ミカ。聞こえるか」

「聞こえる」

「触れてよいか」

「肩だけ」

 それだけをする。

 救助は小さくなる。

 小さくなった仕事は、他人へ渡せる。

 カナタは、全組を見ていた。

「犬飼さん」

「何」

「私は、役を大きくしすぎました」

「役者は大きく見せる」

「演出家は」

「見えない奴を見えるようにしろ」

「名言?」

「犬舎の掃除当番表」

「出典が弱い」

「効けばいい」

 豪は最後の組へ行く。

 カナタは補償担当と話す。

 中止した稽古日の賃金。

 交通費。

 宿泊。

 役札回収後の待機時間。

 認証を得られなかった場合の逸失。

「本番中止が確定していません」

 担当者。

「私の演目は確定」

「運営主体が代替を」

「参加者が、役を外したことで契約違反とされないように」

「役務未履行の可能性が」

「事故対応は役務より重い」

「契約上の表現ではありません」

「では書く」

「遡及できません」

「異議として残す」

「補償を確約できない」

「確約できないことを、本人へ先に言う」

 担当者がため息をつく。

「不安を増やします」

「知らずに失うより」

「あなたは人気者だから言えます」

「人気で払えない」

「でも、声は届く」

「届く声を、届かない人の代わりに使うと、また役を大きくする」

「では、どうします」

「一人ずつ申告。私が公開するのは、全体の不足と自分の責任。個人の事情は本人が選ぶ」

「時間が」

「かかる」

 豪の声が飛ぶ。

「救助者、交代!」

 カナタは反射的に現場へ向く。

 担当者が言う。

「あなたも、全部へ行く」

「癖です」

「止める人が必要ですね」

「技能札に書きました」

「私が止めても?」

「名前」

「補償担当」

「役ではなく」

 相手は少し迷う。

「今は、杉です」

「杉さん。止めてください」

「受領。紅葉さん、座って」

「はい」

 カナタは椅子へ座る。

 説明を続けず。

 救助へ走らず。

 右足首を冷やす。

 その間にも、八人の救助は進んだ。

 カナタがいなくても。

 それを失敗のように感じた自分を、彼は記録した。