第435話 第十二章「名前のない出演者」前編

十二月一日 午前六時十八分

 水科イオは、同じ作業着で起きた。

 上着の右袖に機械油。

 左膝に乾いた泥。

 左右の違う靴は、脱いだ場所も違っていた。

 動力室の椅子で眠ったらしい。

 背もたれへ斜めに寄り、真鍮器具のついた左前腕を腹へ載せている。

「おはようございます」

 凱が言った。

 床へ座っている。

 左膝装具を外し、腫れを冷やしている。

「何時」

「六時十八分」

「能力」

「俺へ訊くな」

「正しい」

 イオは右腕を持ち上げた。

 曲がる。

 伸びる。

 指も動く。

 重い箱を持てるかは、試していない。

 試す必要もない。

 能力だけが戻らない。

「能力喪失〈クロックアウト〉を確認した、と書く?」

 凱。

「医療評価前。実質喪失。確認できた範囲、強化反応なし」

「長い」

「短くすると、身体まで失ったことにされる」

「そのまま書く」

「誰が」

「俺が」

「字、硬い」

「内容は変えない」

「受領」

 凱は記録板へ書く。

《十二月一日、零時以後。水科イオの能力強化反応なし。通常の身体運動は確認。医学的評価継続》

 勝利。

 解放。

 再出発。

 そういう言葉は書かない。

 イオは顔を洗い、作業着のまま役札返却所へ行った。

 青灯再演劇場の中央広場は、前日より静かだった。

 水は排出されている。

 泥が残る。

 可動街区は傾いた位置で固定。

 外装枠には仮支持。

 西階段は閉じたまま。

 舞台時計は、午後三時七分。

 機構が止まった時刻。

 中止宣言の時刻は、表示板に別記されている。

 六十四人分の役札が、長机へ並んでいる。

《英雄》

《避難者》

《母親》

《子ども》

《元能力者》

《最後まで立つ者》

《最後に帰る者》

 返却欄へ、本人が署名する。

 持ち帰りたい者。

 処分を希望する者。

 展示へ残してよい者。

 役名だけ削除したい者。

 現在の技能札と一緒なら残す者。

 選択は一つではない。

 イオの役札。

《能力を失った負傷者》

「どうする」

 返却係。

「返す」

「運営へ?」

「私へ」

「役札は劇場資産です」

「私の身体を使った記号。コピーは保管していい。現物は私」

「規定では」

 返却所の契約係が横から言う。

「規定へ、本人への返却条項がありません。禁止条項もありません」

「では、運営判断を」

「本人が既に判断しています」

「所有権が」

「物の所有と、表示された人物情報の使用を分けます。現物は貸与品。表示を消した上で返却、または表示面だけ本人へ」

 イオ。

「面倒」

「正確です」

「長い」

「職業です」

「表示面だけ」

 役札の表紙を外す。

 木の台座は劇場へ。

 紙の《能力を失った負傷者》はイオへ。

 イオは紙を二つに折らない。

 破らない。

 工具箱へ入れる。

 英雄役の札を返す凱は、兜も返却する。

「破棄しないの?」

 タマキ。

「衣装だ」

「誰か、またかぶる」

「かぶるかもしれない」

「嫌?」

「俺が決めない」

「展示は」

「役名の横へ、技能札と実名を置く条件を出す」

「誰が同意する」

「本人ごと」

「多い」

「六十四人」

「数えた」

 タマキは緑の帽子を直す。

 左耳の圧迫感は残っている。

 停止区画から出た今、封緘便の経路感覚は戻っているはずだ。

 しかし、まだ試していない。

「使わないの」

 イオ。

「何を」

「能力」

「届け物ない」

「自分を出口へ」

「送り主と荷物、同じ?」

「知らない」

「受取人」

「外の自分」

「昨日も聞いた」

「答えは」

「僕は荷物じゃない」

「そう」

 タマキは、まず床を踏む。

 右。

 左。

 踵。

 つま先。

 傾き。

 耳。

 視界。

 赤い札の発光を探さない。

「北」

 自分の足で言う。

 方位板を見る。

 北で合っている。

「能力は」

「後」

「怖い?」

「前に使えなかったから怖い。戻っても怖い」

「正しい」

「普通って言わない?」

「禁止語」

 タマキは笑わない。

 しかし、帽子を少し上げる。

 史実展示室では、修正作業が始まっていた。

 中央の大きな板。

《黒雨の日、一人の英雄が六十四人を救った》

 その文は破壊しない。

 消すだけでもない。

 横へ、新しい板を置く。

《現在確認できる記録》

《岳が中心判断を担った場面がある》

《転倒二回》

《判断停止十一秒》

《撤回四回》

《他者の修正七件》

《滑車を出した技師》

《入口を支えた者》

《誤誘導札を訂正した者》

《名前を確認した者》

《休ませた者》

《撤退を命じた者》

《従わなかった者》

《記録未確認の者》

 実名を公開してよい人だけ、名を足す。

 公開を拒否した人は、技能だけ。

 遺族確認中は保留。

 不明は不明。

 火群七瀬が脚本担当者と並び、文字の大きさを測っている。

「英雄名より小さい」

 七瀬。

「展示板の幅が」

「板を増やす」

「視線が分散します」

「分散させる」

「何を中心に見せるか」

「見る人が歩く」

「展示導線が複雑に」

「複雑だった」

 脚本担当者は反論せず、新しい板の位置をずらす。

「灯里さんの記録名は」

「提供者として残す。正しさの保証には使わない」

「編集上の問題も」

「別板。小さくしない」

「娘の判断と明記しますか」

「記録担当・火群七瀬の判断。娘は関係を消さないが、権限にしない」

「長い」

「削らない」

「分かりました」

 七瀬の左肩は固定帯。

 測る作業は脚本担当者へ渡している。

 自分で全部を持たない。

 劇場外の帰路では、排水設備の仮修理が続く。

 鷹取由良が赤い索を持って来た。

 右膝には、以前の災害で痛めた痕。

 歩幅は一定。

 斥候長の外套ではなく、泥除け作業着。

「帰路班の設備確認」

 澪はこの場にいない。

 由良は剛嶺側の経路技師として、排水路の出口を確認する仕事を受けている。

「誰の依頼」

 イオ。

「劇場ではない。周辺住宅三組合。帰路が使えないと、劇場の事故処理が生活路を塞ぐ」

「料金」

「地区ごと。現金二、資材一」

「タマキに近い」

「彼ほど細かくない」

「聞こえてる」

 タマキが言う。

「帰り道は値切らない方がいい」

「覚えておく」

 由良は索を排水溝へ通す。

 向こう側から、一人の作業者が現れた。

 由良と同じ年頃。

 名前を呼ばない。

 幼い頃、同じ斥候訓練を受けた。

 由良が剛嶺へ戻ることを拒まれた時、住民側の代表として「帰ってくるな」と言った人。

 二人は止まる。

「北出口、詰まり三」

 相手が言う。

「深さ」

「二十、四十、七十。七十は二人」

「索、足りる」

「昔の結び、使うな」

「ほどけにくい?」

「私が嫌い」

「理由」

「あなたが教えたから」

「分かった。別のを」

 由良は結び方を変える。

 謝らない。

 許しを求めない。

 帰郷の話をしない。

「右膝」

 相手。

「作業に影響、階段二往復まで」

「一往復にして。下は私が行く」

「命令?」

「発注側の安全条件」

「受領」

 別々の労働者として、仕事を分ける。

 昔の関係は消えない。

 今日の仕事へ決着を要求しない。

 午前九時二十分、参加者六十四人の確認会が開かれた。

 全員を同じ部屋へ集めない。

 入院一。

 通院六。

 帰宅四十七。

 宿泊十。

 本人が望む方法で、対面、紙、音声、代理読み上げを選ぶ。

 議題は三つだけ。

 役札。

 技能札。

 事故記録。

「事故の責任者を決める会ではないのですか」

 北門先導者役を残した青年が訊く。

「今日は、あなたの記録をどう扱うか」

 七瀬。

「責任は別の審理」

「分けたら逃げられる」

「一緒にしたら、あなたの認証損害が事故原因の議論へ飲まれる」

「私は、役を完遂できなかった」

「事故で中止」

「能力不足ではないと証明したい」

「昨日の身体記録は残る。短距離走、木工、階段搬送。役の完遂証明とは別」

「採用側は役認証を見る」

 カナタが頭を下げる。

「その損害は、演出中止と運営継続判断の結果です。補償申告へ私も署名します」

「認証そのものは」

「戻せない」

「謝れば?」

「戻らない」

「なら謝らない?」

「謝る。戻らないことも言う」

 青年は役札を机へ置かない。

「持って帰ります」

「原札は貸与品」

 運営係。

「写しを本人へ。原札は本人が選んだ公開条件で保管」

 七瀬。

「私の役名は公開していい。失敗扱いにはしないで」

「失敗・成功の一括欄を作らない。未完了。事故中止。技能実施を別」

「長い」

「短くすると負けるのは、たいてい本人」

 別の参加者は、役札の破棄を選ぶ。

 貸与物の所有権と、裏面の身体情報。

 切り離し。

 本人の身体情報は返却。

 役名側は事故調査終了まで封印。

「終了後は」

「本人へ再確認」

「忘れたら」

「自動廃棄ではなく、連絡一回。その後は本人指定」

「死んでいたら」

 部屋が静かになる。

「遺族へ自動で渡さない」

 七瀬。

「生前指定がなければ、閲覧停止。処分だけ別審理」

「そこまで」

「記録は、人より長く残る」

 三人目は、技能札を公開したいと言う。

《休憩》

《槌の音差》

《呼ばないで》

「役名は隠す。休憩したことは出す」

「理由」

「休んだから気づいた音がある。休憩を怠けと呼ばれたくない」

「実名」

「出す」

「映像」

「顔は出さない。手と札だけ」

「受領」

 参加者全員の選択は、六十四通りには収まらない。

 役名公開可、技能非公開。

 役名非公開、技能公開。

 映像拒否、音声可。

 医療記録は調査可、公衆不可。

 今は保留。

 選択の組み合わせは、人数より多い。

 午前十時四分。

 病院から八城レムの音声がつながる。

「画像診断の結果、右前十字靱帯断裂です」

 本人の声。

 医療者が代わりに言わない。

「腫脹が引いた後、再建術を予定します。術式と時期は未定。現在、右脚荷重禁止。現場動作不可」

「公開範囲」

 七瀬。

「今言った範囲。画像は非公開。事故調査へは、医療側が必要範囲を選ぶ。私の《型通り》の発動記録は公開してよい。病室映像は拒否」

「技能札」

 凱。

「更新します」

 レムは読み上げる。

《既知動作照合》

《予定列の比較》

《新規条件への予測低下》

《右脚荷重不可》

《現場動作不可》

《事故映像の動作分析は、医療許可後、座位で》

「型が使われなくなる恐れ、は」

 凱。

「現場限定のまま保管。公衆へ出さない」

「消さない?」

「今は」

「受領」

 カナタが回線へ近づく。

「八城さん」

「長い謝罪は拒否します」

「一文」

「聞きます」

「安全確認を完了しないまま、私の名で演出案を進めました。あなたの負傷と事故全体について、私の責任を記録し、治療と補償へ参加します。ごめんなさい」

「一文ではありません」

「句点は一つ」

「詭弁です」

「はい」

「謝罪は受領します。免責はしません」

「受領」

「私も、事故を再演へ統合しようとしました。継続判断の責任を記録します。謝罪は、まだしません」

「理由」

「何へ謝るか、分けられていない」

「待ちます」

「期限を決めないで」

「受領」

 回線の向こうで、病室の扉が開く音。

「リハビリ担当が来ました」

 レム。

「型通り?」

 迅が訊く。

「術前訓練には手順があります」

「先回りする?」

「今は、指示を聞きます」

「珍しい」

「記録してください」

「公衆へ?」

「しないで」

「受領」

 回線が切れる。

 レムの名は、事故記録へ残る。

 英雄の敵としてでも、負傷して考えを変えた人としてでもない。

 試験官。

 研究者。

 運用責任者。

 負傷者。

 リハビリを始める人。

 一つの名に、複数の現在が並ぶ。

 確認会の最後、事故当日に榊槙司が署名した旧定義表を机へ置いた。

 表には、三つの文。

《英雄》《避難者》《成功》――使用停止。

 裏には、本人が残した長い申告。

《旧定義が使用された期間、契約、認証、損害を追跡する》

《次の定義は本日作成しない》

《三十日間、現場語を収集し、本人へ返す》

《作成者一人で統合しない》

「撤回で終わり?」

 休憩を申告した訓練生。

 確認係が裏面を示す。

「終わらない、と署名されています」

「次の定義は」

「今日は作らない」

「仕事をしない?」

「定義しない期間にも、期限と担当を置く」

「また長い」

「現場札は《旧定義停止》です」

「それで」

 短い札。

 長い責任。

 二つを、同じ机へ置く。

 役札返却所の横では、補償窓口が開く。

 カナタが座っている。

 金色の髪は結ばず、面もない。

 右足首は冷却。

 声は舞台用ではない。

 机の上。

《演出料返還》

《参加賃金の全額支払》

《認証失効による逸失利益の申告》

《負傷治療》

《交通・宿泊》

《技能札と映像の使用拒否》

《異議》

「全演目中止は、いつまで」

 記者が訊く。

「期限未定」

「復帰の意志は」

「今は答えない」

「今回の失敗を次へ生かす――」

「その言い方はしない」

「なぜ」

「失敗した人へ、次の成功を要求するから」

「では、何を」

「支払う。説明する。修理する。記録を返す」

「演出家を辞めますか」

「決めていない」

「責任を取らない?」

「辞めれば終わる責任と、辞めても残る責任を分ける」

「八城さんの負傷について」

「私の演出した殺陣、境界運用、床の水、本人の動作、警備判断が関係する。医療診断は右前十字靱帯断裂。私は治療費と調査へ関わる。彼女の研究内容の正否とは別」

 レムは病院へ移されている。

 画像診断。

 手術適応。

 腫れが引いてから再建術。

 長いリハビリ。

 事故記録から、名を消さない。

《八城レム》

《試験官》

《型動作研究》

《右前十字靱帯断裂》

《境界で能力停止後、予定外の方向転換》

《事故再現研究への参加希望》

《医療上、当面の現場動作不可》

 負傷したから、型から自由になった。

 そんな一文は書かない。

 痛みは思想ではない。

 手術は比喩ではない。

 膝は、膝だ。

 医療評価の待ち時間、イオは真鍮器具を外そうとした。

 留め具が固い。

 能力があった頃なら、右腕だけで回せた。

 今は左手を添える。

「工具を使いますか」

 医療者。

「借りる」

 差し出された小型レンチを受け取る。

 真鍮器具は能力の一部ではない。

 古い仕事道具。

 時刻札を固定する枠。

 能力がなくても、金属の重さは残る。

「外す理由」

「皮膚を見る」

「能力喪失の象徴として?」

「かぶれ」

「失礼しました」

「意味を作るの、早い」

 器具の下に、薄い赤み。

 傷ではない。

 洗浄。

 乾燥。

 再装着は本人が選ぶ。

「もう要らないのでは」

 医療者。

「時刻札を持つ」

「能力なしで」

「時計は使える」

「残す?」

「今日は」

 イオは器具を机へ置く。

 外した腕は軽い。

 軽くなったことを、自由と呼ばない。

 長く着けていた物を外せば、誰でも軽い。

 待合には、能力減衰を抱える人が二人いた。

 一人は、イオへ近づく。

「本当に、なくなったんですか」

「確認できた範囲、強化反応なし」

「怖くない?」

「怖い」

「でも、普通に働ける」

「普通は禁止」

「あなたの言葉?」

「私が嫌いな言葉」

「私は、能力がなくなったら仕事を失う」

「私も仕事が変わる」

「どうする」

「今日、決めない」

「希望をください」

 イオは相手を見る。

 能力喪失者が生きている姿を、希望として見たい人。

 その欲望を責める気はない。

「私を、あなたの未来へ使わないで」

「冷たい」

「代わりに、今の契約を見る」

「何」

「能力が落ちた時、賃金、配置、治療、住居。書いてある?」

「ない」

「なら、今作る。希望より先」

「能力が戻る方法は」

「知らない」

「探さない?」

「今は」

「なぜ」

「昨日、最後の一回を使ったからじゃない。今日、疲れてるから」

 大きな決意ではない。

 相手は不満そうに、それでも契約書を出す。

 能力出力に応じた歩合。

 減衰時の配置転換なし。

 治療費は本人負担。

 欠勤三日で宿舎返却。

「悪い」

 イオ。

「契約が?」

「全部」

「直せる?」

「一人では」

「じゃあ、誰」

「同じ仕事の人。雇用側。医療。住居。契約通訳」

「多い」

「人間」

 相手は笑わない。

「あなた、前向きなこと言わないですね」

「方向を決めてない」

「でも歩く」

「診察室から待合まで」

「小さい」

「今日の距離」

 医療者がイオの名を呼ぶ。

 診察の結果は、朝の記録と変わらない。

 能力強化なし。

 通常の身体運動は確認。

 膝硬直。

 心拍要観察。

 診察後、イオは相談者へ戻る。

「今日できること」

「契約の写しを取る」

「誰へ送る」

「同僚三人」

「公開範囲」

「名前と賃金は隠す」

「期限」

「一週間」

「受領」

 タマキが横から言う。

「配送なら料金」

「自分で持って行く」

「道」

「知ってる」

「能力なしでも?」

「元から通勤路」

「受領」

 相談者は契約書を折り、内ポケットへ入れた。

 イオは真鍮器具を、もう一度左前腕へ巻く。

「着けるんですか」

「時計を留める」

「能力が戻るか試すため?」

「違う」

 彼女は、止まった小時計を枠へ入れた。

 針は、二十三時五十八分三十秒。

 最後に使った時刻。

 記念ではない。

 終了条件の記録。

「動かさない?」

 医療者。

「舞台時計と同じ?」

「違う。これは、機械を止めた時刻。舞台時計は演目を止めた時刻」

「二つも止まった時計を持つ」

「用途が違う」

「重い」

「知ってる」

 イオは同じ作業着の袖を下ろす。

 能力を失っても、彼女の持ち物は急に軽くならない。

 記録。

 契約。

 相談者。

 昨日止めた機械。

 失った力の代わりに背負ったのではない。

 前からあった仕事が、能力の影から見えるようになっただけだった。

 午前十一時五十二分。

 イオは医療評価を受ける。

 心電図。

 膝。

 右腕。

 真鍮器具。

「能力反応はありません」

 医療者。

「身体機能は」

「右腕の筋力は、現在の本人の基礎値。能力強化だけが確認できません。心拍は要観察。膝硬直は従来範囲」

「仕事」

「今日、重量物なし。睡眠」

「同じ作業着で?」

「着替えは医療行為ではありません」

「安心」

「なぜ」

「予備、ない」

 医療者は笑いかけ、やめた。

 慰めに見えると思ったのかもしれない。

「記録へ、能力喪失と書きますか」

「実質喪失。再確認日を決める。戻らないと断定するのも、戻ると期待するのも、今は違う」

「本人の希望は」

「人工的に試す予定なし」

「理由」

「今、疲れた」

 大きな思想へしない。

 窓口を出る。

 中央広場へ戻る。

 技能札の乾燥紐の下には、返却されない役札が十三枚あった。

 本人が持ち帰る写し。

 封印保管。

 破棄判断待ち。

 認証異議の証拠。

「残っていると、また使われる」

 参加者の一人。

「残さないと、使われたことも消える」

 七瀬。

「どちらが正しい」

「本人ごと」

「面倒」

「今日、何回目」

 タマキ。

「数えてない」

「記録不足」

 彼は白札へ書く。

《面倒――複数回》

 凱が読む。

「技能か」

「注意」

「誰へ」

「簡単にしたい人」

「全員」

「公開」

 札が一枚増える。

 その横へ、イオが自分の札を掛けた。

《時刻管理》

《右腕強化なし》

《膝硬直》

《能力の代わりに持てる重量は増えない》

《今日は重量物なし》

「最後、技能じゃない」

 迅。

「業務条件」

「明日は」

「明日、書き換える」

「毎日?」

「身体は毎日」

 迅も自分の札へ追記する。

《右手、今日五割申告》

《深水反応》

《八歩目は能力ではない》

「最後、誰に言ってる」

 凱。

「見た奴」

「名付ける者が出る」

「止める」

「どう」

「普通の一歩」

「禁止語」

 イオ。

「ただの一歩」

「それなら」

 名を与えないことも、記録する。

 八歩目を、新しい必殺技へしない。

 能力を失ったイオを、新しい英雄へしない。

 膝を壊したレムを、型から解放された象徴へしない。

 技能札は、人を説明しきれない。

 説明しきれないから、翌日書き換えられる。

 午後一時十七分。

 舞台時計の前に、長机を一本だけ置いた。

 審理台ではない。

 投票箱もない。

 時計担当者。

 カナタ。

 七瀬。

 事故調査の記録係。

 参加者側から、対面を選んだ十一人。

 音声参加が七人。

 紙で意見を出した十九人。

 残りは、時計の扱いを運営へ委ねる、または今は決めないと回答している。

「多数決にしますか」

 運営係が訊く。

「何の多数」