第441話 第三章「独房の人数」前編

十二月二十九日 午前七時零分

 水科イオの薬は、時刻どおりに来た。

 収容理由は来なかった。

 薬剤師は、錠剤を透明な小皿へ置いた。

 不整脈薬。

 胃薬。

 電解質補助。

 名前を読み上げず、番号を読む。

「B-16。本人確認」

「水科イオ」

「番号で」

「薬袋に名前、書いてる」

 薬剤師の視線が袋へ落ちた。

 印刷された氏名。

 透明な袋の裏へ、B-16の赤い札。

「公開廊下では番号を使用します」

「薬は公開?」

「医療情報です」

「番号で呼んだら、誰の医療情報か分からなくなる?」

「職員は照合できます」

「本人も職員になれば安全」

「服薬してください」

「七時零分、受領」

 イオは錠剤を飲んだ。

 薄い牛乳は五十八度。

 昨日と同じ。

 時間を守る施設だった。

 起床六時。

 薬七時。

 朝食七時十五分。

 運動九時。

 面談未定。

 審理未定。

 退所未定。

 大きい時刻ほど、空欄になる。

 イオは左前腕の真鍮装具を失っていた。

 保管庫へ預けられたまま。

 秒を刻む振動がない。

 だから、床の給湯管へ指を置いた。

 循環ポンプが、一分に四十八回、小さく震える。

 四十八。

 九十六。

 百四十四。

 右膝の硬直がほどけるまで、七分二十四秒。

 昨日より短い。

 施設に入ってから、何も良くなっていないわけではない。

 その事実が、いちばん厄介だった。

 安全な薬。

 温かい食事。

 乾いた寝床。

 外の雪より一定した温度。

 正しく世話をされるほど、閉じ込められていることを言いにくくなる。

 イオは空になった薬袋を、配膳口の隙間へ挟んだ。

「久我」

 廊下の足音が止まる。

「何」

「七十二人の名簿」

「見せられない」

「番号の名簿」

「理由」

「人数確認」

「七十二」

「分類」

「見せられない」

「私の隣、何者」

「本人に聞く」

「聞く道、作って」

 配膳口の向こうで、檻が黙った。

「何のため」

「全員出せと言わないため」

「出たくない人、いる?」

「いる」

「危険な人も」

「いる」

「なら、同じ番号にした人が一番危険」

 檻は薬袋を抜いた。

「旧配膳管。音、届く」

「全棟?」

「BとC。Aは別」

「三つ必要」

「何」

「人数、分類、本人の言葉」

「誰が集める」

「私」

「能力ない」

「知ってる」

「嫌味」

「確認」

 檻の足音が遠ざかる。

 イオは壁へ背を付けた。

 能力があった頃なら、終了時刻まで動ける回数を正確にした。

 今は、声の届く距離しか測れない。

 それでも、七十二は数だった。

 数は、分けられる。

 午前八時四十一分。

 B棟の旧排水管へ、四角い食器が当てられた。

 タマキが叩く。

 一回。

「名前は言わなくていい」

 二回。

「能力、今ある?」

 三回。

「外へ出たい?」

 四回。

「今すぐ?」

 質問が多い、と巴なら言う。

 イオも思った。

「一つずつ」

 B-16から管へ言う。

「聞こえてる」

 タマキ。

「最初は、今あるか」

「名前は」

「後」

「本人、番号で答える?」

「自分で選ぶ」

 B-14から、笠井の声が入る。

「回答形式を先に提示してください。はい、いいえ、保留、非公開」

「隊務みたい」

 タマキ。

「誤解を減らす」

「間違えたら」

「訂正」

「訂正時刻」

 イオ。

「必要です」

「始める。午前八時四十三分」

 管は、声をきれいに運ばない。

 言葉の端が鉄へ吸われる。

 B-14の声は近い。

 B-24は遅れる。

 C棟は二度反響する。

 それでも、番号だけの名簿より、人の間が聞こえた。

「B-01。現在、能力あり」

「B-02。減衰中。公開しない」

「B-03。ない。前はあった」

「B-04。家族。本人じゃない」

「B-05。医療補助。接触しただけ」

「B-06。答えない」

「B-07。能力あり。昨日から出ない」

「B-08。未発現。兄が能力者」

 タマキが食器の底へ、短い線を刻む。

 一本。

 二本。

 イオは壁へ四角を描く。

 石灰を爪で削る。

 縦十二。

 横六。

 七十二。

 現在の能力。

 喪失。

 減衰。

 未発現。

 家族。

 医療。

 輸送。

 記録。

 住居共有。

 不明。

 分類を細かくすると、人間へ近づく。

 細かくしすぎると、別の檻になる。

「B-14」

 管の向こうから、笠井が答える。

「現在、誓痕なし。過去もなし。紙燕護送隊員。対象者三名の移送担当。経路変更への異議を出した後、関連者に分類」

「暴力歴」

 イオ。

「車内通路封鎖、身体制止。列車移送事件の件は個別審理中」

「今の収容理由に書いてある?」

「関連者。具体行為欄、空白」

「出たい?」

「予防収容からは。既存の審理は続ける」

「今すぐ?」

 笠井が三呼吸置く。

「外で隊務復帰の受入れ確認があるなら。なければ、期限付き移送を選ぶ」

「自由より、受取人」

 タマキ。

「列車で学びました」

「料金」

「拘置所へ請求する」

 管の中に、短い笑いが転がった。

 B-17。

 迅は、回答が短い。

「能力あり。今は使えない。出たい。今すぐでも、理由を持って」

「理由を持つ?」

 タマキ。

「閉じた理由を、外へ運ぶ」

「荷物、重い」

「持てる」

「右手、八割」

「左で」

「身体の話じゃない」

「分かってる」

 B-18。

 タマキは自分で答える。

「能力あり。十月に初めて出た。今、使えない。十四歳。出たい。帰り先は零番街共同世帯。四十七人へ確認が要る。鉄箱も返して」

「鉄箱、理由に入れる?」

 イオ。

「入れる」

「人の審理」

「仕事なくしたら、人の生活」

 正しい。

 イオは自分の四角へ書く。

《能力なし》

《喪失 十二月一日》

《関連施設 七局》

《不整脈》

《出たい》

《受入れ 明日班へ確認》

 最後の欄で、手が止まる。

 明日班。

 元能力者が、能力を失った翌日を作るための互助組織。

 イオは設立へ関わった。

 だが、自分の部屋を明日班の家族部屋にしなかった。

 住居は分けた。

 今夜、受け入れられるか。

 年末の暖房費。

 薬の保管。

 施設へ連れてこられたことで失った整備の仕事。

 出たい、と書くのは簡単だ。

 出た後の住所は、能力では出ない。

「保留?」

 タマキの声。

「出たい。受入れは確認中」

「分ける」

「分けて」

 七十二の四角が埋まっていく。

 現在能力者、二十六。

 減衰中、九。

 能力喪失、十二。

 未発現・予測対象、五。

 家族・同居人、八。

 医療・記録・輸送・修理の関連者、十二。

 合計七十二。

 分類は重ならないよう、本人が今の収容理由として最も近い欄を選んだ。

 実際の人間は重なる。

 能力を失った医療者。

 家族でもある運転手。

 未発現で、過去に暴力を起こした子。

 それでも、施設の一行よりましだった。

《能力不安定者および関連者》

 七十二を一つにするには、便利すぎる。

 午前九時二十七分。

 七十二の四角が埋まった後も、管から声は止まらなかった。

 分類を聞かれた時には答えられても、出たいかと聞かれると黙る人がいる。

 出たいと言えても、帰る場所を言いたくない人がいる。

 住所は言えても、そこへ戻りたくない人がいる。

「B-31」

 かすれた女の声。

「現在、能力なし。過去もなし。夫が能力者。夫とは別居。住所、施設には伝えたくない」

「出たい?」

 イオが聞く。

「夫が来ないなら」

「来ない確認、誰から」

「警備」

「警備へ住所が行く」

「それが嫌」

「じゃあ、住所を出さずに受入れ確認できる所」

「あるの」

「今は知らない」

「知らないのに聞いた?」

「知らない欄、作るため」

 壁へ書く。

《出たい/住所非公開/接近拒否の受入先が必要》

 次。

「B-47」

 声は低い。

 語尾が二度、管へ戻る。

「治療補助。避難所で能力者の火傷へ触れた。能力はない。施設は接触履歴を関連とした」

「暴力」

「なし」

「出たい」

「患者の記録が返るなら」

「自分の退所と記録返却、分ける?」

「分けたら、記録だけ残される」

「一緒にしたら、人を人質にできる」

 管の向こうで、息を吐く音。

「両方、期限」

 イオは二つの四角を描いた。

《本人の退所》

《患者記録の返却》

 線で結ばない。

「B-58」

 返事は、食器を二回鳴らす音だった。

 タマキが聞く。

「声、出したくない?」

 一回。

「質問、はいといいえだけ?」

 一回。

「現在、能力ある?」

 二回。

「ない?」

 一回。

「関連者?」

 一回。

「修理?」

 一回。

「設備を直した?」

 一回。

「何を直したか、言いたくない?」

 一回。

「知らない?」

 二回。

 同じ一回でも、意味は質問に預けられる。

 質問した人間が間違えば、答えも間違う。

 タマキは食器を置いた。

「今の質問、やり直す」

 管へ爪で三つの形を送る。

「丸は、話す。線は、話さない。点は、まだ決めない。どれ」

 向こうから、短い摩擦音。

 点。

「まだ決めない、受領」

 イオはB-58の四角を空白のままにした。

 空白の上へ、《本人選択による保留》とだけ書く。

 答えない人間を、不明な危険へ入れない。

 C棟から、紙を擦る音が来る。

 笠井が、管の継ぎ目へ薄い紙を差し込んだらしい。

「水科さん」

「聞こえる」

「あなたの個別記録の表題を、昨夜、移動時に見ました」

「読む権限」

「ありません。表紙だけです」

「何て」

《終業刻反応終了・暫定》

 イオの指が止まる。

「暫定」

「その下に、《再発現可能性あり》

「根拠」

「欄外は見えませんでした」

「見えてないのに言う」

「表題は見た。根拠は見ていない。分けます」

 イオは、自分の四角の横へ小さく書く。

《施設記録では「終了・暫定」「再発現可能性」。根拠未確認》

「十二月一日から、一度も出てない」

 タマキ。

「出てない記録は」

「私が持ってた」

「装具と一緒?」

「整備日誌。没収」

「返却先」

「私」

「目的」

「ないことを、あるかもしれないより長く記録する」

「難しい配達」

「受取人が、ないものを受け取りたくない」

 イオは笑いかけ、右膝が固まった。

 膝頭の奥へ、細い金属を差し込まれたような感覚。

 立ってはいない。

 それでも、関節は自分で曲がるのをやめる。

「開始」

 タマキが言う。

「九時三十四分」

「痛み」

「四」

「薬」

「まだ」

「看守、呼ぶ?」

「三分待つ」

「本人選択」

「そう」

 管の向こうで、B-31が聞いた。

「能力の反証?」

「能力、ない」

「じゃあ、何」

「身体」

「能力が終わっても?」

「身体は終わらない」

 誰かが小さく食器を鳴らした。

 同情か、確認か、意味は分からない。

 イオはそれへ礼を言わなかった。

 意味を決めたくなかった。

 九時三十七分。

 膝はまだ動かない。

 医療担当を呼ぶ。

「B-16、右膝硬直。開始九時三十四分。自力で三分待機後、本人が診察希望」

 看守が答える。

「運動時間が近いので、そのまま医療室へ移します」

「運動へ行かない扱い」

「医療上の欠席です」

「危険評価へ」

「加算しません」

「名前」

 看守が名を言う。

 イオは壁へ書いた。

《運動欠席は医療理由。危険評価へ加算しない。回答者名あり》

 施設が正しく答えた時も、記録する。

 悪い答えだけを集めると、記録は告発のための演出になる。

 良い答えだけを集めると、施設の広告になる。

 両方を同じ壁へ置けば、少なくとも壁は味方の顔をしない。

 医療担当が扉を開けるまで、イオは七十二の四角を見た。

 自分の四角には、能力喪失と膝硬直が同時に書かれている。

 矛盾ではない。

 能力がないことと、身体が無傷であることは別だ。

 午前九時四十七分。

 医療担当が膝の固定帯を巻き直している間に、配膳管から若い声がした。

「B-60。聞いていい」

「何」

「俺、まだ出てない」

「何が」

「能力」

 イオは固定帯の端を自分で押さえた。

「今、ない?」

「ない。前もない。なのに記録には、発現予測六十二パーセント」

「根拠」

「親父と姉」

「本人の検査」

「血を取られた」

「同意」

「学校の健康診断だと思った」

 医療担当の手が一瞬だけ止まった。

 イオは、その止まった時刻まで記録しなかった。驚いたことと、判断したことは別だからだ。

「六十二、誰が計算した」

「分からない」

「いつまで六十二」

「分からない」

「六十一になったら出られる?」

「知らない」

「ゼロになったら」

「たぶん、ゼロにはしない」

 言ってから、イオは壁へ《たぶん》と書いた。

「今のは事実じゃない。私の予想」

「予想で閉じられた俺に、予想で答えるのか」

「閉じる予想と、答えの限界を言う予想は違う」

「言い方で逃げてる」

「逃げ道、必要」

「俺にはない」

 管の向こうで、爪が金属を擦った。

「出たい?」

「出たい。でも家へ戻ったら、近所が先に六十二を見る」

「受入先」

「ない」

「仕事」

「学校、退学扱い」

「年齢」

「十七」

「明日班へ照会する」

「能力を失った人の所だろ」

「能力を失った人と、能力がない人が、同じ給料で働けるか調べてる所」

「格好よく言っても、部屋ある?」

 イオは答えなかった。

 外へ出れば自由、という言葉は、部屋の鍵も布団も作らない。

 タマキが管の下へ紙片を置いた。施設内回線で届いた照会返答だ。

《本日中の居室なし。十二月三十一日まで緊急寝床二名分。年明け以降は未確定。就労面談は一月二日から。予測値を採用条件にしない》

「今日の部屋、ない」

 イオはそのまま読んだ。

「三十一日までなら二人。仕事は二日から。続く保証はない」

「使えねえ」

「そう」

「怒らないのか」

「怒ると部屋増える?」

「増えない」

「じゃあ、足りないと書く」

 壁へ新しい欄を作る。

《退所可能でも受入先なし》

《予測値を住居・就労条件へ使わない受入先が必要》

《現在確保できる緊急寝床二》

「俺を二人へ入れる?」

「入れたい?」

「他にもっと危ない奴がいる」

「危ない順で布団を配る?」

「困ってる順」

「困り方、比べる人」

「おまえ」

「しない」

「じゃあ誰が決める」

「二人の寝床を、七十二人の善人競争にしない方法を聞く」

「答えになってない」

「今は、ない」

 B-60はしばらく黙った。

「俺、出たい欄へ入れて」

「受入先未定も」

「入れろ」

「発現予測六十二は」

「消せ」

「施設記録には残る」

「おまえの壁から」

「消す」

 イオは六十二という数字を水で拭いた。

 予測値が消えても、少年が十七歳で、帰る部屋がなく、二日の面談まで待たなければならない事実は残る。

 数字は人を閉じるのに便利だった。

 生活は、人を出した後に面倒だった。

 午前十時三分。

 運動時間が始まった。

 六人ずつ、手首へ布帯。

 能力抑制環境のため銀具はない。

 看守二人。

 廊下の白線から出ない。

 イオはB棟第二組に入った。

 B-16。

 B-17の迅。

 B-18のタマキ。

 B-19。

 B-20。

 B-21。

 B-22は昨夜の扉開放後、別室へ移されている。

 イオの右膝は、朝より動く。

 左目へ白い照明が痛い。

 片眼を細める。

「運動、十五分」

 看守が言う。

「開始時刻」

「十時四分」

「終了」

「十時十九分」

「変更理由」

「変更はありません」

「良い」

 迅が隣で言う。

「看守を褒めるな」

「時刻を」

「同じ顔してる」

「顔は分類しない」

 タマキが白線の上を歩く。

 左耳の前庭障害で、直線の後半に身体が少し右へ流れる。

 自分で止まり、壁の縦線を見直す。

「触るな」

 迅が手を出しかけて止める。

「触ってない」

「言う前に出した」

「倒れると思った」

「倒れるか聞いて」

「倒れる?」

「今は立つ」

 タマキは歩き直した。

 廊下の向こうで、大きな音がした。

 医療室の扉。

 B-22が、看守二人に挟まれて出てくる。

 昨日の小柄な収容者。

 右頬に擦り傷。

 両手は布帯で前へまとめられている。

「運動組と接触させるな」

 主任看守が言う。

「診察です」

 医療担当。

「拘束を強化しろ」

「呼吸が浅い」

「逃走未遂者だ」

「黄色線は越えてない」

 迅が言った。

 主任が振り向く。

「独房を出た」

「扉を開けたのは誰だ」

「黙れ」

 B-22が笑った。

 乾いた音。

「ほら、危険だって」

「誰が」

 イオ。

「俺が」

「何した」

「殴った」

「誰を」

「配給窓口の奴。昨日じゃない。三日前」

「理由」

「妹の薬、能力者家族だから止められた」

「殴った?」

「殴った」

「傷」

「鼻折れた」

「そこは具体的」

 主任が盾を持ち上げる。

「会話をやめろ」

「今の収容理由に、書いてある?」

 イオはB-22へ聞く。

「関連者」

「暴行は」

「ない」

「変」

「俺が危険なのは本当だろ」

「本当の理由を書かない閉じ方が危険」

 B-22の目が、イオへ向く。

「全員出せって言わないのか」

「言わない」

「味方じゃねえ」

「同じ分類なだけ」

「冷てえ」

「五十八度の牛乳ある」

 B-22は一瞬、分からない顔をした。

 主任が腕を掴む。

 その瞬間、B-22の身体が反転した。

 布帯をまとめた両手が、主任の顎へ上がる。

 主任が避ける。

 医療担当が壁へ押される。

 迅が踏み出す。

 イオは先に、床へ足を入れた。

 能力はない。

 右腕の強化もない。

 終業刻もない。

 あるのは、左足。

 硬い右膝。

 七局で覚えた、拘束椅子の足元。

 B-22の右踵が浮く。

 イオは左足の甲を、その踵の前へ置いた。

 倒さない。

 進ませない。

「離せ!」

「誰を」

「全員!」

「主語、大きい」

 迅の言い方を借りた。

 B-22が肩を振る。

 布帯の金具が、イオの頬をかすめる。

 心拍が一度、跳ぶ。

 不整脈。

 一拍抜ける。

 次が強く来る。

 イオは息を吐いた。

「午後じゃない。午前十時六分。心拍乱れ、一回」

「何言ってんだ!」

「記録」

「今するな!」

「今しかできない」

 B-22の重心が前へ来る。

 イオは右膝を曲げすぎない。

 腰を引く。

 相手の手首でなく、布帯の余りを左肘へ巻く。

 迅が背後へ回った。

「首、取る?」

 イオ。

「取らない」

「肩」

「左」

「本人へ聞く」

「聞いてる暇あるか!」

 B-22が叫ぶ。

「痛い場所」

 迅。

「全部だ!」

「右肩、上がってない」

「昨日、壁に当てた!」

「じゃあ左へ倒す」

「倒すな!」

「選べ」

「床、嫌だ!」

「壁」

「壁!」

 迅とイオは、B-22を壁へ向けた。

 胸を潰さない。

 右肩を上げない。

 布帯を新しく締めない。

 主任が盾を構える。

「下がれ。鎮圧する」

「もう止まってる」

 迅。

「収容者同士の暴力だ」

「誰が殴った」

「抵抗した」

「具体的に」

 イオはB-22の呼吸を数えた。

 速い。

 だが、空気は入っている。

「B-22」

「番号で呼ぶな」

「呼ぶ名前」

「言わない」

「じゃあ、今は二十二」

「今は?」

「変えられる」

「出すのか」

「審理に」

「外へ」

「まだ決めない」

「おまえ何様だ」

「同じ箱」

 B-22の力が少し抜けた。

 迅が手を離す。

 イオも布帯から肘を外す。

 主任は盾を下ろさない。

「この者には具体的な暴行歴がある」

「書け」

 イオ。

「危険だ」

「何を、誰へ、いつ。書け」

「それで収容が正当になる」

「正当になる部分だけ」

「全員釈放要求と矛盾する」

「要求してない」

 主任が初めて、言葉を失った。

 施設は、全員をまとめて閉じる反対側に、全員をまとめて出せという声が来ることを期待していた。

 同じ大きさの主語なら、壁は強い。

 一人ずつなら、扉の数だけ理由が要る。

 正午。

 イオの壁には、七十二の四角が並んでいた。

 能力あり。

 能力なし。

 暴力あり。

 暴力なし。

 医療あり。

 受入れあり。

 受入れなし。

 出たい。

 残りたい。

 まだ決めない。

 重なる欄は、線で結ばない。

 人を一つの結論へ運ばないためだ。