第446話 第五章「面会の拒絶」後編

「今の案を、審理資料へ入れる」

 担当者の顔色が変わる。

「未公開の広報案です」

「公開しない。誰が、何を削って、何を言おうとしたかを内部記録へ」

 七瀬は言う。

「私の映像を使ったかどうかではなく、空席を機会と呼ぶ運用があったことを残す」

「撤回します」

「撤回、受領。作った事実は消さない」

「職員個人の試案です」

「個人名は非公開。部署、作成時刻、使用素材、撤回時刻」

「そこまで必要ですか」

「必要かどうかを、あなた一人で決めた結果が、この三十秒です」

 担当者は映写帯を巻き戻した。

 七瀬はそれを奪わない。

 複製も勝手に取らない。

 保全箱へ入れるか、廃棄するか、審理官へ判断を求める。

 正しい記録者は、すべてを持ち帰る泥棒ではない。

 午後五時十六分、七瀬は撮影操作へ戻った。

 肩の痛みは消えていない。

 凱が代わった十五分も、映像の中から消えていない。

 午後五時二十分。

 十一枠目と十二枠目の間に、追加の十五分が入った。

 面会を申し出たのは、北工区の浴場設備を請け負う小さな親方だった。

 収容者はB-09。

 審理補助が、先に質問札を三枚置いた。

《能力は再発するか》

《過去の器物損壊を認めるか》

《雇用主へ戻る意思があるか》

 B-09は床へ座り、三枚を裏返した。

「先に、部屋を貸した話をする」

「質問順と違います」

「俺の順番だ」

 質問札は捨てられない。脇へ置かれた。

 答えを拒んだのではなく、何から話すかを証人が選んだ。

 条件は四つ。

 一、四脚目を室外へ出す。

 二、身体へ触れない。

 三、能力の有無を聞かない。

 四、雇用契約へ署名させない。

「三つ目は聞かない。四つ目は、今日じゃなくても必要だ」

 親方が言う。

 B-09は扉の内側から返す。

「必要な時は、俺から言う」

「仕事があるか、ないかだけ伝える」

「給料」

「前と同じ」

「物価、上がった」

「顔を見て最初に言うことか」

「十五分しかない」

 四脚目を凱が室外へ運ぶ。

 補助拘束員は扉外に立ち、入室条件を紙へ残す。

 B-09が入る。

 作業着ではない。

 施設の灰色い上衣。

 右手の爪に、まだ黒い配管泥が残っている。収容前の仕事が落ちなかったのではない。昨夜、独房の洗面管から漏れた水を指で止めた時についた汚れだ。

 親方は立たない。

 立てば迎えに来た人間の形になる。

 B-09も座らない。

 座れば戻ると約束したように感じる。

 二人は机を挟み、同じ高さで立った。

「倉庫の二階、空いてる」

「住居?」

「寝られる。住居かは役所に聞け」

「暖房」

「配管を直せば」

「俺が直す?」

「雇うなら仕事。住む条件にはしない」

「毛布」

「一枚」

「二枚」

「贅沢だ」

「十二月だ」

 親方は、鞄から何も出さなかった。

 契約書も、鍵も、賃金台帳も。

「おまえが捕まった日、俺は役所へ、関係ないと答えた」

 B-09の口元が固くなる。

「知ってる」

「仕事を守りたかった」

「俺を切って?」

「そうだ」

「謝る?」

「謝って、雇う話を買わせたくない」

「便利だな」

「不便だから来た」

 七瀬は撮っている。

 顔は双方の同意範囲だけ。

 音声は内部照合版。

 公開版には、《関係否認の事実を訪問者が認めた》とだけ残す。

「戻れとは言わない」

 親方。

「戻らないと言うかもしれない」

 B-09。

「言え」

「今は、倉庫を見たい」

「鍵は」

「今日、受け取らない」

「なぜ」

「開いた扉から、すぐ別の鍵へ入りたくない」

 親方は、その答えを笑わなかった。

「じゃあ、倉庫の写真」

「撮った?」

「昨日。四枚」

「誰が」

「俺」

「下手だろ」

「配管は写ってる」

「部屋は」

「半分」

「それ、配管の写真だ」

「仕事場の人間が部屋を撮ると、だいたいそうなる」

 B-09が初めて笑った。

 笑ったから和解した、とは記録しない。

 十五分のうち、最後の一分で写真だけを受け取る。

 契約書は受け取らない。

 鍵も受け取らない。

 親方の謝罪も、成立条件にはしない。

 終了の合図が鳴る。

 親方が右手を出しかけて止めた。

 触れない条件を覚えていた。

 B-09はその手を見た。

「二枚」

「何が」

「毛布」

「家賃へ足す」

「戻らないかも」

「その時は、毛布が二枚残る」

 B-09は室外へ出た。

 面会記録には、《雇用復帰》とも《和解》とも書かれない。

《倉庫見学を本人が希望。鍵・契約書は未受領。住居条件と雇用条件を分離して再提示する。接触なし。十五分で終了》

 会うことは、戻ることではない。

 話が続く場所を、閉じないことだった。

 午後五時四十分。

 十二枠目が終わった。

 面会成立、二。

 一件は、音声のみ。

 顔は双方非公開。

 五分で終了。

 もう一件は、収容者が四脚目を室外へ出すことを条件に成立した。

 職員は危険時に扉外から入る。

 面会者は手を机の上へ置く。

 十五分。

 不成立、十。

 内訳は、通知不一致三。

 入門許可遅延二。

 収容者拒否二。

 訪問者拒否一。

 医療時刻重複一。

 理由未記録一。

 七瀬は、十二枠分の空席映像を記録箱へ複製した。

 原記録は一つ。

 公開版は顔、氏名、病歴、家族関係を外す。

 内部照合版は二鍵。

 本人返却版は、その人が映った範囲だけ。

 施設記録係が、公開版の文案を持ってくる。

《十二月三十一日、外部面会十二枠を設置。二件成立、十件は本人または申請者の事情により不成立。施設は面会機会を提供した》

 七瀬は読み終えた。

「これ、使わないでください」

「広報用です」

「私の映像を付ける?」

「空席と時刻が、機会を示します」

「空席は不在を示す。機会を示すとは限らない」

「面会室は用意された」

「同時に二人が来られたのは二件だけです」

「だから、成立二件と記載しています」

「十件を、本人か申請者の事情にまとめた」

「施設運用上の理由だけではありません」

「だから内訳を出す」

「個別事情が推測されます」

「数字だけ出せる」

「施設への誤解を招く」

 七瀬は、撮影機の赤い記録灯を見た。

 灯は点いている。

 このやり取りも、施設の記録になる。

 七瀬の記録にもなる。

「私の映像を使うなら、全文を付けてください」

「広報として長すぎます」

「使わないで」

「映像は施設内で撮影されたものです」

「所有権の話?」

「利用権です」

「面会の記録を、面会できた宣伝へ使う権利?」

「事実です」

「どの事実」

「施設が面会枠を設けた」

「じゃあ、椅子四脚と予定表だけ使えばいい。私の時刻記録は、通知がそろわなかった事実まで一緒です」

「編集します」

 七瀬は右手でレンズ蓋を閉じた。

 赤い灯が消える。

「編集するための撮影じゃありません」

 男の声が少し低くなる。

「記録を止めるのですか」

「私の撮影を止めます。施設記録は続いている」

「後から、あなたが都合よく止めたと」

「止めた時刻と理由は書く」

 七瀬は紙札へ記す。

《午後五時四十七分二十九秒。施設側が面会不成立映像を面会機会提供の広報へ編集使用すると通知。利用範囲の合意なし。撮影停止》

 署名する。

 左手ではなく、右手で。

 肩は署名に関係ない。

 痛みは、理由へ入れない。

 施設記録係が言う。

「止めれば、あなたの側の主張も残りません」

「空席は残っています」

「誰のせいで空いたかは」

「これから審理する」

「審理が成立しなければ」

「成立させるために、映像を勝ち負けへ使わない」

「記録者が結果を望んでいる」

「望んでいます」

 七瀬は、撮影機から記録媒体を抜く。

「望みがない人間だけが正確だと思うのは、カメラに人格があると思うのと同じです」

 午後六時十二分。

 面会廊下から出る前に、七瀬は四脚目を元の位置へ戻した。

 凱が手伝おうとする。

「今度は聞いた」

「何を」

「持っていいか」

「椅子は私のじゃない」

「君は面倒だ」

「元王より?」

「椅子より」

 二人で持つ。

 七瀬は右手。

 凱は両手。

 四脚目の脚は一本だけ短い。

 床へ置くと、かすかに揺れた。

 補助拘束員が座れば、身体の重みで止まる。

 誰も座らなければ、空のまま揺れる。

 七瀬は撮影機を回さない。

 代わりに、時刻だけを紙へ書いた。

《午後六時十三分。四脚目、未使用。》

 その下へ、もう一行。

《面会できなかった者の椅子は、機会の証明ではない。》

 凱が読む。

「名言にする気か」

「長いです」

「巴に削られる」

「削っても、椅子は残る」

 廊下の向こうで、鍵が逆へ一度回った。

 開ける前に、開かないことを確かめる音だった。