第448話 第六章「檻を審理室にする」後編
「自分で書くと、少し軽く見える」
七瀬。
「私が重く見える書き方をしてください」
「嫌」
「なぜ」
「重さは審理で決める。私は隠さなかった時刻だけ撮る」
七瀬は、真琴の顔ではなく、申告時刻札を撮る。
午後三時十二分。
正月の資料庫で見つかった古い入口は、施設だけを開くものではなかった。
真琴自身が、質問される側へ入る入口でもあった。
午後三時二十五分。
試験対象は、B-37になった。
配膳管へ七十二の番号を一枚ずつ読み上げ、本人たちが食器を一度鳴らした番号を除外する。
最後まで鳴らさなかった番号を選ぶ方法だった。
「拒否した人を選んだのでは」
施設記録係が言う。
タマキが答える。
「鳴らさない意味、決めてない」
「では無作為ではない」
「音を出さなかった一人。理由、聞く」
B-37は、放送が聞き取りにくい人だった。
右耳は聞こえない。
左耳も低音だけ。
食器の合図を理解していなかった。
試験に向かない。
だから、向いていた。
巴は人工内耳を装着しなかった。
自分が聞くためではなく、B-37が理解できる方法を先にする。
配膳口へ、白黒の文字板を差し込む。
《今から、ここを審理する場所にしてよいですか》
B-37が鉛筆で返す。
《ここしかないなら》
真琴が口を挟む。
「条件付き同意です。代替案がないことで自由意思が」
巴が振り返る。
《長い》
「しかし、本人が」
《本人へ聞く》
巴は新しい板を差す。
《ほかの場所を待ちたいですか》
返事。
《待つ日を決めて》
《何日まで》
《一月三日》
《今日は、試すだけなら》
《いい》
真琴が言う。
「試験への限定同意。場所指定への一般同意ではない」
巴が頷く。
それだけなら、長くない。
旧配膳室へ審理官が座る。
机は配膳台。
記録機は既存の面会用。
施設職員一名。
外部立会人一名。
真琴は申請者席ではなく、資料提出者として廊下に立つ。
B-37は独房の中。
扉は開けない。
質問回線をつなぐ。
巴の文字板が、配膳口を往復する。
審理官の最初の質問。
《ここで話している間、職員を外へ出してほしいですか》
B-37。
《出して》
冬実が反対する。
「安全確認ができません」
轟が扉下の隙間へ薄い木片を入れた。
「動いたら分かる」
「自傷を防げません」
B-37が板へ書く。
《一人の方が安全》
審理官が聞く。
《職員がいると危険ですか》
《前の施設で、話した後に食事減った》
冬実の顔が変わらない。
「当施設では行いません」
B-37は、その説明を聞いていない。
巴は板へ書く。
《この施設は、話した後に食事を減らさないと言っています》
返事。
《あとで証明できる?》
七瀬が紙へ時刻を記す。
食事量。
配膳時刻。
変更者名。
公開範囲は、数字と時刻だけ。
職員は廊下の角まで退く。
完全には離れない。
木片の動きと、非常紐の揺れだけが見える。
質問が始まった。
《収容された理由の説明を受けましたか》
《能力者と同じ家に住んだ》
《その能力者は、今も同居していますか》
《死んだ》
《いつ》
B-37の鉛筆が止まる。
真琴は次の質問を用意する。
死亡日。
死亡確認。
同居終了。
危険情報。
本人の行為。
巴が手を上げた。
《休む?》
B-37。
《何分》
《あなたが決める》
《五分》
五分、止める。
真琴は時計を見る。
「審理時間が」
巴が彼を見た。
聞こえない相手へ話す時、人は声を大きくする。
巴に対しても、急ぐと皆そうなる。
真琴は声量を下げた。
「七十二件あります」
巴は手話で返す。
《七十二件だから、一件を急ぐ?》
「全員の審理へ到達する必要がある」
《この人の五分を削ると、全員へ何分増える》
「約四秒」
《四秒、誰に渡す》
「計算の話では」
《あなたが計算した》
真琴は時計から目を外した。
自分は、規則で人を守りたい。
人が規則を乱すと苛立つ。
休憩は、進行を乱す。
沈黙は、記録を空白にする。
答えない人は、分類を止める。
止める人を危険と呼べば、施設と同じになる。
「五分」
真琴は言った。
「延長希望があれば、もう一度聞く」
巴が頷く。
五分後。
B-37は続けた。
同居していた能力者は、二年前に死亡。
本人に暴力歴なし。
現在は紙管工場の検品。
右耳の聴力情報が、過去の施設記録では「指示理解困難」と危険欄へ移されていた。
聴こえにくいことが、命令へ従わない可能性として記録されていた。
審理官が最後に聞く。
《今、どうしたいですか》
B-37は、すぐに書かなかった。
長い空白。
真琴は、質問を補足したくなる。
出る。
残る。
別施設。
医療。
仕事。
住居。
巴が黒板へ、空白の枠だけを描く。
待つ。
B-37の鉛筆が動く。
《今日は出ない》
冬実が言う。
「残留希望です」
真琴が言う。
「まだ、そうではありません」
巴が板を差す。
《いつまで》
《薬と家の連絡ができるまで》
《何日までに、もう一度聞く》
《一月三日》
審理官が記録する。
《一月三日までの施設内残留。本人の一般的収容同意ではない。医療・住居連絡後、再審理。危険認定は解除》
扉は開かない。
B-37は外へ出ない。
それでも、収容の意味が変わった。
危険だから閉じ込められているのではない。
期限を選び、次の質問を待つために、今夜だけ中へいる。
審理官は署名した。
「試験成立」
冬実が定規を机へ置く。
「一件です」
「一件が成立した」
「七十一件は」
「同じ結論にしない」
「同じ設備を使う」
「使えることを確認しました」
「事故が起きたら」
轟が北窓の固定金具を外しながら答える。
「止める」
「審理を?」
「作業を。危険の種類で決める」
真琴が申請書の最終頁を開く。
審理官が、施設内指定へ署名する。
《指定範囲 B棟独房列、旧配膳室、面会放送室、看守廊下の床線内》
《指定期間 一月一日午後四時四十分から、一月六日午後六時まで。自動延長なし》
《対象 本件七十二人の収容根拠審理》
《扉の開閉は個別判断後。場所指定は開錠命令ではない》
真琴は最後の一文を二度読んだ。
開けることと、裁くことを分ける。
自由と、退出も分ける。
審理官が印を押した。
旧配膳室の天井で、緑の表示灯が一つ点いた。
面会放送の回線が、B棟の一室へつながる。
続いて二室。
三室。
七十二室を一度にはつながない。
順番に試す。
切る。
記録する。
冬実が言った。
「ここは、法廷になったのですか」
真琴は答えかけた。
巴が先に黒板へ書いた。
《一件だけ》
正しい。
建物へ名前を付ければ、全部が変わったように見える。
変わったのは、一室の一人が、いつまで残るかを自分で答えられたことだけだ。
真琴は申請書の表題を修正した。
《中央抑制拘置所・施設内公開審理》
その下へ、小さく書く。
《成立件数 一》
緑の灯は、一つだけ点いていた。