第449話 第七章「証人席は床」前編
一月二日 午前六時五十八分
環玉樹は、床が動いていると思った。
拘置所の床は、動かない。
動いているのは、タマキの内耳だった。
目を閉じると、右へ傾く。
目を開けると、白い壁が左へ流れる。
だから、起きた時は天井の継ぎ目を三本見る。
一。
二。
三。
数えるなと迅には言う。
自分は数える。
人間は、自分へ禁止できないことを、他人へ忠告するのがうまい。
タマキは寝台から両足を下ろした。
すぐには立たない。
踵。
つま先。
膝。
三か所が床へあることを確認する。
「B-18、起床確認」
扉の外で看守が言った。
「環玉樹」
「番号で返答を」
「番号、あなたが確認する。名前、私が確認する」
「起床していますか」
「してる」
「体調は」
「床が右」
「床は水平です」
「私が右」
「めまい?」
「昨日より二割」
「二割の基準は」
「昨日」
「医療確認を入れます」
「何分後」
「未定」
「未定は、予定じゃない」
看守が扉の向こうで息を吐いた。
「午前八時までに」
「書いて」
「何に」
「記録」
「職員記録へ入れます」
「私に見える?」
「後で」
「いつ」
「医療確認の時です」
「なら、今の返事、受領」
看守は何も言わず去った。
タマキは、壁へ石灰で書いた。
《医療 八時まで》
時刻の下へ、自分の名前。
床が少し戻る。
文字は方向を持つ。
上から下。
左から右。
書いた文字が水平なら、壁が傾いていないと分かる。
能力が発現してから、道を尋ねられることが増えた。
本人は、以前より道に迷う。
世の中は、贈り物へ説明書を付けない。
代わりに請求書を付ける。
午前七時三十五分。
旧配膳室の審理官が、机を拒否した。
「これは配膳板です」
放送越しの声が、B棟へ流れる。
タマキは配膳口へ耳を寄せない。
右耳を向ける。
左耳は、音を遠くする。
方向を近くすることもある。
今日は信用しない。
「板なら、机にできる」
タマキが言った。
看守が扉を開ける。
黒鍵。
開錠時刻、七時三十六分。
久我が廊下の可視板へ書く。
《B-18 作業移動。目的・審理設備設置。終了予定・十時。開錠者・黒鍵担当一名。監査・久我檻》
タマキは黄色い線の手前で止まった。
「どこまで」
「旧配膳室まで」
「途中、止まる?」
「必要なら」
「誰が決める」
「あなたと警護担当」
「違ったら?」
「止まって確認」
「受領」
足首へ拘束具は付けない。
両手も自由。
誓痕抑制区画では、能力は働かない。
働かないから安全だと施設は言う。
タマキは、能力を持つ前にも鉄箱で人を殴れた。
能力がない人間も、床へ頭を打てば死ぬ。
危険を能力だけへまとめると、普通の手が透明になる。
廊下には、配膳板が十二枚積まれていた。
薄い木板。
幅四十センチ。
長さ七十センチ。
片側に汁の染み。
審理官が言う。
「正式な審理机には、書類を分ける面積が必要です」
真琴の声が外部回線から入る。
「規則上必要なのは、資料、判断書、当事者記録が混ざらないことです。面積ではありません」
「混ざらないための机です」
「板三枚を離す」
タマキが言った。
「一枚、資料。一枚、判断。一枚、本人」
「高さが違う」
「同じ箱に載せる」
「安定性は」
「裏、見る」
タマキは板を一枚返した。
四隅に、金属の受け。
配膳車へ固定するための穴。
旧配膳室には、使われていない配膳箱が六つある。
高さ四十五センチ。
同じ規格。
「三つ、並べる」
「固定は」
「配膳車の留め具」
轟の声が外部回線からする。
「留め具、荷重十五キロまで」
「紙、十五キロない」
「真琴の規則集、近い」
「聞こえています」
「法、重い」
「その比喩は昨日済みました」
「建物は毎日、重い」
審理官が咳払いする。
「笑い話ではありません」
タマキは一枚目を箱へ固定した。
「笑っても、留め具は外れない」
審理官は答えない。
板三枚。
左に資料。
中央に判断書。
右に本人用の質問札。
中央だけ、審理官の正面。
「審理官席が低い」
施設職員が言う。
「誰より?」
タマキが聞く。
「当事者より」
「当事者、独房」
「形式上です」
「形式、何をする」
「審理の権威を」
「高いと権威?」
「一般に」
「床、全部より低い」
職員が黙る。
タマキは、審理官席の下へ板を足さない。
代わりに、三枚の板へ白い札を置く。
《資料》
《判断》
《本人》
「これで、混ざらない」
審理官が札を見る。
「名称だけでは」
「置く人、違う」
資料は真琴か施設記録係。
判断書は審理官だけ。
本人用は巴の質問係と当事者だけ。
「手の方が、壁より動く」
「だから、置く時に名前を書く」
タマキは三枚の板の右上へ、細い紙帯を付けた。
置いた人。
時刻。
戻した人。
机ではなく、流れを作る。
物には足がない。
足のある人が、どこへ動かしたかを書く。
午前八時十二分。
医療確認は、十二分遅れた。
看護担当が旧配膳室へ来る。
「B-18」
「環玉樹」
「めまい確認です。座って」
「椅子、審理官」
「床へ」
「床、証人席に使う」
「まだです」
「使う予定」
「あなたの身体が先」
タマキは配膳箱へ座った。
看護担当が眼球運動を見る。
左へ。
右へ。
上へ。
視線を右へ動かした時、部屋が遅れてついてくる。
「吐き気は」
「二」
「十段階?」
「十なら吐く。二は嫌」
「頭痛」
「ない」
「耳鳴り」
「左、細い」
「作業を中止しますか」
「何分」
「中止に分数はありません」
「休憩」
「二十分。その後再評価」
「審理、遅れる」
「あなた一人で作る必要はない」
タマキは、配膳板を見る。
留め具を付けたのは自分。
箱を運んだのは看守二人。
札を書いたのは外の巴。
荷重を確認したのは轟。
一人ではない。
自分だけが止まると、全体が止まると思った。
それは、仕事が重要だからではない。
自分が重要でいたいからだ。
「二十分」
「受領します」
タマキは壁へ背を付けて座る。
看護担当が退出時刻を書く。
施設の床は動かない。
タマキの視界は、まだ少し動く。
二十分の間、看守が配膳板の残りを運んだ。
タマキは口を出した。
「それ、裏」
「休んで」
「汁の面、下」
「休憩中です」
「口、休憩に入ってない」
看守が板を裏返す。
「あなた、黙る方が難しい?」
「料金、別」
「何の」
「黙る料金」
看守が笑った。
タマキは、その笑いを勝ちだと思わない。
看守が笑っても、収容は続く。
ただ、同じ板を持つ手が少し軽くなった。
午前九時零五分。
証人席の位置を決める。
正式な椅子はない。
独房から証言する者は、自分の寝台か床へ座る。
外部証人は、面会廊下。
施設職員は、看守廊下の床線内。
「床を席と呼べません」
審理官が言った。
「座る場所じゃない」
タマキが答える。
「では、なぜ席と」
「立つ場所」
「席は立つ場所ではない」
「証人の位置」
「なら、証人位置です」
「長い」
「正式です」
「証人席、短い」
真琴の声が回線へ入る。
「規則は《証人が他の当事者から区別できる位置》を求めています。椅子を求めていません」
「あなたは今朝から、家具への敵意が強いですね」
「家具ではなく、家具を要件へ昇格させる解釈へ反対しています」
「高い席も不要、正式机も不要、証人椅子も不要。次は法服ですか」
「法服は最初から要件ではありません」
「私の外套は職務識別です」
「それは必要です」
「服は残す」
タマキが言う。
「椅子は?」
「必要な人だけ」
「床へ立てない証人は」
「椅子」
「必要でしょう」
「その人に」
タマキは白い布帯を床へ貼った。
幅五センチ。
長さ一メートル。
一本目。
《証言する人》
二本目。
《質問する人》
三本目。
《記録する人》
それぞれが交差しない。
「証言する人が座るなら、椅子をその線へ置く」
「床線が動いたら」
「動かした人、書く」
「汚れたら」
「貼り直す」
「線を越えたら」
「すぐ罪?」
「安全上の」
「まず止まる。理由、聞く」
「武器へ手を伸ばす場合も?」
「武器、どこ」
「職員装備」
「職員の線、別」
「奪おうとしたら」
「止める」
「誰が」
「近い人。名前、書く」
審理官は溜息をついた。
「すべてを質問へ戻しますね」
「質問がないと、答え、勝手」
タマキは四本目を貼った。
《待つ人》
廊下の壁際。
「それは何です」
「答え、まだの人」
「審理対象者は独房です」
「外の証人。家族。医療。通訳。待つ」
「待合室がありません」
「ここ」
「廊下です」
「廊下を塞がない幅」
轟が図面で確認する。
「壁から四十センチ。車椅子通る時、畳む」
「人は畳めません」
審理官が言う。
「線を畳む」
タマキは布帯の端を面ファスナーにした。
必要な時だけ床へ貼る。
車椅子が来れば剥がす。
待つ人は別の場所へ移る。
「待合室が動くのですか」
「待つ人が動く」
「落ち着かない」
「拘置所、落ち着く?」
審理官は答えなかった。
午前九時四十二分。
審理設備の材料表が、旧配膳室の壁へ貼られた。
配膳板、十二。
配膳箱、六。
白布帯、十八メートル。
面ファスナー、二十四。
透明板、三。
文字板、九。
丸椅子、二。
その下へ、タマキは別の欄を作る。
《誰が作る》
施設側は、収容者六人を作業へ出す予定だった。
作業時間、一時間。
報酬欄、空白。
拒否した場合の扱い、空白。
「作業、収容中の生活訓練」
担当看守が言う。
「賃金なし?」
「訓練です」
「誰の訓練」
「被収容者の社会復帰」
「法廷作ると、何へ復帰する?」
「共同作業です」
「断れる?」
「正当な理由があれば」
「やりたくない、正当?」
「施設判断です」
タマキは材料表の下へ書いた。
《断る理由を施設が採点する作業は、任意ではない》
真琴が外部回線から言う。
「法的には、施設内生活作業と審理準備作業を分ける必要があります」
「長い」
タマキ。
「あなたが先に質問しました」
「短く」
「審理のために働かせるなら、本人が断れて、対価が要る」
「対価、いくら」
轟が答える。
「外の仮設作業の日当を時間割。材料加工は一時間四十二。運搬は三十五。記録は四十」
「細かい」
「肩壊してから、仕事の値段を細かくした」
「前は?」
「俺が持てば早い、で無料」
「悪い経営」
「知っとる」
六人へ、一人ずつ聞く。
B-09は、板の角を削る作業へ同意。
理由は、退所後に木工所の受入れがあるからではない。単に手を動かしたい。
B-28は拒否。
床へ立てない。
理由を詳しく言う必要はない。
B-33は、記録札の穴開けなら行う。
顔と名前は公開しない。
B-41は同意するが、報酬を家族へ送らず本人保管にする。
B-54は、《作れば審理で有利になるか》と聞く。
審理官が答える。
「なりません」
「断れば不利?」
「なりません」
「本当に?」
「判断理由へ作業参加を入れません」
「なら、断る」
「受領」
B-61は、文字を読めない。
タマキは三つの木片を作る。
丸い木片。
三角の木片。
何も刻まない四角。
「丸、やる。三角、やらない。四角、まだ」
B-61は四角を取る。
「今は決めない」
本人が頷く。
頷きだけを同意にしない。
四角を本人の手元へ残す。
十分後、B-61は三角へ替えた。
変更時刻を書く。
結局、作業へ出たのは四人。
拒否二人。
保留から拒否へ変更一人は、拒否二人の内数。
人数を増やすため、別の収容者を補充しない。
「四人だと一時間で終わらない」
担当看守。
「終わる時間、延ばす」
タマキ。
「審理開始が遅れます」
「外の作業員、入れる」
「警備負担が」
「職員が作る」
「通常業務が」
「なら、設備を減らす」
審理官が聞く。
「何を減らせますか」
タマキは材料表を見る。
見栄えのための白布帯、六メートル。
審理官席の高さをそろえる配膳箱、一つ。
待合を示す文字板、二枚。
「これ」
「審理官席が低くなります」
「床、同じ」
「権威が」
審理官が言いかけ、自分で止めた。
「機能へ影響しません」
「じゃあ減らす」
法廷らしさを削ると、法廷に必要な物が見えた。
午前十時九分。
B-61の公開範囲確認を、触覚札で試した。
丸は声。
三角は名前。
波形は顔。
四角は理由。
無地は何も出さない。
本人は、丸と無地を同時に取った。
担当看守が困る。
「声を出すのか、何も出さないのか」
タマキは本人へ聞く。
「審理では声を使う。外へは何も出さない?」
B-61が頷く。
「頷き、確認方法」
本人は丸を審理卓へ置き、無地を公開箱へ置いた。
「受領」
声を使うことと、声を公開することは違う。
設備は、同じ身体動作へ一つの意味しか与えない時に壊れる。
タマキは札の裏へ小さな突起を足す。
審理用。
公開用。
見える人には字。
触る人には形。
どちらも使いたくない人には空白。
作業が終わる頃、床がまた右へ流れた。
タマキは木槌を握ったまま、壁へ手を付く。
「大丈夫?」
B-09が聞く。
「木槌、受け取って」
「俺が?」
「今、私が持つと床へ落とす」
B-09は、手を出す前に看守を見る。
工具授受の許可が要る。
看守が頷く。
タマキは頷きだけで済ませない。
「B-09へ木槌一。目的、作業継続。返却先、工具箱」
「受領」
B-09が言う。
能力が働かない区画で、道具を渡すだけに、四人の確認が要る。
面倒だった。
面倒は、いつも悪いとは限らない。
人を閉じる時だけ速く、道具を渡す時だけ遅い制度よりは、理由が見える。
タマキは五分、床へ座った。
休むことを作業拒否にしない。
代わりに、休憩開始と再開予定を書く。
《十時十五分。前庭症状。本人申出で休憩。十時二十分再確認》
再開時刻は、約束ではない。
再確認の時刻だ。
午前十時二十八分。
タマキはB-28へ配膳板を運ぶはずだった。
右へ曲がった。
二つ目の角。
白い壁。
同じ扉。
足元の番号は、B-38だった。
看守が後ろから言う。
「違います」
「分かってる」
「今、止めなければ」
「止まった」
「B-28は反対側です」
反対側。
言葉が、床をさらに傾ける。
タマキは壁へ右手を付いた。
左耳の奥で、細い音が鳴る。
能力なら、送り主と受取人がそろえば、通れる一方向が分かる。
ここでは働かない。
働いたとしても、今の荷物は配膳板だ。
受取人を本人へ聞いていない。
「B-38」
タマキは扉へ声を掛けた。
「名前、言いたくなければ番号。ここ、B-38?」
中から、二度、壁を叩く音。
昨日決めた合図。
二度は《はい》ではない。
《聞こえた》だ。
「B-38なら、一回。違うなら三回」
一回。
「受領」
看守が言う。
「表示されています」
「表示と本人、両方」
「本人が嘘をついたら」
「表示も間違える」
「では、何を信じる」
「二つ違ったら、止まる」
タマキはB-38へ板を渡さない。
「B-28、どっち」
看守が指す。
タマキは指先を見ず、足元の線を見る。
「一緒に歩いて」
「案内が必要ですか」
「必要」
認めると、床が水平になるわけではない。
ただ、倒れた時に誰が近いか分かる。
看守はタマキの半歩前を歩く。
「右へ曲がります」
「右、私の?」
「あなたの右」
「言って」
「次、あなたの右」
「受領」
B-28の前へ着く。
タマキは扉へ聞く。
「ここ、B-28?」
一回。
「板、受け取る?」
中から、三回。
違う。
「何が違う」
文字板が配膳口から出る。
《板はいらない。床へ立てない》
タマキはしゃがむ。
「椅子、要る?」
《寝台で話す》
「寝台を証人席にする?」
《寝台は寝る場所》
「じゃあ、証人席、要らない」
《声だけ》
「受領」
審理官が求めた形式を、本人が要らないと言った。
タマキは板を持ち帰る。
形を整えることと、全員を同じ形へ入れることは違う。
法廷は、椅子を用意する場所ではない。
椅子を断った人の声が、椅子を使う人と同じ重さで届く場所だ。
正午。
最初の正式審理が始まった。
対象はB-09。
元能力者。
能力喪失から八か月。
現在は浴場の配管助手。
収容理由は、《能力停止事故後の再発可能性および関連者との接触》。
B-09は独房の床へ座る。
立つと膝が痛む。
証人位置の白布は、扉の外へ置く。
本人の身体へ貼らない。
外部証人は職場の親方。
面会廊下の線へ立つ。
質問者は巴。
記録は七瀬の音声と施設記録の二系統。
真琴は資料板へ記録を置く。
審理官が聞く。
「現在、能力を使用できますか」
B-09。
「できない」
「再発する可能性は」
「知らない」
「医療記録では」
「見せてもらってない」
施設側が医療要約を出す。
《再発可能性を否定できない》
真琴が言う。
「否定できないことを、肯定へ読み替えないでください」
冬実が返す。
「再発時の危険を無視できません」
B-09の職場親方が、証人線から言う。
「再発したら、配管が早く直る」
「能力の内容は」
「熱を逃がす」
「制御不能なら、凍結や熱傷が」
「だから、浴場で働いてる。温度計がある」
「職場の管理で十分と?」
「十分かは知らん。拘置所よりは温度計が多い」
審理官が少し口元を緩める。
冬実は笑わない。
「住居は確保されていますか」
親方が答える。
「今朝、部屋を他へ貸した」
B-09が扉の内側で立ち上がる音。
「何で」
「戻る日、分からんかった」
「俺の道具は」
「倉庫」
「誰が触った」
「私だ」
「勝手に」
「家賃が」
「証人席で、雇用主と喧嘩しないでください」
審理官が言う。
B-09が返す。
「法廷って、喧嘩を順番にする場所じゃないのか」
真琴は言い返しかけた。
巴が先に黒板へ書く。
《順番。止める権利。記録》
タマキは三本の床線を見る。
証言する人。
質問する人。
記録する人。
線は、喧嘩を消さない。
誰の言葉がどこから来たかを分ける。
親方が言う。
「部屋は、三日までなら戻せる。借りたやつに説明する」
「三日を過ぎたら」
「別の部屋。狭い」
B-09が聞く。
「浴場は」
「来い。能力が戻っても戻らなくても、温度記録からやれ」
「賃金」
「拘置中の分は払わん」
「呼ばれて来たのに」
「働いてない」
イオの声が別回線から入る。
「拘置で働けなかった。本人の欠勤?」
「店の責任じゃない」
「施設の責任、審理する」
冬実が言う。
「補償は別手続きです」
タマキは、配膳板の端へ新しい札を置いた。
《別手続きの窓口/期限》
別と言われたものは、消えやすい。
だから、別の行先を書く。
審理官の判断。
《危険認定解除。即時退所可能。ただし本人が住居確認まで施設内残留を希望する場合、一月三日正午まで。再確認あり》
B-09が言う。
「今日、出る」
「部屋は」
「親方の倉庫で寝る」
「安全確認を」
冬実が言う。
「浴場の温度計より、倉庫の寝具を先に見てください」
B-09が返す。
「所長、俺の寝床まで選ぶのか」
「選びません。危険を説明します」
「聞いた。寒い。狭い。親方がうるさい」
「ほかの選択肢は」
「明日、探す」
「今夜は」
「倉庫」
「戻れます」
「どこへ」
「ここへ」
冬実の言葉が一瞬遅れる。
「期限内なら」
B-09は、扉の内側で笑った。
「戻るかもしれないって言えば、出してくれるのか」
「戻る権利を残します」
「最初から、それがあれば逃げなかったやつ、いるんじゃないか」
廊下が静かになる。
タマキは床線を見た。
証人席は、誰かを高くする場所ではない。
帰りたいと言う人と、戻るかもしれないと言う人が、同じ床へ足を置ける位置だ。
審理官が判断書へ署名する。
B-09の扉は、まだ開かない。
開錠担当が来るまで、十四分。
タマキは、その十四分を《待つ人》の線へ書いた。
午後四時二十二分。