第452話 第八章「久我の鍵」後編
午前八時二十分。
七十二枚は集まらなかった。
封印参加、五十六。
参加拒否、九。
返答なし、七。
五十六枚を輪へ挟む。
九人分は、理由なしで件数だけ記録する。
七人分は、《未確認》。
黒輪を透明箱へ入れる。
封印帯を三本。
一本は檻。
一本は審理官。
一本は、収容者側の紙帯を束ねたもの。
七瀬は箱全体を撮る。
氏名も番号も映さない。
「これで、あなたは持っていない」
冬実が言った。
「持ってない」
「緊急時に、あなた一人で全部を開けることもできない」
「できない」
「安心ですか」
檻は透明箱を見る。
安心ではない。
鍵が分かれている。
命令が分かれる。
誰かが遅れる。
誰かが反対する。
弟を見失った広い避難地みたいに、出口が多い。
胸が狭くなる。
鍵管理室の壁へ指を付ける。
「安心じゃない」
「なら、なぜ」
「安心より、戻せる」
「何を」
「間違い」
冬実は、定規を握る。
「間違いを戻す間に、人が死ぬことがあります」
「一人の間違いで、七十二閉じることもある」
「私が、その一人だと?」
「私も」
檻は冬実だけを指ささない。
「全権、持つと、守った数を数える。閉じた人、見えなくなる」
「私は全員の名前を覚えています」
「呼んだ?」
「施設内では番号です」
「裏で覚えても、本人、知らない」
冬実の左袖の内側に、小さな刺繍布が見えた。
名前。
一つだけ。
檻は読まない。
他人が隠した名を、視力の良さで奪わない。
「名前を覚えることと、名前で決めさせること、違う」
冬実は袖を直した。
「鍵を分散します」
言葉が平坦だった。
「ただし、運用責任は私に残る」
「残す」
「あなたも監査責任を負う」
「負う範囲、書く」
「全体を負ってください」
「負わない」
「協力するのに?」
「全体は、持てない」
「持ちたくないだけでは」
「持ちたいから、持たない」
午前九時。
鍵が配られた。
黒鍵一組目。
黒鍵二組目。
黒鍵三組目。
青鍵。
黄鍵。
赤鍵の封印箱。
それぞれの担当者が、受領時刻を書く。
檻は鍵を持たない。
方眼紙。
白いチョーク。
監査用の空箱だけ。
最初の開錠は、B-09。
昨日、即時退所を選んだ浴場配管助手。
黒鍵二組目の看守が回す。
可視ログへ印字。
《九時零分十四秒/B-09/審理結果による退所/開錠担当・職務番号》
炭紙の複製が、透明板の裏へ流れる。
B-09が内側から読む。
「理由、合ってる」
看守が聞く。
「開けます」
「もう開いてる」
「扉を全開にします」
「半分」
「なぜ」
「廊下、見たい」
「外へ出るには全開が」
「半分、見てから」
看守は檻を見る。
檻は鍵を持っていない。
「本人、半分」
「警備上」
「全開、後で」
看守は扉を半分だけ開く。
B-09が廊下を見る。
左右。
床線。
職員。
外部立会人。
「親方、来てる?」
面会廊下から声。
「来た。倉庫、寒いぞ」
「知ってる」
「布団、一枚」
「二枚」
「家賃」
「今日、法廷でやる話か」
「ここ、法廷?」
「旧配膳室だって」
B-09が笑う。
「じゃあ、家賃の話にちょうどいい」
扉が全開になる。
鍵は看守の手にある。
開ける判断は審理官。
幅を選んだのはB-09。
時刻を残すのは機械。
機械の紙を見ているのは、廊下の中と外。
一人の英雄はいない。
檻は空箱へ、最初の開錠記録の写しを入れた。
鍵の音が一つ鳴る。
少し離れた場所で、別の鍵が鳴る。
同じ輪には、もう通っていなかった。