第456話 第十章「公開審理」後編
午後四時五十八分。
最後の審理が終わった。
七十二人。
結果は三つ。
即時退所――二十九人。
施設内残留――十八人。
別施設への期限付き移送――二十五人。
巴は数字だけを黒板へ書く。
その下へ、注意を三つ。
《残留=同意ではない》
《移送=有罪ではない》
《退所=責任消滅ではない》
二十九人の中には、根拠がなかった人。
具体的行為はあるが予防収容が不要な人。
別手続きへ出頭する人。
住居も仕事も失ったまま出る人。
十八人の中には、薬を待つ人。
部屋を探す人。
外の相手から所在を隠す人。
まだ決めない人。
審理へ異議を出すため残る人。
二十五人の中には、医療へ行く人。
具体的な暴力の再審理を受ける人。
本人が選んだ保護住宅へ移る人。
家族とは別の施設を選ぶ人。
同じ箱へ入らない。
審理官が最終確認を始める。
真琴が、先に一枚の集計を開いた。
「所長就任前の六か月と、就任後の六か月を比較します。被収容者間の私的暴力は十九件から四件。薬剤紛失は三十一件から二件。数字に異議は」
「記録漏れの可能性があります」
冬実が答える。
「それでも、減った」
「はい」
「あなたの運用が、実際に守ったものです」
「はい」
真琴は次の質問をすぐに出せなかった。
施設が人を傷つけた事実だけで、守られた夜を消すことはできない。
守った夜だけで、期限のない拘禁を正しくすることもできない。
「その結果は、無期限収容の根拠になりますか」
「なりません」
「では、なぜ職員は従った」
「数字が下がったからです。私が正しいように見えた。私にも、そう見えました」
真琴はそこで初めて、冬実を論破するためではなく、職員が従った理由を記録した。
「賀茂冬実所長」
冬実が立つ。
「はい」
「動的危険評価試験を承認しましたか」
「しました」
「審理指定後、被収容者へ通知せず扉を開放しましたか」
「はい」
「鎮圧隊を待機させましたか」
「はい」
「開放により得た反応を、収容継続判断へ使用する予定でしたか」
「予定でした」
「施設崩落と負傷者が出ました」
「はい」
「あなたは隔壁を停止し、退避を指示しました」
「はい」
「それによって被害が抑えられました」
「はい」
「前者と後者は相殺しません」
「理解します」
「理解ではなく、異議は」
「あります」
冬実は右手で定規を持ち直す。
「試験そのものが直ちに違法とは認めません。施設は逃走時の反応を把握する必要がある。外部危険が現実である以上、保護施設には予測訓練が要る」
「通知なしで?」
「通知すれば、試験ではなく訓練になります」
「人を試験対象へする同意は」
「収容規則に危険評価への協力条項があります」
真琴が言う。
「その条項は、私の関連者覚書を参照しています」
「だから無効と?」
「いいえ。作成経緯と適用範囲を審理すべきです」
「その間、危険評価を止めれば」
「止める範囲を決めます」
「また、誰かが出て死ぬ」
冬実の声が初めて揺れた。
巴は、その揺れを息子の話へ結びつけない。
本人が出していない家族史を、性格の説明に使わない。
「外は安全ではありません」
冬実が言う。
「ここも安全ではなかった」
自分の主語で。
審理官は判断書を読む。
《中央抑制拘置所所長・賀茂冬実について、審理妨害に当たる無通知開放試験、無期限予防収容の運用、面会通知不一致、関連者分類の個別更新欠如を理由に、所長職を即時停止する》
《施設保全協力は、建築安全情報の提供に限り継続可能。鍵、収容判断、職員配置、記録編集の権限は停止》
《保護実績、事故時の退避判断、被収容者の生存維持は、責任判断から削除しない。同時に、違法運用の免責根拠にも用いない》
《賀茂冬実本人の審理を開始する。本人は弁護人、公開範囲、医療、質問拒否を選べる》
冬実が聞く。
「施設から退去しますか」
「職務としては」
「被告人としては」
「あなたが選べます。外部居所、医療施設、施設内の職員休憩室。ただし鍵管理区画への立入りは不可」
「残れば、拘禁への同意になりますか」
「なりません」
冬実は左小指の副木を見る。
「医療室に残ります。今夜まで」
「期限は」
「一月六日、午前九時。そこで再確認」
「受領」
所長は、施設内残留を選んだ。
被収容者と同じではない。
権限も、部屋も、責任も違う。
同じ《残る》の一語へ入れない。
午後五時二十分。
巴は黒板の数字を消さなかった。
二十九。
十八。
二十五。
合計、七十二。
真琴が、自分の覚書の写しを公開箱へ入れる。
「取り消し線を引きますか」
巴が聞く。
「引きません」
「なぜ」
「無効化を求めますが、書いた事実は消さない」
「後悔?」
「あります」
「短い」
「これ以上、説明すると、自分を理解してほしくなる」
巴は手袋の句点をなぞった。
「理解、免罪じゃない」
「あなたが言うと、少し安心します」
「安心させる仕事じゃない」
「知っています」
旧配膳室の外で、鍵が鳴る。
まだ一つも、一斉には開かない。
結果は出た。
扉は、結果より遅い。
その遅さを誰の命令で埋めるかが、最後に残っていた。