第457話 第十一章「扉を開けさせる」前編

一月五日 午後五時三十二分

 獅堂凱は、命令できる場所へ立っていた。

 中央抑制拘置所の外門前。

 右に、施設職員二十六人。

 左に、被収容者の家族と支援者百人以上。

 正面に、外部審理官。

 背後に、白い門。

 門の向こうに、七十二の扉がある。

 旧白冠の王だった頃なら、一言で足りた。

 開けろ。

 短い命令は、遠くまで届く。

 その代わり、途中にある人間の名前を消す。

「凱!」

 群衆から声が飛ぶ。

「全部、開けさせろ!」

「審理は終わった!」

「まだ中にいる!」

「所長は止められた!」

「今度は誰の許可を待つんだ!」

 凱は左膝を伸ばし切らない。

 装具の内側が、冷気で硬い。

 長く立つと腫れる。

 以前なら、痛みを立ち続ける理由にした。

 今は、三十分ごとに椅子へ座ると決めている。

 椅子は後ろにある。

 まだ座らない。

「審理結果が出た」

 凱が言う。

 声を張る。

 能力は働かない。

 働かせない。

「即時退所二十九。施設内残留十八。期限付き移送二十五。全員を同じ扉から、同じ場所へ出す結果ではない」

「残留は脅されたんだ!」

「そうかもしれない」

 群衆がざわめく。

「なら開けろ!」

「本人へ、もう一度聞く」

「聞いてる間に閉じ込められる!」

「だから、期限と変更窓口を先に作る」

「王みたいに言うな!」

 別の声。

「王に戻れ!」

 同じ群衆が、反対のことを言う。

 凱は笑わない。

「どちらも断る」

「じゃあ何ができる!」

 外部審理官が文書を持ち上げた。

「施設長の職務停止により、現時点の開錠実施責任者が空席です。安全連絡委任を受けている獅堂凱へ、開錠順序の調整権を臨時に付与できます」

 群衆が沸く。

 権限は、空席を嫌う。

 人間も嫌う。

 空いた椅子を見ると、誰かを座らせたくなる。

 凱は文書を受け取らない。

「調整権の範囲は」

 真琴が外門机から聞く。

「審理結果に沿った開錠、移動経路、職員配置。構造上の緊急時には一括開錠命令を含みます」

「期限」

「本日午後十時。または実施終了まで」

「自動延長」

「なし」

「異議申立て」

「外部審理官へ」

 真琴が凱を見る。

「法的には受けられます」

「君なら受けるか」

「質問が私へ来るのは卑怯です」

「答えろ」

「受けます。ただし、自分の過去の署名があるため、単独決裁は避けます」

「俺も同じだ」

「あなたの過去は署名ではなく王命です」

「だから、なおさらだ」

 審理官が言う。

「調整権を拒否しますか」

「受ける」

 群衆がまた沸く。

 凱は続けた。

「ただし、俺の開錠命令で扉を開けない」

「矛盾しています」

「順序と人員を調整する。開ける根拠は、一人ずつの審理結果。残留者は、本人の再確認。移送者は、受入先の受領。俺が《全部》と言ったから開く扉は、一つも作らない」

「時間がかかります」

「かける」

「外の群衆が」

「待てない人は帰れる」

 群衆へ向く。

「ここにいることを、収容者への支持として数えない。帰ることを、反対としても数えない。寒い。食事も要る。待つ人は、待つ期限を自分で決めろ」

 誰かが罵声を上げる。

「格好つけるな!」

「格好は、もう返した」

 白冠も、王冠も。

 返した物は、頭へ戻さない。

 午後五時四十六分。

 外門前の百人は、待ち方を決めていなかった。

 門へ近い者ほど、正しいわけではない。

 長く待った者ほど、関係が深いわけでもない。

 土門小麦が、白線の外へ三つの鍋を置いた。

 豆の汁。

 塩気の薄い麦粥。

 湯。

 無料とは書かない。

《待機者一杯・二》

《支払えない場合・後払いまたは免除を本人が選択》

《収容者家族であることを証明しない》

「二って何だ」

 凱が聞く。

「二」

「通貨単位」

「小さいから書いてない」

「書け」

「元王、会計へ厳しい」

「塩路の車列で覚えた」

「遅い」

 小麦は《二銭相当》と足す。

「家族は無料じゃないのか」

 待っている男が言う。

「誰の家族か、聞かない」

「息子が中にいる」

「言わなくていい」

「言いたい」

「聞く。でも、割引理由にしない」

「冷たいな」

「汁は熱い」

 男は二銭を払う。

 別の女は払わない。

「免除」

 自分で言う。

 小麦は理由を聞かず、帳簿へ《本人選択・免除》と書く。

 待つ人の身体は、政治的圧力の数へ入れやすい。

 空腹なら、なおさら帰れない。

 小麦は、食べたから残った、食べなかったから帰った、という記録を作らない。

 外門右側には、帰る人の道。

 左側には、待つ人の道。

 中央は救急と移送車。

 白布で分ける。

 旗にはしない。

 七瀬が高い位置から線だけを撮る。

「人を映さないと、空いて見える」

 凱。

「人数札を置く」

「今、百二」

「待機継続六十八。帰宅予定二十一。未回答十三」

「聞いたのか」

「札で。答えないも選べる」

「全員が待つと、映像にした方が強い」

「強くするために撮らない」

「施設が、外は落ち着いていると発表したら」

「人数と線を出す」

「顔は」

「本人が選ぶ」

「遅いな」

「扉を早く開けたい?」

「開けたい」

「それを映像へ入れる?」

 凱は答える前に、左膝を曲げ直した。

「入れる。だが、俺の焦りを開錠根拠にしない」

「受領」

 七瀬は凱の顔を撮らない。

 調整権の文書と、三十分ごとの着席札だけを撮る。

 凱が早さを求めたことは残る。

 早さを命令へ変えなかったことも残る。

 午後五時五十五分。

 家族と支援者へ、開錠時の規則を説明する。

 出てくる人へ触れない。

 名前を叫ばない。

 写真を撮らない。

 拍手、歌、旗、抱擁は本人が選ぶ。

 拒否されたら下がる。

「抱擁まで規則にするのか」

 凱が聞く。

 巴が黒板へ書く。

《規則じゃない。お願い》

「断ったら」

《扉は止めない。本人が避けられる道を作る》

「では、お願いを聞かない人がいたら」

《その人を記録。収容者の退所を罰にしない》

 門を出た瞬間を、家族の権利にしない。

 門の中にいた時間が長いほど、外の人間は自分の待った時間を返してほしくなる。

 だが、出てきた身体は返礼品ではない。

 六時まで、あと五分。

 凱は椅子へ座る。

 群衆から、「今座るのか」と声が飛ぶ。

「三十分ごとだ」

「最初の扉が開くぞ!」

「だから座る」

「立って迎えろ!」

「迎えるかは、出る人が決める」

 凱は左膝を伸ばし、冷却布を三分当てる。

 立ち続ける王を求める声より、決めた休憩を守る。

 午後五時五十九分五十秒。

 四つの箱が、門前へそろった。

 午後六時零分。

 開錠手順は、扉の番号順にしなかった。

 第一群。

 即時退所で、医療・住居・移動手段が確認済みの者。

 第二群。

 期限付き移送で、受入先が到着した者。

 第三群。

 即時退所だが、物品返却や連絡を待つ者。

 第四群。

 施設内残留を選び、内側開錠具と期限札の設置を希望する者。

 番号順は分かりやすい。

 分かりやすい順番が、必要な順番とは限らない。

 凱は外門の長机へ、四つの箱を置いた。

 タマキが作った配膳札と同じ構造。

《根拠》

《本人》

《受入》

《開錠》

 一扉につき、四枚。

 根拠は審理官。

 本人は本人または本人が選んだ記録方法。

 受入は家、医療、保護住宅、職場、施設内残留担当。

 開錠は久我の可視ログ。

「王の仕事が、札運びになったな」

 七瀬が言った。

 撮影機は固定台。

 左肩へ負担を掛けない高さ。

「元王だ」

「札運びは現役です」

「君が撮れば、俺が運ぶ」

「撮影を命令しないで」

「提案だ」

「選択肢は」

「撮る。撮らない。誰かへ渡す」

「範囲は」

「扉と時刻。顔は本人次第」

「合格」

「誰の試験だ」

「私の」

「採点者も?」

「他人に任せると、映像へ名前を入れられます」

「支配的だな」

「元王に言われたくない」

 凱は一枚目の札を取った。

 B-12。

 根拠、即時退所。

 本人、顔非公開・声公開。

 受入、自分で宿へ移動。住所非公開。

 開錠、黒一担当。

 門内放送をつなぐ。

「B-12。審理結果、即時退所。現在の希望を確認する」

 中から声。

「出る」

「物品返却は」

「手袋、違う人」

「確認する。待つ?」

「待たない。後で受け取る」

「外へ出た後、戻る窓口は」

「物品窓口。十五日以内」

「顔の記録は」

「撮らない」

「声は」

「今のだけ」

「受領」

 凱は四枚をそろえる。

 久我が内側で、黒一担当へ合図する。

 鍵が回る。

 可視ログ。

《十八時三分十一秒/B-12/即時退所/本人再確認済み》

 七瀬が時刻を読む。

 扉が開く。

 B-12は、顔へ布を巻いて出てきた。

 外門へ向かう。

 群衆が拍手しかける。

 凱は止めない。

 B-12本人が、右手を上げる。

「やめて」

 拍手が止まる。

「私、勝ったんじゃない」

 誰かが言う。

「でも、出られた!」

「部屋、ない。上着、返ってない。元夫、見つかってない」

「それでも」

「それでも、拍手は要らない」

 B-12は門を出た。

 祝いではなく、交通費の受付へ行く。

 最初の扉が開いた。

 凱は、号令を掛けなかった。

 午後六時二十七分。

 七扉が開いた。

 八番目で止まった。

 B-28。

 仮斜路がまだ完成していない。

 轟は、南側の段差へ木枠を合わせている。

 左腕は腰より少し上。

 右手で固定具を締める。

「あと、六分」

 凱が聞く。

「五分前も六分だった」

「板、反った」

「交換?」

「削る」

「急げるか」

「急ぐと、滑る」

「六分」

「六分」

 群衆が外で叫ぶ。

「先に別の扉を!」

 凱は次の札を見る。

 別の即時退所者。

 受入確認済み。

 順序を変えれば、全体は早い。

 B-28は、自分の番が飛ばされたと感じるかもしれない。

 あるいは、待たせるより別を進めてほしいかもしれない。

 凱は門内放送へ聞く。

「B-28。斜路完成まで六分。次を先に開けるか、あなたの番を待つか」

「次」

「理由は記録する?」

「板が反った。私のせいじゃない」

「記録する」

「六分って言ったのも」

「記録する」

 順序変更。

 凱が決めたのではない。

 決めなかったわけでもない。

 質問を出すことを決めた。

 九番目の扉が先に開く。

 五分四十秒後、轟が斜路を叩く。

「できた」

「六分より早い」

「急いでない」

「板は」

「削った」

 B-28の扉が開く。

 本人は寝台用の小さな車椅子へ移る。

 両手すり。

 斜路。

 押す人を選ぶ。

「轟」

 B-28が言う。

「俺?」

「作った人」

「押すの、別技能」

「できない?」

「できる」

「じゃあ」

 轟は左肩を上げず、右手と腰で車椅子を支える。

 斜路を下りる。

 一段だった場所を、時間を掛けて通る。

 群衆は、今度は拍手しない。

 車輪の音だけが残る。

 午後七時十三分。

 期限付き移送の一人が、扉を開ける直前に拒否した。

 B-44。

 病院車は来ている。

 内側から開けられる病室。

 家族へ服薬情報を渡さない条件。

 七日間。

 四枚がそろっていた。

「行かない」

 本人が言った。

 施設職員が言う。

「昨日、同意しています」

「今日、行かない」

「病院車は、遠方から」

「知らない」

「医療上、早い方が」

「今、怖い」

 凱は札を置く。

「何が」

「車」

「病院ではなく?」

「車。前、家族に乗せられた」

「別の移動方法は」

 受入担当が答える。

「小型車、徒歩、明朝の低床車。徒歩は寒冷と距離で不適」

「今日、残る?」

「一晩」

「期限」

「明日の朝」

「何時」

「八時」

「その時、もう一度聞く」

「うん」

 病院車は空で帰る。

 運転手が不満を言う。

「燃料と人員が」

 B-44の声が小さくなる。

 凱は受入担当へ言う。

「費用を、本人の迷惑として伝えるな」

「現実の費用です」

「記録する。負担者を決める。本人の同意へ圧として使わない」

「誰が払う」

「施設の運用変更費として申請する」

「認められなければ」

「申請者名を俺にする」

「王命で?」

「請求書で」

 七瀬が言う。

「王より逃げにくいですね」

「金がない」

「なお悪い」

「払えない約束はしない。申請する責任だけだ」

 B-44の扉は閉じたまま。

 移送二十五人の人数は変わらない。

 時刻だけが変わる。

 変更は失敗ではない。

 変更できない同意の方が、よほど失敗に近い。

 午後八時零二分。

 久我の可視ログと、七瀬の時刻記録を照合する。

 一月四日、午前十時十九分。

 十六扉の非常解放索が動いた。

 鍵の開錠ログ、なし。

 施設放送。

 午前十時十九分四十八秒。

 鎮圧隊の進入。

 午前十時二十分十二秒。

 動的危険評価試験の実施予定。

 午前十時二十分。

 扉は予定より四十二秒早く開いた。

 保守索の張力調整ミス。

 試験そのものは計画されていた。

 早発は事故だった。

 事故だから、計画が消えるわけではない。

 計画が悪いから、事故の責任が全部そこへ集まるわけでもない。

 担当者を分ける。

 計画承認。

 賀茂冬実。

 索調整。

 保守担当二名。

 時刻設定。

 運用担当一名。

 鎮圧隊進入。

 現場指揮一名と個別隊員。

 短棒落下。

 白四。

 停止楔。

 冬実。

 支保。

 轟と作業員三名。

 B-22制止。

 イオ、黒二。

 迅の独房進入。

 看守二名。

 迅の抵抗。

 迅。

 七瀬が言う。

「映像だけなら、迅が看守を倒した場面が一番分かりやすい」

「倒してない」

 回線から迅が返す。

「寝台へ座らせた」

「字幕で《制圧》にできます」

「するな」

「しません」

「最初から言うな」

「分かりやすさが、何を消すかの確認です」

 凱が時刻表を見る。

「私が全部開けろと言えば、この表も短くなる」

《凱の命令で開錠》一行ですね」

「便利だ」

「使いますか」

「使わない」

「なぜ」

「俺を責任者にすれば、他の責任が消える」

「あなたの責任もある」

「ある」

「なら、どこへ」

「調整権を受けた。遅れ、順序変更、費用申請。俺の欄へ入れる」

「全部開けなかった責任は」

「入れる」

「開けるのが遅くて、誰かが傷ついたら」

「入れる」

「開けて傷ついたら」

「その判断者と分ける」

「王ではない割に、答えますね」

「王でないから、自分の範囲だけ答えられる」

 七瀬は撮影機の固定を、タマキへ任せた。

 左肩を休める。

「元王」

「何だ」

「三十分」

 凱は時計を見る。

 立ってから、三十三分。

「あと一扉」

「座る期限は、扉の都合で延びません」

「俺が決めた期限だ」

「だから守って」

 凱は椅子へ座る。

 左膝を伸ばす。

 次の札を、真琴へ渡す。

「三分、読め」

「調整権の委任ですか」

「札読みだけ」

「範囲が狭い」

「不満か」

「安心しました」

 午後八時三十一分。