第459話 第十二章「出所ではない自由」前編

一月六日 午前七時零分

 水科イオの薬は、時刻どおりに来た。

 今日は番号ではなく、名前で呼ばれた。

「水科イオさん。本人確認」

「水科イオ」

「服薬内容を」

「不整脈薬。胃薬。電解質補助」

「体調は」

「膝、昨日より三。脈、今は飛んでない」

「十段階?」

「十なら歩かない。三は文句を言う」

「文句はいつもでは」

「今日は医療記録へ入れる文句」

 看護担当が笑わず、記録した。

 薄い牛乳は五十八度。

 収容中と同じ。

 違うのは、扉の内側へ回転つまみが付いていることだった。

 イオは即時退所二十九人の一人だ。

 法的には、昨日の午後六時三十四分に退所している。

 実際には、夜間の薬剤調整と寝床確認を理由に、一泊残った。

 本人が選んだ。

 選んだことと、ほかに良い選択肢があったことは違う。

「朝食後、外へ出ますか」

 看護担当が聞く。

「出る」

「行先は」

「元能力者作業相談所」

「受入確認は」

「九時から」

「それまで」

「外門待機所」

「暖房が弱いです」

「知ってる」

「膝に」

「毛布、借りる」

「戻る選択も」

「八時半に、また聞いて」

「分かりました」

 看護担当は、《残留継続》へ丸を付けない。

 《八時三十分に再確認》と書く。

 昨日まで、時間を守る施設だった。

 起床。

 薬。

 朝食。

 消灯。

 大きい時刻ほど空欄だった。

 今日は、出る時刻が書かれている。

 ただし、書かれた時刻に必ず出なければならないわけではない。

 期限と命令の違いは、変更した時に分かる。

 午前七時四十分。

 旧配膳室は、審理室から返却窓口へ変わっていた。

 名称は付けない。

 昨日の三枚の板。

《資料》は、《返す物》へ。

《判断》は、《失った物》へ。

《本人》は、そのまま。

 タマキが札を書き替えている。

 左耳へ柔らかい耳当て。

 視線を床へ落としすぎない。

《失った物》、物だけ?」

 イオが聞く。

「仕事も」

「家賃」

「薬」

「信用」

「信用、返せる?」

「受取人、誰」

「分からない」

「なら、窓口なし」

「作れない?」

「作ると、信用を返したことにする」

 タマキは札の端へ、小さく足す。

《戻せない物》

「これなら」

「多い」

「多い方が、嘘が少ない」

「巴みたい」

「嫌」

「聞こえてる」

 外部回線の向こうで、巴が手を上げた。

 人工内耳を付け、短時間だけ音声会話へ参加している。

《戻せない》は、決めつけ」

「戻るかもしれない」

「本人が決める」

 巴が黒板へ書く。

《今、戻っていない》

 タマキが札を直す。

《今、戻っていない物》

「長い」

「正確」

 真琴が外から言う。

「私の台詞を取らないでください」

「誰のものでもない」

 イオは板へ、自分の紙を置いた。

《作業相談所の臨時検査員契約 十二月二十九日から欠勤扱い》

《日当 未払い三日分》

《一月二日付で、担当設備を別人へ移管》

《宿舎 七日まで》

《不整脈薬 四日分》

《能力再発検査 予約取消》

「最後、要る?」

 タマキが聞く。

「要る」

「能力、もうない」

「ないから、予約を取り消した人がいる」

「再発すると思われた?」

「再発しないと思われた。検査する価値がないって」

「どっちも、勝手」

「そう」

 能力が戻ると思われて閉じ込められた。

 能力が戻らないと思われて検査を切られた。

 同じ身体へ、逆の判断が乗る。

 イオは左前腕の真鍮装具を受け取った。

 保管袋。

 傷、二。

 ねじ緩み、一。

 保管中の作動、なし。

 腕へ巻く。

 秒の振動が戻る。

 能力は戻らない。

 時間を知らせる装置は、時間を止めない。

「動く?」

 タマキが聞く。

「時計は」

「腕は」

 イオは右手を握る。

 普通の筋力。

「動く」

「前と同じ?」

「前って、いつ」

「能力ある時」

「違う」

「ない時」

「昨日とも違う」

「面倒」

「人、一つじゃない」

「巴みたい」

「嫌」

 巴が黒板を上げる。

《聞こえてる》

 三人が同時に笑わない。

 それぞれ、少しだけ口元を動かした。

 午前八時十分。

 返却窓口には列ができた。

 即時退所者。

 移送待ち。

 施設内残留者。

 誰でも、自分の物を確認できる。

 戻った物。

 衣服。

 靴。

 薬。

 手紙。

 工具。

 補助具。

 現金。

 戻らない物。

 工場の入門証。

 宿舎の鍵。

 期限切れの乗車券。

 冷蔵保管できず廃棄された食品。

 遅延で失効した仕事の注文札。

 B-12の冬服は、見つからない。

 四年前の送付先で処分済みと回答が来た。

「返却不能」

 職員が言う。

「処分した人は」

「記録なし」

「補償は」

「査定後」

「上着と靴下」

「価格が分かりません」

「私が編んだ」

「材料費は」

「覚えてない」

「では標準価格で」

「標準の手間って何時間」

 職員は答えられない。

 小麦が外から回線へ入る。

「編み物の賃金、地域の修繕組合に聞く。材料と手間、別」

「補償対象になるかは」

 真琴が言う。

「判断前に金額を出せます。金額を出すことと、支払義務認定は別です」

 B-12が言う。

「また別」

「はい」

「別、嫌い」

「一つにすると、誰かの損失が消えます」

「分かってる。嫌いなだけ」

「それも記録しますか」

「するな」

「受領」

 戻らない物は、返却窓口へ置けない。

 代わりに、不在票が増える。

 自由は、手荷物一つで門を出る絵になりやすい。

 手荷物が戻らない人ほど、映像では身軽に見える。

 七瀬は、出所者の顔を撮らない。

 返却台を撮る。

 空の袋。

 期限切れ札。

 片方だけの靴紐。

 持ち主が受取拒否した名札。

 撮らない人の荷物まで、本人の許可なく象徴へしない。

 一つずつ聞く。

「袋だけ」

「映さない」

「手はいい」

「声は嫌」

「靴紐は持って帰る」

 記録も列になる。

 午前八時二十二分。

 返却窓口の隣へ、仮の生活窓口が一枚だけ増えた。

《今日、困ること》

 補償窓口ではない。

 損失を全部計算する場所でもない。

 今日、門を出た直後に、食事、薬、寝床、移動、衣服がない人を確認する。

 即時退所二十九人のうち、五人は昨夜も施設内へ残った。

 今朝、その五人をもう一度聞く。

 一人は、宿舎の受入れが来た。

 一人は、姉が迎えに来たが、本人が会わないと選んだ。

 一人は、外門宿直所をもう一泊希望したが、寝台の期限が切れる。

 一人は、薬の処方が午後までない。

 一人は、行先を言わない。

「行先を言わない人を、どこへ出す」

 施設職員が聞く。

 巴が黒板へ書く。

《出す先を施設が決めない》

「路上へ出すのですか」

《本人へ選択肢を出す》

 選択肢。

 外門待機所、正午まで。

 住所非公開の簡易宿舎、三日。

 自費の宿。

 知人の迎え。

 まだ決めない場合、審理官へ期限延長申立て。

 行先を言わない本人は、簡易宿舎を選ぶ。

「氏名、宿舎へ」

「必要?」

 タマキ。

「火災時名簿と料金精算に」

「施設の番号、使う?」

「宿舎独自の受付番号」

「後で名前へ戻せる?」

「本人と宿舎管理者の二鍵」

「受領」

 自由を守るため、名前を消す。

 安全を守るため、名前を持つ。

 二つを同じ人へ独占させない。

 午前八時三十二分。

 B-22は、期限付き移送のため、北の行動訓練・医療施設へ向かう。

 拘束帯はない。

 短棒もない。

 車内の座席は、入口から二番目。

 イオが外門待機所から戻ってきた。

「三番目」

 B-22が言う。

「もう終わった」

「昨日、棒取ろうとしたの、三番目に聞いた」

「審理は」

「移送先で続く」

「薬、妹」

「窓口、別」

「また別か」

「妹の薬を出さなかった責任と、受付の鼻を折った責任。同じにすると、どっちか消える」

「俺の方、消せ」

「消さない」

「施設の方だけ、でかく書け」

「同じ字」

「おまえ、嫌い」

「知ってる」

 B-22はイオの右膝を見る。

「昨日、悪かった」

「何が」

「枠にぶつけた」

「あなたが引いた。私が止めた。二人」

「謝るの、受け取れよ」

「受け取る。治療費と、責任は別」

「面倒」

「人、一つじゃない」

「それ、流行ってんのか」

「嫌い」

 B-22が笑う。

 笑った後、すぐ顔を戻す。

「俺、外に出たら、また殴るかも」

「かも、で無期限に閉じない」

「殴ったら」

「止める。審理する。治療費を請求する」

「おまえが?」

「近くにいたら」

「能力ないくせに」

「昨日も」

「そうだった」

 B-22は車へ乗る。

 扉が閉まる前に言う。

「妹の薬、届いたら」

「本人へ届く」

「俺に知らせろ」

「妹が選べば」

「そこまで本人かよ」

「妹の薬」

 B-22は返事をしなかった。

 車の窓は、内側から三センチ開く。

 本人が一度、開けて閉める。

 移送は、仲直りではない。

 暴力を予告した人間を、信じた物語でもない。

 期限と窓と、次の質問先を持たせて運ぶ。

 同じ移送列には、C-14もいた。

 暴力歴なし。

 能力歴なし。

 帰る住居なし。

 行先はB-22と同じ北の施設だが、受けるものは同じではない。

「行動訓練へ同意したことにしないで」

 C-14は乗車札を持ったまま言った。

「移送先の正式名称に含まれます」

 職員。

「名称じゃなく、私の目的」

「保護と評価です」

「寝床」

「寝床だけを目的とする移送区分はありません」

 イオが札を見る。

《期限付き移送/北行動訓練・医療施設/七日》

 目的欄には、《再評価》と印字されている。

「本人の目的欄、足す」

「様式外です」

「別紙」

「車両が出ます」

「七日閉じる方が、紙一枚より早い?」

 職員は運行表を見る。

「二分です」

「書ける」

 C-14が自分で書いた。

《本人の目的――今夜から七日間の寝床。治療、投薬、訓練への一括同意ではない。個別に説明を受ける》

「施設が受領しない場合」

「戻す?」

 C-14が聞く。

「審理官へ連絡し、受入条件を再確認します」

「車の中で待つ?」

「暖房のある待機室」

「その時、私が別へ行くと言える?」

「言えます」

「書いて」

 職員は別紙の下へ追記する。

《受入条件不一致の場合、本人は移送先変更または施設内一時待機を選び直せる》

 C-14は署名しない。

「名前、出したくない」

 右親指の指印も拒む。

 代わりに、本人が選んだ三本線と、審理記録の二鍵番号を付ける。

 移送札の行先は一つ。

 目的は一つではない。

 同じ車に乗ることは、同じ治療を望むことでも、同じ危険を持つことでもなかった。

 C-14はB-22の斜め後ろへ座る。

「暴れたら、降ろして」

 B-22が言う。

「あなたを?」

「俺を」

「私が決める?」

「運転手へ言え」

「分かった」

「信用すんのか」

「信用じゃない。頼まれた範囲」

 扉が閉じる。

 二十五人の期限付き移送は、一つの判定ではなかった。

 二十五通りの、まだ終わっていない行先だった。

 午前八時三十六分。

 イオの再確認。

「外へ出ますか」

 看護担当が聞く。

「出る」

「外門待機所」

「九時まで」

「膝の毛布」

「借りる」

「薬は四日分。次の処方窓口は」

「相談所の医療連携」

「受入確認は」

「九時に開く」

「開かなかったら」

「十時まで待つ。開かなければ、ここへ戻らない。白衣路の外来窓口へ行く」

「経路は」

「タマキに聞かない。地図」

 タマキが顔を上げる。

「聞いてもいい」

「能力、使わせない」

「道を聞くのと、能力、別」

「じゃあ聞く。外門待機所まで」

「一緒に行く」

「あなたも出る?」

「出る。配達箱、返ってきた」

「左耳」

「床、今日は左」

「案内、誰」

「看守」

「看守、出所する?」

「勤務」

「同じ道」

 看守が言う。

「外門まで案内します」

 イオは看護担当へ戻る。

「出る」

「受領します」

 扉の内側つまみを回す。

 右へ。

 扉が開く。

 外側の鍵は使わない。

 イオは立つ。

 膝が固い。

 一歩目が短い。

 以前なら、能力で時間を合わせた。

 右腕の強化で、身体の遅れを押し切った。

 今は、膝が伸びるのを待つ。

「遅い?」

 タマキが聞く。

「私が」

「待つ」

「料金」

「同じ道だから、半額」

「無料じゃない」

「仕事」

 イオは笑う。

「請求書、出して」

「宛先」

「私」

「受領」

 午前八時四十一分。

 B棟の壁を、誰が消すかが問題になった。

 石灰で書いた七十二の質問。

 施設は清掃対象とした。

 審理官は証拠保全を求めた。

 書いた本人の中には、残したい者と消したい者がいる。

 壁を一枚の記念物へすれば、消したい人の言葉まで展示される。

 全部洗えば、施設が何を問われたか消える。

 タマキは、四つの札を作った。

《消す》

《写して消す》

《残す》

《まだ》

 本人ごとに聞く。

 B-31は、《消す》

 外部転記を拒否した質問の跡も、水で完全に落とす。

 B-12は、《写して消す》

 四年前の冬服と住所の質問は、本人箱へだけ写す。

 B-28は、《残す》

《床へ立てないことを危険にしたのは誰》

 ただし、壁を公開展示にしない。

 施設内の運用研修で、本人同意の範囲だけ使う。

 B-58は、《まだ》

 壁の一角を透明板で覆い、一月八日に再確認する。

 迅の壁。

《俺は何をした》

「どうする」

 タマキが聞く。

「消す」

「写し」

「審理記録にある」

「自分の」

「いらない」

「受領」

 イオの壁。

《誰が、まだあると決めた》

「写して消す」

「どこへ」

「明日班。能力が終わった人を、終わってないかもしれないで閉じた例」

「自分の名前」

「出す」

「病歴」

「出さない」

 壁の最後に、《いつまで》がある。

 誰が最初に書いたか、確定していない。

 七十二人のうち、複数が同じ文を重ねた。

「消す人」

 誰も手を上げない。

「残す人」

 全員が手を上げたわけではない。

「まだ、にする?」

 巴が提案する。

 期限を決める。

 一月二十日。

 施設の予防収容運用が新しい手順へ変わったか、公開審理が続いているかを確認する日。

 それまで、透明板で覆う。

 英雄の署名も、施設批判の標語も付けない。

 壁は、記念碑ではなく未処理の質問として残る。

 午前八時四十七分。

 前日に審理設備を作った四人へ、作業賃金が支払われた。

 板の角削り。

 穴開け。

 札作り。

 運搬。

 B-09は四十二。

 B-33は四十。

 B-41は四十。

 もう一人は、受領を保留。

「収容中の作業へ金を払うと、労働契約になる」

 施設会計が言う。

「なりますか」

 真琴。

「指揮監督、時間、対価があります」

「なら、労働契約として扱う」

「前例が」

「前例がないから無償にする根拠にはなりません」

「本人たちは審理の利益を受けました」

 タマキが顔を上げる。

「自分の法廷を自分で作ったら、給料なし?」

「利益との相殺です」

「施設も使った」

「公共目的です」

「公共、財布ない?」

 小麦が外から言う。

「ある。予備費。食事と同じ」

 会計担当が渋い顔で伝票を切る。

 受領保留の一人は、現金を持って外へ出ると宿舎で没収される可能性を理由にした。

 現金ではなく、本人名義の二鍵預りへ置く。

 支払ったことで、収容中の強制性が消えるわけではない。

 本人が断れた記録と、実際に断った二人の記録も一緒に残す。

 賃金は美談の賞金ではない。

 働いた時間へ、遅れて付いた値段だった。

 午前八時五十二分。

 久我檻は、鍵管理室に残った。

 迅たちと一緒には出ない。

 空白の旗にも入らない。

 机の上に、契約書がある。

《用途別鍵監査》

《期間 一月六日午前九時から一月二十日午後六時》

《一日六時間以内》

《鍵の恒常所持なし》

《開錠記録、本人通知、期限札の一致確認》

《居住・医療・食料・所在情報への閲覧権なし》

《緊急時の一括鍵集中を単独判断しない》

《報酬 日額》

《契約延長 本人・施設・残留者監査会の再同意。自動更新なし》

 檻は最後の欄を読む。

《残留者監査会》

「代表?」

 真琴が答える。

「希望者による監査です。全残留者の代表ではありません」

「名称、大きい」

「仮称です」

「意味仮名、付けない」

「付けません」

「旗、作らない」

「作りません」

「私、英雄じゃない」

「契約書へ書きますか」

「書かない。書くと、気にしてる」

「気にしていますね」

「真琴、嫌い」

「契約上の評価ですか」

「個人」

「安心しました」

 檻は右手で署名する。

 契約の写しを三つ。

 自分。

 施設。

 残留者監査の保管箱。

 鍵は受け取らない。

 監査時に、その用途の担当者が持ってくる。

 返却時刻を記す。

 塔で、鍵を全部持った。

 ここでは、鍵が来て、去る。

 自分が残っても、鍵まで残る必要はない。

「迅は」

 檻が聞く。

「外門待機所」

 真琴が答える。

「会う?」

「用事、ない」

「では、なぜ聞いたのです」

「出口、確認」

「人の所在確認では」

 檻は舌を噛んだ。

「契約、破った?」

「迅本人は所在非公開を指定していません。外門待機所は公開受入です」

「聞いていい?」

「法的には」

「本人には」

「本人へ聞いてください」

「面倒」

「監査は、その面倒へ報酬が出ます」

 檻は契約書を四角い箱へ入れた。

「なら、やる」

 午前八時五十八分。

 医療室で、冬実の左手の画像説明が行われた。

 左小指基節骨の関節内骨折。

 整復後も、関節面に一ミリ強の段差。

 腫脹が引いてから再評価。

 手術の可能性。

 保存治療なら、曲がりと可動制限が残る可能性。

「まっすぐ治る確率は」

 冬実が聞く。

「数字では出せません」

「所長業務へ」

「鍵操作、定規保持、文書束の整列に制限が出る可能性があります」

「整列まで医療?」

「あなたが仕事として挙げたので」

 冬実は右手の折り畳み定規を見る。

「負傷した指で隔壁を止めたことは、治療判断へ影響しますか」

「骨折原因です」

「功績としては」

「医療には関係ありません」

「受領します」

 久我檻が入口にいる。

「聞く許可」

 冬実が言う。

「今、聞いた」

「入室前に」

「遅い」

「出る?」

「もう聞いたので、残ります」

 医師が檻へ確認する。

「どの情報まで」

「指、曲がるか。鍵監査の契約へ影響」

「手術内容や私生活は」

「いらない」

 冬実が言う。

「監査契約には、私の身体情報は必要ありません。私は契約当事者ではない」

「施設の建築情報提供で、再訪する」

 檻。

「定規、使う?」

「使います」

「左?」

「右」

「なら、指の予後、私の仕事じゃない」

 檻は入室をやめる。

 冬実が呼び止める。

「久我さん」

「何」

「昨日、鍵を返さなかったら、どうなっていましたか」

「分からない」

「予測を」

「全部持ったあなたが、医療へ行かなかった」

「施設は止まった?」

「誰かが奪う。混乱。あなた、もっと握る」

「悪化したと」

「かもしれない」

「あなたが鍵を分散したから救われた、と言わない?」

「言わない」

「なぜ」

「それ言うと、次も私呼ぶ」

 冬実は、初めて少し笑った。

 笑っても小指は治らない。

 檻が正しかったことにもならない。

「あなたを英雄にしません」

「約束、書く?」

「書くと、気にしているように見える」

「気にしてる」

「はい」

 医師が副木を巻き直す。

 所長職は停止している。

 指は骨折している。

 守った人もいる。

 閉じた人もいる。

 四つは、一本の副木へまとめられなかった。

 午前九時。

 賀茂冬実は医療室を出た。

 左小指は副木の中。

 腫れが強い。

 骨は整復されたが、関節面にずれがある。

 後日、変形が残る可能性を説明されている。

 彼女は所長服を着ていない。

 灰色の私服。

 鍵なし。

 番号札なし。

 折り畳み定規だけ。

 外部審理官が聞く。

「現在の行先を」

「外部宿舎」

「医療通院は」

「一月八日」

「被告人審理の連絡先」

「弁護人事務所」

「施設へ戻る権限は」

「ありません」

「建築情報の提供依頼があれば」

「弁護人を通じて範囲を確認します」

「収容者へ伝えることは」

 冬実は、B棟の方を見る。

「謝罪」

「内容は」

「無期限に閉じたこと。無通知の試験を行ったこと。名前を覚えていることで、番号運用を補えると思ったこと」

「直接伝えますか」

「拒否する人がいる」

「方法は」

「受取選択付きの文書」

「返答を求めますか」

「求めません」

「許しを」

「求めません」

「施設の必要性については」

「主張します」

 審理官が冬実を見る。

「謝罪と同時に?」

「同時です。危険な人を一時的に離す場所は必要です。期限、審理、生活支援、内側開錠、戻る権利が必要だった。私は、それを削りました」

「なぜ」

 冬実は定規の端を揃える。

「削った方が、施設は美しく動くからです」

 真琴が言う。

「その説明を、審理で」

「します」

「私は質問者になりません」

「利益相反?」

「被申立人になる予定です」

「そうですか」

 冬実は、慰めない。

「あなたの署名を読みました」

「感想は」

「施設設計者なら、使う文です」

「それは擁護ですか」

「加担の説明です」

「同じ穴に入れると、責任が薄くなる」

「同じ穴へ入れません。別々に審理します」

 冬実は外門へ歩く。

 右膝装具。

 左小指副木。

 足と手が、以前より遅い。

 遅さを、贖罪の印にはしない。

 門を出ても、被告人であることは続く。

 午前九時十二分。

 イオは外門を出た。

 空気が冷たい。

 施設の中も寒かった。

 外の寒さは、誰の管理でもないように見える。

 実際には、待機所の暖房予算、道路の除雪、宿舎の壁、薬の値段が寒さを分ける。

 自由な冷気はない。

 タマキが隣で立ち止まる。

「床、終わった」

「地面」

「地面、左」

「座る?」

「三分」

 二人は門脇の低い縁石へ座る。

 迅は待機所の中。

 右肋へ温罨法。

 凱は左膝を冷やしている。

 七瀬は固定台を畳むのを他人へ任せた。

 轟は仮斜路の撤去期限を確認している。

 出た後にも、身体は続く。

 イオは左前腕の真鍮装具へ触れる。

 秒が進む。

「相談所、開いた?」

 タマキが聞く。

 イオは公衆電話を見る。

 九時十三分。

「まだ」

「一分」

「待つ」

「寒い」

「戻る?」

 イオは白い門を見る。

「戻らない」

「意地?」

「今は」

「理由、変わる?」

「変わる」

「受領」

 電話が鳴った。

 相談所から。

 受入は可能。

 ただし、以前の担当職は埋まっている。

 新しい仕事は、設備の目視検査と時刻記録。

 日当は以前より低い。

 宿舎は七日以後、別申請。

 薬の処方は午後。

 イオは聞く。

「能力検査は」

「今は対象外です」

「私が希望したら」

「申請できます」

「料金」

「有料」

「保留」

「いつまで」

「期限なし」

「期限ない保留、嫌い」

「では、一月十五日に再確認します」

「受領」

 電話を切る。

 仕事は戻らない。

 日当も戻らない。

 能力も戻らない。

 それでも、自分で保留日を決めた。

 イオは立とうとする。

 膝がすぐには伸びない。

 タマキも立たない。

「待つ?」