第464話 第二章「病院と同じ電線」後編

 午後二時三分。

 中央の若い実務者が、追加の配電記録を持ってきた。

 氏名は名乗らない。

 前日と同じ灰色の腕章。

 同じ役職名。

「手動切替には、中央決裁が必要です」

「物理的には」

 轟が訊く。

「必要ありません」

「なら先にやる」

「制度上、違法です」

「止めるのは」

「中央の承認が必要です」

「止めないのは」

「現在の承認が継続します」

「便利な柱だ」

「何がです」

「建てる時だけ許可が要る。倒れ続けるのは自動だ」

 実務者は答えなかった。

 代わりに、新しい紙を一枚出した。

《系統間相互補償試験》

 十六年前。

 回収炉の出力変動を、病院、上水、暖房の負荷で吸収する試験。

 成功。

 その下に、追記がある。

《反証負荷の生体分散により、系統安定度一二・七パーセント向上》

「生体分散」

 鉄志が読む。

「四十八人か」

「人数は別紙です」

「別紙は」

「閲覧権限外です」

「お前の」

「はい」

「名前は」

「関係ありません」

「責任にはある」

 轟が言った。

「名前を出せば、止められるんですか」

「出さなくても止める」

「では」

「止めた後、お前がどこに立つかが違う」

 実務者は紙を握った。

「私は、全面停止へ反対です」

「理由」

「病院です。水です。暖房です。それから、この施設で症状を抑えている人たちです」

「四十八人は」

「登録時に説明を受けたと聞いています」

「聞いた?」

「記録上」

「お前が読んだ」

「概要を」

「本人が読んだ記録は」

「ありません」

「反対していい」

 轟は言った。

「その代わり、反対を誰かの署名へ隠すな」

「私は決裁者ではない」

「だから名前が要る」

 若い実務者は、長い間黙った。

 やがて腕章を外した。

 机へ置く。

 名乗らない。

 しかし、反対意見の欄へ自分の手で書いた。

《病院補助、上水、暖房の代替確認前の全面停止に反対》

 署名欄は空白のまま。

 その下へ、勤務識別番号だけを書いた。

「今は、これ以上は出せません」

「今は、を記録する」

「脅しですか」

「期限だ」

 イオが入口から言った。

 左膝を少し曲げたまま歩いている。

 午前の硬直が残っている。

「いつまで出せない」

「中央から許可が来るまで」

「時刻」

「分かりません」

「それは期限じゃない。天気だ」

 イオは三枚の相談票を机へ置いた。

 一枚は設備停止希望。

 一枚は設備継続希望。

 一枚は人工再起動希望。

「全部、本物」

 鉄志が見る。

「都合が悪いな」

「人間は都合よく一種類にならない」

「機械は」

「機械も。図面と違う」

 轟が白線を見下ろす。

 五つの設備。

 十一人の患者。

 四十八人の反証受領者。

 二百七十九人の仕事。

 停止を望む人。

 継続を望む人。

 再起動を望む人。

 全部を同じ柱へ結べば、壊す時は簡単だ。

 簡単に壊れる仕組みは、簡単に責任も隠せる。

「分けるぞ」

 轟は言った。

「何を」

 鉄志が訊く。

「電線。仕事。患者。署名。止めた後」

「何日」

「決まってない」

「何人」

「足りない」

「誰が飯を出す」

「小麦へ訊く」

「それで」

 鉄志は白墨を持ち直した。

「止めた後、誰が食う」

「止める前に、そこまで描く」

 轟は最初の五本の線のうち、黒と白へ太い横線を引いた。

 完全停止。

 青、赤、黄には引かない。

 その横へ、手動と書く。

 まだ一本も切っていない。

 けれど、何を切らないかだけは、初めて図面になった。