第472話 第六章「三段階停止」後編
午後二時四分。
最初の用紙は、赤字で読めなくなった。
真琴は捨てなかった。
《第一案・不採用》と書く。
不採用理由。
利益と危険が同じ段落。
中央安全値と本人上限が同一。
分離回答の片方だけを引用できる。
再起動不能箇所の表示が小さい。
保守期限がない。
第二案を作る。
その時、工員が訊いた。
「これ、全部読まないと答えられない?」
「必要な範囲だけ選べるよう、目次を付けます」
「選んだら、知らなかったって言えない?」
「選んで読まなかった範囲と、説明されなかった範囲を分けます」
「面倒だな」
「はい」
「面倒だから、中央は二枚にした?」
「たぶん」
「あなたも、二枚にしたくなる?」
真琴は答えた。
「なる」
「しない?」
「誰かに止めてもらいます」
「誰」
「今は、あなたたち」
役職を持たない九人が、三段階停止の用紙を一度止めた。
その停止がなければ、書類は予定どおり早く完成していた。
予定どおり早い書類ほど、後で人を長く縛ることがある。
午後三時二十分。
三段階停止の用紙は二十六枚になった。
だが、壁へ貼った見取り図は一枚だった。
左に《止めるもの》。
中央に《起こり得ること》。
右に《次に見に来る人と時刻》。
赤い線は抽出と反証。
青い線は病院と上水。
黄色い線は暖房と生活。
技術図、四十八人の公開範囲、患者十一人の条件、移行賃金、休憩、費用、未確定費用、書式へ入らなかった回答は、図の番号から各原票へ戻れる。
最後の欄には、役職を持たない九人の訂正が残った。
《止める日より、代わりが来る日を先に書いて》
《説明受領と同意を同じ時刻にしない》
《仕事がなくなる日だけでなく、次の仕事が始まる日》
《再起動を選ぶ人を、古い制度の味方と決めない》
真琴は、二十六枚を一冊に綴じなかった。
三束に分けた。
赤い紐。
青い紐。
黄色い紐。
赤――抽出と反証。
青――病院と水。
黄――暖房と生活。
「提出は一束で」
中央の書記が言う。
「三束です」
「一案件です」
「三段階です」
「決裁番号は一つ」
「受領番号を三つにしてください」
「できません」
「拒否理由を、あなたの名で」
書記は若い実務者を見る。
実務者は答えない。
真琴は待つ。
待つことは、相手へ決断を強制する時がある。
だから、期限を言う。
「十六時まで待ちます。受領しない場合、病院、上水、暖房の各地域窓口へ直接提出します」
「中央を迂回する」
「中央を外しません。中央へも写しを残す」
「正式受領されない資料は無効です」
「現場の手動切替は、中央の紙で回りません」
「違法です」
「誰が、どの範囲で違法と判断したかを記録します」
「脅迫です」
「質問です」
書記は三束を見た。
赤。
青。
黄。
どれか一つだけ受け取れば、他を切った責任が見える。
全部を拒めば、拒んだ名が残る。
「受領します」
「三番号」
「一番号、枝番三つ」
「枝番ごとに決裁と異議を分ける」
「承認権限が」
「受領の条件です」
書記が唇を噛む。
「受領します」
三つの印が押された。
同じ大きさ。
真琴は印の乾く時刻を書いた。
十五時四十七分。
印が乾くまでの十三分で、三束は別々の出口から運び出された。
赤い束。
反証受領者の連絡所へ。
青い束。
病院と上水へ。
黄色い束。
暖房と生活区画へ。
中央の書記が言う。
「原票を分散させると、決裁時に照合できません」
「写しは中央へ残す」
真琴。
「原票がない写しは、真正性を争われます」
「だから、持ち主がいる」
「持ち主が書換えたら」
「書換え時刻と理由を残せる」
「同じ文書ではなくなる」
「人の条件が変われば、同じ文書のままの方が偽物です」
運ぶ者も一組にしない。
赤は、真琴と反証受領者側の記録係。
青は、タマキではない普通の病院便。
黄は、暖房担当と共同浴場の番人。
「警備は」
中央書記。
「付ける」
「一班で」
「三班」
「人員が足りません」
「一班なら、三束全部を止められる」
「三班なら、統率が」
「統率しない。受領時刻だけ戻す」
若い実務者が、三枚の経路票を作った。
中央から見れば、非効率。
真琴はその一枚目を読む。
《赤束。中央北門。反証連絡所。到着確認は勤務番号R-2》
「内容を警備へ見せる?」
「封緘番号と目的だけ」
「紛失時」
「中央へ戻さない。送り主へ返す」
「送り主は」
「各署名者」
「複数」
「返却窓口は連絡所」
「面倒です」
「正常」
三束が会議室を出る。
真琴は、赤い束を自分で持たなかった。
「なぜ」
凱が訊く。
「私が作った文書だから、持ち主だと思いやすい」
「解釈者」
「それも危険」
「誰が解釈する」
「署名した人が、自分の範囲を言う。私は矛盾を示す」
「最後に一つへ」
「しない」
「決裁は」
「冬城が二案を求める」
「出さない?」
「三束の概要は出す。ただし、原票と違う概要だと書く」
「概要を作る人」
「私と、反対者二人と、中央の実務者」
「四人で同じ概要」
「違う概要なら、四枚」
「決裁できない」
「今は」
凱は少し笑った。
「冬城が嫌う」
「好かれる書式は作っていません」
黄色い束が先に角を曲がる。
次に青。
赤は、反証受領者側の記録係が、中央警備へ封緘番号を読み上げてから運ぶ。
三つの束は、同じ建物から出て、同じ場所へ行かなかった。
後で一つの決裁室へ写しだけが集まる。
原票の持ち主まで、決裁者の手元へ集めないためだった。
夜。
会議室の壁には、三列の予定表が貼られた。
一列目。
《抽出停止》
二月二十四日、午前九時から十一時。
条件――機械抵抗器二十四本。連結軸の手動確認。四十八人の医療連絡。
二列目。
《反証転嫁停止》
二月二十四日、午前十時から午後二時。
条件――銀具同期の分離。受領者側の症状監視。切断順の本人公開範囲。
三列目。
《生活系統移行》
二月二十三日から二十六日。
病院、上水、暖房を地域ごとに別時刻。
患者条件が揃わない区画は延期。
同じ日。
違う時刻。
違う責任者。
違う停止条件。
一本の街を、三つの判断へ分ける。
冬城の二枚の用紙は、壁の最下段に残った。
《停止案》
《継続案》
どちらも白紙。
その間に、三列の予定表がある。
真琴は眼鏡を外した。
文字がぼやける。
赤、青、黄の紐だけは見えた。
規則は、読むためにある。
読めない時にも、違いが残る形でなければならない。
「帰る?」
凱が入口で訊いた。
「まだ」
「何が残ってる」
「私が見落とした但書」
「見つかるまで帰らない?」
「見つからないと分かるまで」
「それは永遠だ」
「日付じゃないですね」
「感染したな」
「全員です」
凱は壁の三列を見る。
「俺が署名する欄は」
「ありません」
「元王だから?」
「現在の担当がないから」
「何をすれば担当になる」
「なりたいんですか」
「必要なら」
「必要を理由に役割を集めるのをやめたでしょう」
凱は少し黙った。
「何ならできる」
「反対者の話を聞く。自分の能力喪失を、設備停止の成功例として使わせない。決裁室で、署名者が本人か確認する」
「地味だな」
「王より」
「軽い」
「軽い仕事はありません」
「轟みたいなことを言う」
「感染です」
凱は帰らなかった。
真琴が見落とした但書を探すのではなく、停止反対者の条件票を、声に出して一枚ずつ読んだ。
午前零時を過ぎても、三列の時刻は一つにならなかった。
それで初めて、予定表は正しく動き始めた。