第482話 第十一章「街が暗くなる」後編
「発表する。ただし、長期影響不明」
「症状低下十一」
「発表する。回復とは書かない」
「停止の成果が伝わりません」
七瀬が言う。
「成果を伝えるために、人の経過へ結末を付けない」
「市民は判断できません」
「判断を助けるために、分からないことを分からないまま出す」
「不安が広がります」
「既に不安はある」
「鎮めるのも広報の仕事です」
「鎮めるために、誰かを治ったことにしない」
広報担当は、見出しを空欄へ戻した。
発表文の一行目は、時刻になった。
《二月二十四日午後一時四十分時点》
結論ではなく、いつまでの情報か。
その下へ、数字。
そして、数字の外にいる本人の選択。
午後一時四十分。
四十八人の状態集計が届く。
即時の死亡、ゼロ。
意識消失、ゼロ。
強い吐き気、九人。
頭痛増加、十四人。
胸部症状、五人。
症状低下、十一人。
変化不明、九人。
重複あり。
合計は四十八にならない。
「回復者」
中央広報が訊く。
「回復と判定できない」
真琴が答える。
「症状低下十一」
「一時間未満。反証停止と自然変動を分けられない」
「設備停止の成果を示せません」
「示すために診断しない」
「広報上」
「医療上を優先」
七瀬は、十一人の「症状低下」という数字も撮った。
その横へ、《回復とは判定しない》を同じ大きさで入れる。
四十八人全員が、設備停止によって解放された物語にはしない。
設備へ依存した症状もある。
反証が止まったことで、別の不調が表面化した者もいる。
長期の影響は分からない。
止めることは、治すことではない。
傷つけ続ける道を一つ閉じただけだ。
午後二時七分。
ミソラが病院廊下で倒れた。
意識はある。
膝を付いた。
次に右手。
壁へ頭を打たないよう、自分で体を横へ落とす。
七瀬は撮影機を向けない。
「撮影停止、十四時七分二秒。理由、本人の医療」
機材を轟の助手へ渡す。
走る。
左肩が痛む。
走ることに肩は要らないと思う人は、腕を振っていない。
ミソラの手指が震えている。
呼吸、速い。
脈、不整ではない。
「痛み」
七瀬が訊く。
「広い」
「数字」
「使わない」
「勤務」
「続ける」
「だめ」
ミソラが目を開ける。
「今、誰」
「七瀬」
「医療者」
「違う」
「なら命令しないで」
病院の当直担当が来る。
ミソラの慢性疼痛。
過労。
睡眠不足。
手指振戦。
「十八時間、勤務離脱」
当直担当が言う。
「長い」
「短い」
「患者十一人」
「引き継ぎ済み」
「三号」
「限定継続。次回確認は明日九時」
「四十八人」
「別担当」
「冬城」
「中央医務室」
「私が」
「担当外」
ミソラは起きようとする。
右手へ力が入らない。
「十八時間」
当直担当が繰り返す。
「拒否」
「患者の拒否は守った」
「私は患者じゃない」
「今は医療対象」
「仕事が」
「戻る」
「誰へ」
「私へ」
「責任」
「私が受ける」
「名前」
当直担当が名を言う。
七瀬は公開しない。
ミソラは、長い間黙った。
「十八時間」
「はい」
「午前八時七分まで」
「今は十四時九分。十八時間後は八時九分」
「訂正」
「受領」
ミソラは勤務離脱を受け入れた。
精神的な成長ではない。
痛みが消えるわけでもない。
十八時間後に働ける保証もない。
それでも、自分の仕事が他人へ移ることを許した。
担架へ載る前、ミソラは七瀬へ言った。
「撮ってない?」
「撮ってない」
「記録」
「撮影停止理由。勤務離脱。引継ぎ」
「倒れた姿」
「ない」
「ありがとう」
「公開する?」
「しない」
「受領」
ミソラを担架へ載せた後、当直担当は十一人分の条件票を床へ落としかけた。
七瀬が拾わない。
「触っていい?」
「手袋。黄色い束だけ」
当直担当。
七瀬は手袋を着け、黄色い束を渡す。
「十一人、全部」
「一人ずつ引き継ぐ」
当直担当は、廊下の壁へ折り畳み台を出した。
最初。
八番室の少年。
「代替濾過器、四台中三台稼働。四台目は明日八時試験。病院東三号を限定継続。本人への再説明、明日九時」
「紙橋」
七瀬が言う。
「医療条件?」
「本人の帰り先確認に使ってる。捨てない」
「受領」
二人目。
藍。
「薬歴を中央へ送らない。姉を代理にしない。処置中の不整脈時、当直医療担当が一時停止できる。ただし継続判断を代行しない」
「説明受領と同意を分ける」
「受領」
三人目。
「停止を選択。理由非公開。代替刺激器の割当は、年齢を理由に本人が他者へ譲ることを認めない」
「本人は譲りたいと言ってる」
「自分の治療拒否は選べる。他者の順番は決められない」
「受領」
四人目。
説明拒否。
「再説明時刻は本人指定までなし。家族の希望を本人同意へ変えない。緊急時は医療代行のみ」
五人目。
局所加温費用の免除。
六人目。
透析水の手動試験二回、夜間担当名、道路閉鎖時の水。
七、八、九。
警報音。
絵による説明。
家族へ病名非公開。
十人目。
人工再起動を希望。
反証転嫁は拒否。
能力を取り戻したいという希望を、設備全面継続への同意にしない。
十一人目。
「止めない」
当直担当が読む。
「条件なし」
「本人の反対」
「代替機器なし。理由非公開」
「理由は」
当直担当が用紙の裏を見る。
七瀬が止める。
「公開拒否」
「医療者としては知る必要が」
「本人があなたへ伝える範囲。ミソラの記録をそのまま引き継ぐ権限とは別」
「同じ病院の引継ぎです」
「本人票は本人へ返ってる」
「では、私は理由を知らずに担当する?」
「止めない選択と、現在の治療条件は分かる。理由が診療に必要なら、本人へ訊く」
「倒れたミソラへ訊けば早い」
「それをやめるための十八時間」
当直担当は、十一人目の病室へ行った。
七瀬は付いていかない。
本人が七瀬との面会を選んでいない。
五分後、担当が戻る。
「理由は聞かないでほしい。治療条件だけ引き継ぐ、と」
「受領」
「あなた、医療者じゃないのに」
「撮る人」
「今、撮ってない」
「記録を渡す人」
「それも役職?」
「今日の範囲」
ミソラが担架の上で、薄く目を開けた。
「全部、言った?」
当直担当が答える。
「十一人。私の名で受領。説明拒否と理由非公開を分けた」
「三号」
「限定継続」
「十八時間」
「あなたは離脱」
「命令?」
「医療判断」
「受領」
担架が動く。
ミソラは、条件票を抱えたまま運ばれない。
十一人の仕事は、十一人と当直担当へ残った。
離脱を受け入れた医療者が、最後まで全てを握っている画にしなかった。
七瀬は、空になったミソラの手だけを見た。
撮らなかった。
午後三時。
最後の中央同期灯が消えた。
回収炉本体の稼働表示。
排気弁は残る。
冷却ポンプも。
安全監視は地域へ。
灯りが消えても、機械は完全な死体にならない。
熱を逃がし、油を回し、圧を抜く。
止まるための仕事が続く。
七瀬は塔の下層へ降りた。
炉体保守の男が一人、手回し油差しの柄を押していた。
顔は撮らないでほしいと言った。
勤務札と両手は撮ってよい。
右手で柄を押す。
左手で軸受温度を書く。
三十八・六。
三十八・二。
三十七・九。
「まだ回す?」
「三十五を下回るまで」
「再起動ではない」
「回したい人は、そう言うでしょうね」
「あなたは」
「止めたい。だから回してる」
中央広報から、下層の黄色い作業灯も三分だけ落とせないかと連絡が来た。
塔が完全に暗くなった映像を、一枚だけ撮りたい。
男は受話器へ言った。
「落とせません」
『三分です』
「油圧が下がるのは二十秒です」
『非常電源へ切り替えて』
「切替試験をしていません」
『停止の記録が必要です』
「これは停止の記録です」
『灯りが残っています』
「停止は、消灯の芸名じゃない」
七瀬は笑いそうになった。
笑わなかった。
男は真面目だった。
「その言葉、公開する?」
「しないでください。妻に芝居がかったと言われる」
「顔は」
「なし」
「手と温度表」
「それなら」
七瀬は、黄色い作業灯の下で動く二本の手を撮った。
停止設備名。
保守目的。
終了条件。
交代時刻。
四つを同じ画面へ入れる。
男は十八分後、次の担当へ柄を渡した。
「停止を守る仕事、引継ぎ」
「受領。軸受三十七・一。油圧、規定内」
誰も、機械を起こせとは言わなかった。
誰も、止まったから放っておけとも言わなかった。
再起動しない状態は、無人では維持できない。
中央機械塔の上半分は暗くなった。
街全体は暗くならない。
病院東三号の窓。
地域給水所の作業灯。
暖房保守の黄色い灯。
共同厨房。
手動記録台。
別々の灯りが残る。
七瀬は、暗い中央塔と、残った病院の窓を同じ画角へ入れようとした。
左肩の角度が足りない。
無理に上げない。
固定台を下げる。
画角が変わる。
塔の上部が切れる。
病院の窓は入る。
全部を一枚へ入れない。
見えない部分があると、記録する。
「撮影再開、十五時二分十一秒。中央塔上部は画角外。病院東三号、地域作業灯を記録」
録画を始める。
中央の暗闇は、勝利の黒ではない。
残した灯りは、敗北の光でもない。
止めた設備。
止めなかった設備。
両方の理由が、同じ夕方へ残っていた。