第492話 第四章「一人ずつ止める」後編

 十夜は胸へ手を当てる。

「作動なし。痛みなし。少し空腹」

「空腹は装置では治らない」

「鍋なら」

「あと」

「何分」

「分からない」

「保留を覚えたね」

「能力を失ってから」

 救護帯へ運ばれた三人のうち、指を挟まれていた女が、担架から朝を呼んだ。

「調停官」

 朝が近づく。

「何」

「私は、白を踏んだ」

「記録されています」

「自分で決めたかは、分からない」

 朝のふくらはぎが、もう一度だけ痙攣した。

 能力は終わっている。

 今の痛みは、反証の残りか、長時間立っていた疲労か、本人にも判別できない。

「なぜ、分からない」

「右へ行けば指が助かると言われた。黒を踏んだら、私が邪魔して潰す気がした」

「救助順を下げない、と説明しました」

「順番の話じゃない。目の前に、指が三本あった」

 イオが、朝より先に答えない。

 女は続ける。

「白を選ばない人は、悪い人に見えた。誰もそう言ってない。でも、見えた」

「あなたの選択を、強制ありへ変更しますか」

「分からない」

「では、未判定のまま残す」

「それで、能力は成功?」

「一動作は成立しました。自発性の判定は未完了です」

「都合がいい」

「そう聞こえます」

「謝らないの」

「謝罪を先にすると、あなたが『許さない人』にされるかもしれない」

「面倒ね」

「はい」

「それ、誰かの真似?」

「私の欠点です」

 女は痛み止めのために差し出された水を飲んだ。

「じゃあ、未判定にして。明日、変えるかもしれない」

「変更窓口」

 朝は自分を指した。

「御厨朝。今日の十九時まで。以後は中央記録台へ」

「あなた、歩ける?」

「今は」

「今は、は期限じゃないんでしょ」

 朝は一拍遅れて、頷いた。

「十九時までは、ここにいます。歩けなくなれば、別の担当者名を告げます」

「受領」

 担架が救護所へ向かう。

 朝は手帳の《強制性――未判定》の下へ、一行を足した。

《選択者一名より、道徳的圧力の申告。本人判断は保留》

 十夜が横から覗こうとする。

「見ないで」

「顔は見てない」

「記録を」

「名言になりそうだったから」

「名言にすると、持ち主が消える」

「今日は、俺の商売がどんどん狭くなる」

「狭い商売のほうが、長生きする」

「心臓の話?」

「全部」

 朝は、第一回使用範囲の端へ戻る。

 白を踏んだ人。

 黒を踏んだ人。

 踏まなかった人。

 能力の瞬間には三つに見えた。

 今は、その中に別の理由がある。

「右へ動いた人へ、全員再確認しますか」

 松任谷槙が訊く。

「今すぐ全員へ同じ質問をすると、答えまでそろう」

 イオ。

「では、どうする」

「痛み、移動、休息の確認に混ぜない。能力使用への評価だけ、別の窓口」

「何人来るか」

「来ない人を、同意へ入れない」

「記録が穴だらけになる」

「穴を黒く塗って、賛成に見せるよりいい」

 松任谷は新しい札を用意する。

《第一回同期動作について話したい》

《今は話さない》

《後で変更したい》

 三種類。

 忍が板へ打つ。

《札を取らない、も残す》

「また増える」

 レム。

《人が増えたのではない》

「前からいた」

 イオが答えた。

 朝は自分の青い指を見る。

 能力を使った瞬間より、能力を使った後のほうが、自分の権限は小さくなる。

 そうでなければいけない、と朝は思う。

 思ったこと自体を、安全保証にはしない。

 空箱の横へ座った女性の十五分が、そこで終わった。

 イオは時刻を確認してから近づく。

「十五分」

「早い」

「延長する?」

「訊かないって約束じゃなかった?」

「十五分後に私が訊く、と決めた」

「そうだった」

「答えない、でもいい」

 女性は水の椀を両手で持った。

「さっきの人、北へ着いた?」

「本人の公開範囲を、私は受け取ってない」

「教えてくれない」

「あなたへ知らせてよい、と本人が言えば」

「冷たいね」

「熱い情報は、人を追いかける」

「何それ」

「今作った」

「十夜さんみたい」

「撤回する」

 女性は少し笑い、すぐに口を閉じた。

「私は、あの人の何だったんだろう」

「私には決められない」

「本人は、誰にも来てほしくないって」

「今は」

「今は、って期限じゃない」

「今日、流行ってる」

「調停官が言われてた」

「聞いてた?」

「何もされない場所、音は入ってくる」

「遮音布を足す?」

「今はいい」

 女性は空箱の側面を指でなぞった。

《何もされない場所》

「ここに座ったら、何か決められると思った」

「決めない場所」

「ずっと?」

「延長は一回ずつ」

「規則があるんだ」

「場所を占有するから。ほかに座りたい人がいたら、隣を増やす」

「追い出すんじゃなく?」

「板と箱があれば」

「能力より地味」

「能力を失った人へ言う?」

「ごめん」

「謝罪を受領。取り消さなくていい」

 女性は考え、言った。

「あと十分。終わったら、北へ問い合わせたい。ただし、本人が知らせたくないなら、それを聞く」

「受領」

「私の名前は」

「言わなくていい」

「相良ミイ」

 イオは顔を上げる。

「今、言うことを選んだ?」

「うん。ここにいた記録だけ、本名で残す。北への問い合わせでは、相良って言わない」

「呼称を分ける」

「面倒?」

「人が生きてる」

「それ、名言?」

「事実」

 イオは時刻を書き直す。

《相良ミイ。何もされない場所を十分延長。終了後、限定照会を希望》

 箱の用途は、座った人によって一つ増えた。

 何もされないことと、自分で次を決めることは、反対ではなかった。

 松任谷槙が、朝へ新しい提案を持って来た。

「同じ範囲で、今度は左へ半歩を」

「理由」

「右へ寄った分を戻します。人流が壁へ偏っています」

「過半数の確認は」

「さっきの七十一人なら、同意するはずです」

「さっきの答えを使わない」

「一分しか経っていません」

「一分で、指は抜けた。目的が変わった」

「では、もう一度訊く」

 朝は青い指を開く。

「私が訊けば、能力の予告になる」

「使わない?」

「今は」

 イオが見る。

「期限ではない」

 朝は言い直す。

「左半歩には使わない。壁際の人から、戻りたい距離を普通に訊く」

「時間が倍」

「能力なら三秒」

「安全です」

「一回目の女が、強制性を未判定にした」

「一人です」

「一人だから、無視していい?」

 松任谷は答えない。

 朝は能力を使わず、壁際の最初の人へ行く。

「左へ戻りたい?」

「その場で座りたい」

 二人目。

「右のまま」

 三人目。

「左へ一歩。半歩では足が絡む」

 さっき七十一人が同じ右半歩を選んだ範囲から、三つの違う答えが出る。

 松任谷が小さく息を吐く。

「使わなくてよかった?」

「結果を見てからなら、誰でも言える」

 朝。

「では、何を記録」

「二回目を使いたくなった理由。壁への偏り。時間短縮。成功体験」

「成功体験も危険?」

 イオが答える。

「失敗は止めやすい。成功は、次の命令書を自分で書く」

 松任谷は、自分の提案者名を記録した。

 提案したことを罰にはしない。

 採用しなかったことを、提案が存在しなかったことにもしない。

 C区画の人々は、今の一動作を繰り返そうとした。

 右へ半歩。

 もう一度。

「繰り返さない!」

 朝が叫びかける。

 イオが腕を掴まない。

 言葉で止める。

「一人へ」

 朝は息を吐く。

 前の男性一人へ近づく。

「今の動作は終わりました。次にどうしたい?」

「右へ、もう一度」

「自分で?」

「自分で」

「なら、どうぞ」

 男性が右へ半歩。

 隣の女性は動かない。

 後ろの少年は座る。

 杖の老人は、左へ一歩。

 一動作の後に、ばらばらが戻る。

 それが、能力を使った朝より難しい仕事だった。