第498話 第七章「群衆の中の孤独」後編
「それは脅しではない」
「事実」
真琴は記録票へ書く。
《葛城周へ、会話公開範囲の再確認》
「代表しないと、確認が増えます」
「そうだな」
「後悔?」
「今はしない。明日は分からない」
「珍しく期限が曖昧」
「朝に影響された」
「本人へ名言料を」
「公費?」
「揉めます」
二人は少し笑う。
救護物資へ向かった葛城から、短い連絡が入った。
《右手首痛、四。二十キロの箱を十五キロへ分けたい》
凱は返す。
《受領。誰が分ける》
《荷受け二名。本人同意済み》
《箱の中身》
《包帯と水。分割可》
葛城は、無理に一箱を運び切らない。
旧警護班の訓練なら、痛みを隠して任務を完了した。
今は、任務の形を変える。
凱はその変化を、自分の指導成果へしない。
通信の末尾に、葛城が書いた。
《秋月の所在を知っていますか》
凱は答えない。
秋月本人へ、所在を伝えてよいか確認する。
《葛城へ、駅構内にいることだけ。場所の詳細は言わない》
凱はその範囲で返す。
《駅構内。本人が詳細非公開を選択》
すぐに返事。
《受領》
以前なら、部下の所在を隊長へ報告するのは当然だった。
今は、同じ一隊だった関係も、本人の現在地を自動で所有しない。
真琴が言う。
「葛城は不満でしょう」
「不満は、情報を渡す理由にならない」
「あなたが王だった時は」
「全部知ろうとした」
「後悔?」
「している。でも、後悔を言えば今の正しさになるわけじゃない」
「珍しく慎重」
「左膝が痛い」
「因果関係がありません」
「人は、痛いと立派なことを言う」
「十夜へ払いますか」
「本人の台詞じゃない」
凱は通信器を閉じる。
誰かの現在地を知らないことに耐える。
群衆の中で孤独なのは、自分だけではなかった。
階段前の次の人が、凱を呼んだ。
凱は立つ。
左膝の痛みを確認し、自分で歩幅を決める。
四つの仕事へ分かれた旧警護班は、三十分後、同じ場所へ戻ってこなかった。
葛城は救護物資を運んだまま、北救護所の荷受けへ残った。
地図を担当した一人は、宿泊先の名称が古いと分かり、確認へ向かった。
声の通る一人は、二人ずつ説明するうち、喉を傷めて交代した。
人混みの端を作る一人は、触れないでほしいと言われ、荷車の位置表示へ仕事を変えた。
秋月だけが、壁際で休み続けている。
凱は近づかない。
休止を選んだ人へ、何度も「まだ休むか」と訊けば、休止は試験になる。
真琴が小声で言う。
「確認期限を置かないのですか」
「本人が置かなかった」
「この区画を閉じる時には」
「その時、場所の都合を説明する」
「今は」
「場所は開いている」
秋月が聞いていた。
「私の話を、私の前でするなら、私へ訊いてください」
「すまない」
凱は一歩近づく。
「今、話していい?」
「一つ」
「この場所が閉じる時、移動先を一緒に探す?」
「探さない。候補だけ見せて」
「受領」
「二つ目を訊いた」
「今のは確認」
「王様の数え方」
「元王だ」
「元でも、都合がいい」
凱は反論せず、記録へ《質問一つの約束を超えたと本人から指摘》と書いた。
「そこまで書く?」
「書かないと、私は自分の質問を正当化する」
「面倒」
「今日、何人目だろう」
迅が遠くから言う。
「数えるな」
凱が返す。
秋月が初めて笑った。
「王様同士みたい」
「どちらも違う」
「そういうところが」
秋月は壁から背を離した。
「休むのをやめる?」
凱は訊きかけ、止める。
秋月が言う。
「今、立ちたくなっただけ。仕事は選ばない」
「受領」
「私、旧警護班へ戻るかも決めてない」
「葛城へ言う?」
「あとで、自分で」
秋月は他の四人と違う方向へ歩き出した。
凱は、その行先を管理しない。
ただ、駅の通路を塞がないことだけを確かめる。
自分を見なくなった人を、見失った人と呼ばない練習だった。
三月二十日 午後三時十八分
駅構内から、臨時列車一本目の発車延期が正式に告げられた。
十五分。
誰にとっても同じ十五分ではない。
勤務先へ遅れる十五分。
家族の面会時間が減る十五分。
薬の投与時刻へ間に合わなくなる十五分。
列車へ乗らずに済むか考えられる十五分。
駅員が、凱へ紙を持ってきた。
「延期理由を、代表して説明してください」
「誰を代表する」
「移動者です」
「千二百四人を?」
「元王として、分かりやすく」
「断る」
「では調停官が」
「朝も、一人だ」
「誰が説明を」
「延期を決めた人」
「中央輸送調整班です」
「名前」
「班長の許可が」
「名前を出さずに人を遅らせるのか」
「安全のためです」
「安全という言葉に名前を隠すな」
駅員は紙を握る。
「あなたなら、皆が納得します」
「納得しない人も、私が言えば黙るかもしれない。それを納得と呼ぶな」
「では、混乱します」
「混乱しても、名前を出せ」
駅員が去る。
迅が言う。
「嫌われるぞ」
「王だった時より?」
「種類が変わる」
「それは助かる」
「嫌われるのが?」
「同じ理由で嫌われ続けると、直す場所が分からない」
少しして、駅構内の音声が変わった。
《第一臨時列車の発車を、十五分延期します。決定者、中央輸送調整班長・古橋巡。理由、階段区画の転倒事故と、搭乗順の再確認。延期による搭乗資格の取消しは行いません》
名前が出る。
群衆から罵声が上がった。
「古橋を出せ!」
「十五分で足りるのか!」
「もっと遅らせろ!」
「予定どおり出せ!」
声は割れる。
凱は、安心した。
意見が割れたことに。
全員が同じ返事をした時、人は簡単に自分の責任を手放す。
「凱」
七瀬が固定台を押してきた。
「説明を断った?」
「撮ったのか」
「音だけ。顔は撮ってない」
「なぜ」
「元王が元王の顔で断ると、断ったことまで英雄映像になる」
「では何を撮った」
「停止札」
七瀬の画面には、凱の膝上の四角い札。
「私のものではない」
「借りてる?」
「選んで持っている。後で返す」
「公開していい?」
「札の用途と、私が停止を選んだ事実だけ。膝の痛みの数値は医療記録へ」
「受領」
七瀬は画面を切る。
「チカの右靴、撮った?」
「本人へ訊いた。修理部分だけなら可」
「顔は」
「不可」
「鍵は」
「用途札だけ可。鍵形状は不可」
「細かい」
「鍵を持つ子どもを映したら、どの扉へ入れるか推測される」
「私たちは、昔、王冠の形を全部映した」
「王冠は鍵じゃない」
「王冠も、扉を開けた」
「閉めた扉のほうが多い」
「そうだな」
凱は停止札を返却箱へ入れた。
「もう立つ?」
タマキ。
「痛み二。階段を上がらない。平地だけ」
「介助」
「不要」
「再確認」
「三十分後」
「誰が」
「自分で」
「自己確認だけでは」
「イオにも訊く」
「受領」
凱は立つ。
左膝が伸びるまで、少し待つ。
周囲の何人かが、立ち上がろうとする。
凱は言う。
「私は立つ。あなたたちは、自分で」
言葉が長い。
それでいい。
一人が立つ。
一人は座る。
チカは片方の靴紐を結び直す。
群衆の中で、同じ動作をしないことは、一人になることではなかった。
違うまま隣にいる方法を、まだ誰も上手く知らないだけだ。
凱は、右足から歩き出した。
左足は、一拍遅れた。
誰もその遅れへ合わせなかった。