第540話 第四章「紬の両岸」後編

「占拠参加者へ、賃金出してる?」

「組合の緊急作業扱い」

「額」

「通常の六割」

「船を動かした方が高い?」

「高い」

「占拠を長引かせると、船員の損」

「知ってる」

「要求に、占拠賃金の補償を入れる?」

「入れない。俺たちの判断だ」

「格好いい」

「馬鹿にしてるか」

「少し。でも、受け取る」

「やめろって!」

 紬は布を一つ結んだ。

 商船側が自分で負うと言った損失。

 あとで英雄的自己負担に変えないための結び目。

「水門七寸、毎日」

 船頭が言う。

「必要?」

「全船が通る」

「隔日なら」

「荷が一日遅れる」

「荷ごとの腐敗期限」

「出した」

「全部、同じ日じゃない」

「船団を分けろと?」

「通す日を分ける」

「組合が割れる」

「もう割れてる」

 若い船員が言った。

 船頭が棹を握る。

 紬は右腕の布へ手を掛けた。

 船頭へ《船員の発言を禁じるな》を課す。

 船員側へも《船頭の発言を禁じるな》が返る。

 同じ禁止。

 使えば、暴力は止まる。

 組合内の賃金差と責任差は消えない。

 紬は手を下ろす。

「話し合って」

「おまえが止めろ!」

「止められる。でも、同じ禁止にすると、あなたの命令権と、この人の雇用不安を同じに扱う」

「今は喧嘩だ!」

「喧嘩の前から違う」

 若い船員が棹の先を押さえた。

「船頭。俺、休む」

「今か!」

「今。十五分」

「誰が持ち場を」

「交代表、作ってないのが悪い」

 船頭は、棹を若者へ振り下ろさない。

 甲板へ強く突く。

「十五分。戻らなければ賃金なし」

「戻るか選ぶ」

「それは命令違反だ」

「記録して」

 若者が紬を見る。

 紬は青緑布へ結び目を作る。

「名前」

「限定」

「受け取った」

「それはいい」

 午後一時十四分。

 小麦の昼食船が、占拠船へ横付けした。

 商船側は最初、受け取りを拒否した。

「食ったら、同じ釜に入れられる!」

 船頭が警戒する。

「能力、使わない」

 小麦。

「証明」

「私が先に食べる。能力札なし。名を聞かない」

「毒」

「病院の医師が味見した」

「医師と組んでる」

「上流にも同じ飯」

「同じ?」

「量は違う」

「何で」

「働いた時間、体調、食事制限」

「不公平」

「食べなくていい」

 小麦は、食事を甲板へ置かない。

 受け取る人へ一皿ずつ渡す。

「料金」

「占拠側も、交渉側も同じ。銅貨半。払えない人は、皿洗い。拒否は無料」

「拒否も料金同じじゃないのか」

 翼が横から言う。

「食べてない人から取らない」

「配達は届かなくても取る」

「身体へ入る仕事と、経路を使う仕事は違う」

「不公平」

「そう」

 小麦は平然としている。

 最初の若い船員が皿を受け取った。

「十五分休憩、あと七分」

「七分で食うな。延長」

「賃金なくなる」

「補償欄へ」

 価が船着場から叫ぶ。

「占拠による自発損失は、誰が払う!」

「食事中に金の話するな!」

「食事を交渉へ使うな!」

「使ってない! 空腹で棹振るなって言ってる!」

 商船の船員が、少しずつ皿を取る。

 船頭も最後に取った。

「同じ釜、本当に使わないな」

「今日は」

「なぜ」

「疲労を均したら、長く働いた人の症状が隠れる。あと、占拠へ同意したことにされたくない」

「食っただけで?」

「前に、食べたことを旗へ使われた」

「俺たちと同じだ」

「同じじゃない」

 小麦が言い、すぐ続ける。

「似てるところはある」

 船頭は皿を見た。

「今日、みんなその言い方だな」

「感染」

 午後二時五分。

 朝は占拠船へ国家標準案を持ってきた。

 紬は受け取らない。

「暫定通水命令」

 朝が説明する。

「病院船、食料、医療部品に限り、第二水門を二時間開放。商船組合の占拠は一時停止。発令者は地域共同名義」

「誰が名義」

「上流、下流、病院、商船から各一」

「早い」

「今日中に医療部品を届けられます」

「中央式」

「参考式です」

「命令の形が中央」

「形式は、責任者と期限が明確です」

「その二時間が終わったら、また中央式を使う」

「必要なら」

「地域は、困るたびあなたを呼ぶ」

「呼ばれれば来ます」

「来られない日」

 朝は黙る。

「私が能力を使うのと同じ」

「違います」

「違う。でも似てる。速い。きれい。場を止める。次も、その人を待つ」

「病院の部品が必要です」

「商船が運ぶ」

「今、占拠しています」

「だから、商船自身に例外を作らせる」

「拒否したら」

「今日の責任が商船へ残る」

「患者が代償を負う」

「そう」

「それでも」

「それでも、まず商船へ聞く」

 朝の左足が半歩ずれる。

「私は、あなたの判断へ反対します」

「受け取った」

「軽く言わないで」

「重く言うと、反対が変わる?」

「変わりません」

「じゃあ、残す」

 朝は黒い杖を握った。

「患者が悪化した場合、あなた一人の責任にはしません」

「優しい」

「違います。私も暫定命令を出さなかった責任を負う」

「それ、もっと嫌」

「なぜ」

「一緒に責任を持つって、私の判断を半分取る言い方だから」

「では、あなたの判断と、私が命令を出さない判断を別欄へ」

「好き」

「評価は」

「後」

 巴がいないのに、二人とも同じ言葉を使った。

 午後三時二十二分。

 商船組合は、病院部品を積んだ一隻だけ通す案を出した。

 条件。

 第二水門を七寸。

 通過後、六隻すべてを翌朝までに通す保証。

 占拠による処分なし。

 船員賃金補償。

 上流は拒否。

 七寸開放で、下流漏水が増える。

 翌朝までの全船通過は水位を維持できない。

 下流は一部賛成。

 病院部品は必要。

 食料も必要。

 病院は、部品一隻だけを要求。

 船員組合内では、荷ごとの優先順位で割れた。

 紬は全部を聞く。

 同じ説明はしない。

 上流には、貯水努力と放流衝撃の責任を分ける。

 下流には、病院優先と商船の賃金を分ける。

 病院には、必要量百パーセントの意味を設備別に出すよう求める。

 商船には、全船一括の組合都合を、荷と船員へ分けるよう求める。

 誰からも、好かれない。

 紬の船団から、新しい罵声が飛ぶ。

「上流の代弁者!」

 上流からは。

「下流の密売人!」

 商船からは。

「役所の犬!」

 朝が言う。

「それは私へ?」

「二人ともだ!」

「私は役所を離れています」

「服!」

「着替えても同じ人です」

 紬は、少しだけ笑った。

 笑った直後、胸が詰まる。

 右肺の奥。

 息を吸うと、癒着が引く。

 布端を噛みそうになり、手で押さえる。

「休め」

 由良が言う。

「まだ」

「今、呼吸が浅い」

「見れば分かる」

「条件へ書け」

「感染してる」

「誰に」

「朝」

「不名誉です」

 朝が遠くから返す。

 紬は休まない。

 その判断が、すぐ悪い形で返った。

 午後三時三十一分。

 占拠船の一隻が、係留位置を失った。

 船員が食事交代で減り、下流からの横風が強まった。

 六隻をつなぐ鎖が張る。

 最も荷の重い三番船が、右へ流される。

 水門壁へ船腹が近づく。

「索!」

 船頭が叫ぶ。

 紬は反射で青緑布を投げた。

 布は欄干へ掛かる。

 引く。

 右肺へ鋭い痛み。

 息が止まる。

 布が指から滑る。

 迅が小船から身を乗り出し、布端を取る。

 凱が船底へ体重を落とす。

 由良は赤索を投げない。

 商船員へ端を渡し、二人で結ばせる。

 轟が叫ぶ。

「船首じゃない! 中央肋骨へ回せ! そこは折れる!」

 船員が結び位置を変える。

 紬は甲板へ膝をついた。

 呼吸が入らない。

 病院船の医師が、連絡艇から酸素袋を持ってくる。

「潜らないで」

「潜ってない」

「今後も!」

「交渉条件?」

「医療指示!」

「受け――」

「言わない!」

 酸素面を当てられる。

 冷たい空気が、右肺の奥へ少しずつ入る。

 商船三番船は、水門壁から一・八メートルで止まった。

 誰か一人の力ではない。

 迅の腕。

 凱の重心。

 由良の索。

 商船員の結び。

 轟の構造判断。

 船頭の操舵。

 能力は使われていない。

 紬の布だけが、欄干へ絡んでいる。

 片目の船頭が、酸素面を付けた紬を見る。

「交渉人」

 紬は返事ができない。

「三十分、終わった」

 布の能力不使用約束。

 時間は切れている。

「使うか」

 紬は、酸素面の上から首を振った。

 船頭は長い棹を甲板へ置いた。

「なら、占拠は続ける」

 紬はもう一度、首を縦には振らない。

 続ける自由を認めたわけではない。

 止める能力を使わないと決めただけだ。

 第二水門の鎖は、夕方の風でさらに張った。

 六隻の船が、別々の荷重を持ったまま、一つの壁になっている。

 紬は酸素を吸いながら、その壁の結び目を数えた。

 同じ強さで結ばれた鎖は、一番重い船から全体を引いていた。