第569話 第七章「朝の罪」前編

六月二十四日 午前八時五十五分

 罪を認める人間は、信用できる。

 そう言う人間は、自白を新しい勲章にしたいだけかもしれない。

 御厨朝は、証人席の高さを五センチ下げてもらった。

 左脚は伸ばす。

 右脚は短下肢装具の角度に合わせ、足台へ置く。

 黒い杖は右側。

 机上には水、鎮痛薬、休止札、訂正札。

 立って宣誓しない。

 首席審理官が確認する。

「着席のまま宣誓しますか」

「はい」

「理由を公開しますか」

「両腓腹筋損傷後の歩行障害。右腓骨神経障害。長時間立位で転倒危険。以上」

「痛みの程度は」

「現在、右四、左三。証言内容の信用性とは無関係です」

 傍聴席から、誰かが拍手しかけた。

 朝はそちらを見た。

「拍手も無関係です」

 手は下がった。

 七瀬の撮影機が回る。

 腰高固定台。

 朝の杖だけを大きく映さない。顔、手、机、訂正札、時刻を同じ画面へ入れる。

 真琴が主尋問を始めた。

「御厨朝。中央官庁群の自動更新命令について、あなたの役割を説明してください」

「最初の原案を作成しました」

「目的は」

「災害時、二十四時間で緊急命令が一斉失効し、病院、給水、避難路が停止することを防ぐため」

「自動更新を入れた」

「はい」

「誰の命令で」

「原案作成の指示は、中央決裁室。自動更新を安全弁として提案したのは私です」

「冬城征士郎の指示文に、自動更新を入れろと書かれていましたか」

「書かれていません」

「では、あなたの判断」

「はい」

「原案では、再発令者名、継続理由、現場確認を必要としていた」

「はい」

「第二稿で、《安全認定が継続する場合、自動更新を認める》へ変えたのもあなた」

「はい」

「なぜ」

「発令者が移動、負傷、死亡しても、別の安全担当が継続判断できるようにするため」

「名前を曖昧にした?」

「発令者名は残す設計でした。更新者を別に置く設計です」

「第三稿では、発令者名が内部ログへ移り、現場確認が事後報告へ変わっています」

「冬城評議官の決裁後です」

「あなたは異議を出した?」

「出しました」

「何回」

「二回」

「拒否された」

「一回目は《処理遅延》。二回目は《非常時の責任集中》を理由に退けられました」

「その後」

「施行用平文を作りました」

「拒否されたのに、実行へ協力した」

「はい」

「辞職しなかった」

「はい」

「外部へ告発しなかった」

「はい」

「命令を受けただけ?」

「いいえ」

 朝は、黒い杖へ手を伸ばさない。

 痛みが増した時、物を握る癖がある。今日は、杖を握る動作が《苦しみながら真実を話した》という映像へ使われる可能性を知っている。

「施行用平文のどこを、あなたが選びましたか」

 真琴が聞く。

《安全上必要な命令は継続します》と書きました」

「元の正式文には」

《中央決裁室が安全認定を継続する場合、次回確認時刻まで効力を保つ》

「何を削った」

「主体、次回確認時刻、現場異議欄への参照」

「なぜ」

「読みやすくするため」

「効果は」

「誰が継続判断をしたか、いつ切れるか、現場が拒否できるかが見えにくくなりました」

「意図した?」

「主体を隠す意図はありませんでした」

「結果は」

「隠れました」

「あなたの責任は」

「あります」

 真琴は、そこで質問を止めた。

 朝は続けない。

 自分から長く語れば、反省の物語を組み立てられる。聞かれた範囲だけ答える。

 冬城側補佐官が立った。

「あなたは、中央の命令に反対していた被害者のように証言しましたね」

「そのようには証言していません」

「異議を二回出した、と」

「事実です」

「採用されなかった。にもかかわらず施行文を作った」

「事実です」

「あなたが分かりやすくした平文によって、命令は地域へ広がった」

「はい」

「中央決裁室の人間は、正式文を読めた。住民はあなたの平文を読んだ」

「はい」

「実際に人を動かしたのは、冬城評議官の難解な文ではなく、あなたの言葉では?」

「その部分はあります」

「では、同調命令と自動更新の実質的設計者は、あなたでは」

「自動更新安全弁の提案者、平文の作成者です。発令主体、現場確認削除、内部ログ分離、中央一括更新の決裁者ではありません」

「責任を分けていますね」

「分けます」

「自分に都合よく」

「都合が悪い部分も分けています」

「たとえば」

「異議を出したことを、免責へ使わない。平文を選んだことを、冬城の命令へ移さない」

「あなたは、命令を止める地位にいた」

「完全には」

「首席調停官だった」

「調停官です。決裁権はありません」

「辞職はできた」

「できました」

「しなかった」

「はい」

「なぜ」

 朝は、そこで初めて少し長く黙った。

 法廷の壁時計が、三秒進む。

「辞めれば、別の人間がもっと悪い文を書くと思いました」

「自分の方がましだと」

「思いました」

「傲慢では」

「はい」

「その傲慢で、命令が続いた」

「はい」

「冬城評議官一人の責任ではない」

「はい」

 傍聴席の一部がざわめく。

 冬城側補佐官は、そこで一枚の写真を出した。

 歩幅同期事故後の朝。

 担架。

 両脚の固定。

 顔は汗で濡れている。

「あなたは《過半歩》の反証で、この障害を負った」

「はい」

「自分の制度を止めるために」

「一部は」

「自分の身体で責任を取ったと?」

「いいえ」

 朝の返答は速かった。

「痛みは、責任の支払いではありません。私の筋肉が裂けても、命令を受けた人の時間は戻りません」

「では、この写真は」

「医療記録です」

「反省の証拠ではない?」

「違います」

「あなたが同じ過ちを繰り返さない保証にも」

「なりません」

「なら、何をもって信用しろと」

「信用を求めていません」

 朝は、机上の訂正札へ手を置いた。

「私の文、異議、採用されなかった条件、施行に協力した事実、後で止めた事実。全部を照合してください。信用ではなく、行為を」

 補佐官は、一瞬言葉を失った。

 朝は勝ったと思わない。

 相手が黙った時間は、こちらの正しさではない。

 冬城が、自分で質問を求めた。

「御厨」

 低い声。

「はい」

「あなたは、当時の中央一括更新がなければ、いくつの医療命令が失効したか知っていますか」

「十四」

「給水は」

「十二」

「移動制限は」

「十七」

「そのうち、失効により即時被害が出たと推定されるものは」

「医療五、給水三、移動一。ただし、代替手順が準備されていない前提です」

「代替手順は当時なかった」

「一部にはありました。中央書式へ載らなかった」

「あなたは載せなかった」

「はい」

「なぜ」

「地域ごとに形式が違い、九秒以内の更新画面へ入らなかったから」

「九秒を選んだのは」

「私です」

「理由」

「緊急時の処理遅延を減らすため」

「結果、助かった人間もいる」

「います」

「その人々へ、あなたは自分の平文を謝罪しますか」

「しません」

 傍聴席が大きく揺れた。

「説明します。害した人へ謝罪します。助かった人を、謝罪の材料にも正当化の材料にも使いません」

「便利ですね」

「不便です」

「責任を分ければ、誰も全責任を取らない」

「全責任という言葉で、他の責任者を消すよりましです」

「中央が全責任を取る制度を、あなた方は壊した」

「中央は全責任を取っていませんでした」

「私が取った」

「反証を若年者へ移しました」

 冬城の右手が、亀裂の入った銀具の上で止まる。

「都市を維持するために」

「その判断をした責任は、あなたにある」

「あなたの平文が、実行した」

「その責任は、私にある」

 朝は、冬城から目を逸らさない。

「二人分あります」

 法廷が、妙に静かだった。

 冬城が言う。

「二人分で、死者は減りません」

「一人分にしても減りません」

「人は、誰を罰すればいい」

「本審理は、罰を決めません」

「逃げていますね」

「範囲を守っています」

「範囲を守る人間が、緊急時に人を殺す」

「範囲を広げる人間も殺します」

「では、何が正しい」

 朝は、波形の訂正札を指で押した。

「その聞き方では答えられません」

 百舌忍が傍聴席で、左手を一度上げた。

 同意ではない。

 同じ回答を自分も選んだ、という記録だった。

 冬城は、補佐官へ任せず自分で立った。

 立つ必要はない。

 それでも立つ。

 朝は座ったまま見上げる。

「御厨朝。あなたの原案では、命令更新に三つの確認が必要だった」

「発令者名、継続理由、現場確認」

「平均処理時間は」

「試験時、十一分二十秒」

「あなたは短縮案を出した」

「はい」

「何秒に」

「最短九秒。通常二十六秒」

「私が命じる前に?」

「はい」

「なぜ」

「黒雨後の給水命令で、確認待ちの十一分に主配管が凍結した記録を見たからです」

「死者は」

「凍結そのものによる死亡は三。関連低体温症を含めると九」

「あなたは、その九人を繰り返したくなかった」

「はい」

「九秒処理は、人を救うための提案だった」

「はい」

「その提案が、後に無記名更新を広げた」

「はい」

「善意が悪用された?」

 朝は、そこで黒い杖へ手を伸ばしかける。

 止める。

「悪用、という言葉だけでは足りません」

「私が変えた?」

「あなたが、発令者名を本文から内部ログへ移した。現場確認を事後へした」

「あなたは反対した」

「二度」

「なら、あなたは被害者では」

「反対後も、九秒処理を実装しました」

「辞めれば、遅い旧式へ戻った」

「戻った可能性があります」

「あなたが残ったことで、病院命令は早く更新された」

「はい」

「救われた人もいる」

「います」

「なら、あなたの加担を罪と呼べば、その人を救った仕事まで否定する」

「否定しません」

「では、何と呼ぶ」

「選んだ仕事です」

「罪ではなく?」

「罪かどうかは、別の審理です。私は、何を選んだか話しています」

「責任を認める人間の顔をしながら、法的結論から逃げる」

「顔を使わないでください」

「痛みを隠している」

「痛みはあります」

「杖を握らないようにしている」

「はい」

「映像を意識している」

「はい」

「それも演技では」

「演技です」

 傍聴席が動く。

 朝は続ける。

「人前で、自分の癖を抑える行為は演技です。演技したから、提出文の時刻が変わるわけではありません」

「あなたは、誠実に見せようとしている」

「見せようとしています」

「信用を得るため」

「信用されなければ、文を読んでもらえないと思うから」

「なら、信用性と無関係ではない」

「私の態度が、聞いてもらえるかに影響することは認めます。文の内容が正しいかは、別に照合してください」

 冬城は、朝の第一稿を持ち上げた。

「この原案の《現場確認》は、誰が行う?」

「現地責任者」

「現地責任者が不在なら」

「副責任者」

「二人とも負傷なら」

「受領担当」

「受領担当が、命令を必要としている当事者なら」

「利害を記録して確認」

「十一分どころではない」

「はい」

「その間に人が死ぬ」

「死ぬ可能性があります」

「だから九秒にした」

「はい」

「九秒の命令で、別の人が閉じ込められた」

「はい」

「どちらを選ぶ」

 朝は、波形板へ視線を落とす。

「この聞き方では答えられません」

「決裁者は答えなければならない」

「私は決裁者ではありませんでした」

「だから責任がない?」

「違います。設計者として、二択へしない案を作る責任がありました」

「作れた?」

「当時は、作れませんでした」

「今なら」

「すぐには」

「あなた方は、失敗後にだけ賢い」

「はい」

 冬城の声が、初めて止まる。

 朝は、勝った顔をしない。

「私は、九人を見て九秒を作りました。その後、九秒で閉じ込められた人を見ました。次の設計が正しい保証にはなりません」

「保証がない制度を使う?」

「保証がないと書いて、止める窓口を付けます」

「弱い」

「弱いです」

「都市を任せられない」

「私一人へ任せないでください」

 冬城は席へ戻った。

 朝の証言記録には、九秒処理で救われた事例と、無記名更新で閉じ込められた事例が、同じ設計者の欄へ載った。

 朝は休止札を上げる。

「腰痛四。十分休止」

 誰も、それを冬城の質問に耐えた証拠へしなかった。

 午後の審理は、限定照合室と公開法廷を二重につないで行われた。

 公開画面に映るのは、机、手、時刻、選択札。

 顔は映らない。

 声は、本人が許可した部分だけ。

 薬歴、出生名、家族情報は限定室へ残る。

 最初にシキが座った。

 公開側から見えるのは、灰色の袖と、指先だけ。

 真琴が問う。

「無標班で使われた《抽出対象》という分類について説明してください」

 シキは短文入力機へ打つ。

《所属なし。所属を示せない。所属を変えた。所属者の家族。所属を拒否。五分類》

「抽出とは」

《指定場所から連れ出す。病院、拘置所、七局へ》

「拒否した場合」

《危険分類が一段上がる》

「誰が作った分類ですか」

《書式は中央。対象を選ぶのは班》

「あなたが選んだ?」

《三件》

「命令された?」

《一件は名指し。二件は私が条件から選んだ》

「実行した?」

《三件》

「拒否した一件は」

《患者。抽出中に発作。搬送先が薬を持っていなかった》

「命令違反の理由は、患者を守るため?」

 シキの指が止まる。

《それだけではない。失敗すると班の評価が下がる。死なれると自分が罰を受ける》

「善意だけではない」

《ない》

「その患者は」

《公開しない》

「生存だけ」

《本人が許可していない》

 冬城側補佐官が反対尋問へ立つ。

「あなたは、中央施設で訓練と薬剤投与を受けましたね」

《はい》

「自由な判断能力が損なわれていた可能性がある」

《ある》

「なら、三件の抽出も、中央の強制環境による」

《それだけではない》

「被害者なのに、自分を責める必要はありません」

 シキの指が、入力板から離れた。

 面布の奥で、目が細くなる。

《必要を決めるな》

「あなたを免責しようとしている」

《頼んでいない》

「中央の強制性を認めれば、冬城評議官の責任が増える。あなたに有利です」

《私が選んだ人の責任が消える》

「あなた自身も子どもだった」

《年齢は限定》

「では、当時未成年だったことは公開可ですか」

 シキは、公開可・限定・拒否の三札を見る。

 拒否。

 補佐官が言う。

「年齢すら出さず、責任だけ語れるのですか」

《語る範囲を選ぶ》

「被害者側は、あなたの顔も本名も知る権利がある」

 シキの指が速くなる。

《行為記録、対象、命令、拒否、審理窓口を出す。顔と出生名は、被害を戻さない》

「逃げでは」

《逃げた範囲は別欄へ書く》

「あなたが本当に本人か、公開の人間は確認できない」

 真琴が限定照合室へ合図する。

 藍が、別の机へ座った。

 病棟では藍。

 法的氏名は限定箱のみ。

 服薬時刻は午前七時四十分。証言のために薬を止めていない。

 公開画面には、藍色に染まった指先と薬包だけが映る。

「限定照合を行います」

 真琴が言う。

「藍、公開範囲を確認してください」

「病棟名、投薬記録係だったこと、抽出当日の投与番号、シキの手袋の損傷、私が見た行為。法的氏名、家族、全薬歴は非公開」

「了解」

「そこは違う」

 藍が言う。

「何が」

《了解》だと、あなたが範囲を承認したみたいになる。私が指定した。あなたは受領した」

「訂正します。指定を受領しました」

 藍は、薬包の四隅を揃えた。

「当日、抽出班の人物を識別できますか」

「顔ではなく、手で」

「説明を」

「右手袋の人差し指と中指の間が、薬品で硬くなっていた。左手袋の親指に、青い縫い糸。歩く時、右足が半歩遅い。病室へ入った後、私の投与番号を二回訂正した」

「その人物が、現在シキと呼ばれる証人であると」

「限定室の身体照合と、本人が出した行為記録の範囲で一致」

「本名を知っていますか」

「知らない」

「知りたい?」

「質問の目的は」

「本人確認」

「手と行為で足りる。名前が増えても、あの日の投与量は変わらない」

 冬城側補佐官が尋ねる。

「あなたは、投薬記録を改変しましたね」