第570話 第七章「朝の罪」後編
「はい」
「中央命令で」
「最初は」
「後は」
「命令を待たずに続けた」
「なぜ」
「正しい量を書けば、次の投与が増えると思った。少なく書けば休ませられると」
「救うため」
「怖かったため」
「同じでは」
「違う。救えたかは分からない。怖かったのは覚えている」
「あなたの改変で、中央の監督値が低く見えた」
「はい」
「冬城評議官は、正確な値を知らなかった可能性がある」
「ある」
「なら、監督責任は弱まる」
「その結論は私の役目じゃない」
「数字を記憶しているのでしょう」
「覚えている。正しいとは言ってない」
藍は、公開可の一枚だけを差し出した。
投与番号。
改変前の記憶値。
改変後の記録値。
同時刻の銀具反証波。
「私の記憶は、一人分。紙と機械記録と照合してください。私だけで事実にしないで」
真琴は受領し、真正性欄へ《本人記憶。単独確定不可》と記した。
その文を見て、傍聴席の一人が叫んだ。
「自分で改変したくせに、被害者ぶるな!」
別の一人が、朝へ向かって叫ぶ。
「裏切り者! 冬城を倒すために、自分の罪まで芝居にするな!」
さらに別の声。
「シキの顔を出せ! 被害者が見てる!」
法廷警備が立つ。
七瀬は、撮影機のクランクを止めない。
朝の顔だけへ寄らない。
叫んだ人間の顔も映さない。
音声と時刻、傍聴席番号、警備が動いたこと、朝が応答しなかったことを同じ記録へ入れる。
審理官が静粛を命じる。
「今の罵声を削除してください」
朝が言った。
七瀬が顔を上げる。
「公開記録から?」
「いいえ。証言内容の要旨から。私の信用を上げる材料にも、傍聴者全体の悪意の証明にも使わない」
「音は残す」
「残してください」
「顔は撮ってない」
「それも残してください」
休止の十五分を、冬城側は待ち時間として使わなかった。
朝の原案によって救われたとする四件の記録が、正面板へ出された。
雪害時の病院電源。
配水管破裂時の緊急弁。
避難列車の継続運行。
感染区画の封鎖。
「あなたの自動更新がなければ、これらは止まった可能性があります」
補佐官が言う。
朝は水を飲み終えてから答えた。
「あります」
「あなたは人を救った」
「その可能性があります」
「なぜ認めない」
「救命結果の担当者は、病院、弁操作、運転、現場封鎖をした人です。原案だけへ集めないでください」
「自分に不利なことは自分の判断。有利なことは現場の功績?」
朝は黒い杖の柄を見た。
「不利な結果も、現場の選択があります。有利な結果も、私の設計があります」
「なら、あなたの功績だ」
「功績欄へ入れてください」
「ようやく認める?」
「責任欄と別に」
冬城が、初めて口元をわずかに緩めた。
「別欄を増やせば、人は自分の好きな欄だけ読みますよ」
「一欄へまとめれば、まとめた人の好きな結論だけ残ります」
「あなたは、分けることで逃げる」
「私は、まとめた文でも逃げました」
朝は、第二稿を見た。
安全認定が続く限り、自動更新を認める。
短い。
分かりやすい。
誰が更新したか見えない。
「短い文は、人を早く動かします」
「災害では必要だ」
「はい」
「なら、何が問題です」
「早く動いた後、誰が止められるかを書かなかった」
時刻係が、朝の休止残り一分を示した。
朝は証言を再開する前に、四件の救命記録へ自分の名を追記した。
《原案作成者として寄与》
その下へ、別の行。
《現場実行者の氏名・判断を別掲》
自分を消さない。
自分だけにもしない。
それは謙遜ではなく、名前の置き場所を増やす作業だった。
冬城が朝を見る。
「あなたは、味方からも信用されない」
「はい」
「それでも、こちらの責任を問う?」
「信用されない人間でも、提出した紙の時刻は照合できます」
「孤立を誇るのですか」
「誇りません」
「痛みに耐え、味方の罵声にも耐えた」
「耐えたことを、正しさへ使わないでください」
朝は休止札を上げた。
「右脚の痙攣。十五分休止を申請します」
審理官が認める。
法廷医療担当が、朝の装具を外さず、足位置と循環を確認する。
傍聴席からまた拍手が起きかけ、今度は誰かが先に止めた。
休止中、冬城は水を飲まない。
朝は飲む。
「勝負みたいですね」
七瀬が、撮影機の横から言った。
「どちらが先に倒れるか」
「私は倒れない方へ休みます」
「冬城は?」
「本人へ聞いて」
七瀬は冬城へカメラを向けない。
十五分後。
朝は同じ椅子へ戻る。
杖も同じ位置。
痛みは右三へ下がった。
証言記録の最後に、彼女は自分で一文を追加した。
《私は、異議を出した》
《私は、採用されなかった後も施行に協力した》
《私は、自動更新を安全弁として提案した》
《私は、誰が更新したか見えにくい平文を作った》
《私は、後に停止へ協力した》
《以上を別個に認定する》
署名は、座ったまま行う。
右手で。
黒い杖は、机の脇に立っている。
署名の線が少し震えた。
真琴は、震えを信用性の注記へ使わない。
《筆跡振戦あり。身体状態による可能性。内容評価へ不使用》
朝は、その注記を読み、訂正しなかった。