第573話 第九章「迅の空白」前編

六月二十六日 午前九時三分

 何も書いていない紙は、自由だ。

 借金の額も、死者の名も、責任者の署名もない。

 だから、空白は、ときどき一番よく逃げる。

 竜胆迅は、証人席の前で右頬の縫合糸を触らなかった。

 三針。

 視力障害なし。

 傷の外側が乾き、笑うと引きつる。

 証人席へ座る前に、出口を二つ確認する。

 正面扉。

 右手の限定証人路。

「左にも扉があります」

 真琴が言った。

「開かない」

「非常時は開きます」

「鍵が審理官席にある」

「法廷で出口の監査をしないでください」

「出口のない法廷が、責任の話をする方が変だろ」

「いまの発言も記録へ入ります」

「入れて」

「珍しいですね」

「あとで、言ってないことにされるよりまし」

 迅は証人席へ座った。

 壁を背にできない。

 少し落ち着かない。

 冬城側補佐官が、白い布を一枚広げた。

 空白の旗。

 文字も紋章もない。

 端には、薬品護送で付いた茶色い染み、工場の煤、水底の塩、厨房の油が残っている。

「これは、組織旗ですか」

「違う」

「では、何です」

「その時の仕事を示す布」

「百人会議で、活動資格を得た」

「期限付き」

「その後、多数の事件へ関与した」

「頼まれた範囲で」

「誰に頼まれたか、全件示せますか」

「全部は無理」

「記録がない?」

「口頭の依頼、途中変更、複数人、本人が名前を出したくない件がある」

「便利ですね」

「不便だよ」

「責任を問われると、依頼者が非公開。権限を求めると、住民の依頼」

「そう見える」

「見えるのではなく、そうなのでは」

 迅は、白布を見た。

「そうなった件もある」

 傍聴席がざわめく。

「認める?」

「認める」

「空白の旗には、憲章がありますか」

「ない」

「会員名簿は」

「常設のものはない」

「代表者は」

「仕事ごと」

「財産は」

「共同の常設財産は、ほぼない」

「ほぼ?」

「修理台、記録箱、共有布、工具。誰が管理してるかは別に書く」

「徴収権は」

「ない」

「罰則は」

「ない」

「命令権は」

「ない」

「それで、警備、医療、配給、撤退、契約、監視、命令停止へ関与した」

「した」

「責任逃れのため、権限だけ否定する組織では」

 迅の右親指が、赤い七結びを押さえる。

「その批判は、当たる部分がある」

「どこが」

「決めた後で、《俺たちは命令できない》って言って、結果を現場へ戻した件」

「具体的に」

 迅は、持参した一冊目の記録を開いた。

 赤錆大工場。

「操業停止を工員が選んだ後、再稼働の検査範囲を、工場へ返した。俺たちは安全楔を外したのに、再稼働後の責任者を最初の三日、明確にできなかった」

「被害は」

「夜勤交代が四時間遅れた。賃金計算が六日止まった」

「誰が補償した」

「工場、白布の作業費、地域基金。割合決定に十日」

「迅本人は」

「地下試合の賞金を一部入れた」

「美談ですか」

「足りなかった記録」

「金を出せば責任を取った?」

「取れてない」

 次の記録。

 南環市場。

「契約を分けた後、警備を拒否した三店舗の夜間設備が壊された。俺たちは《本人の選択》を守ったけど、拒否後の代替警備を遅く出した」

「犯人は」

「特定されてない」

「責任を取れない?」

「壊した責任は、犯人。代替を準備しなかった責任は、担当者。担当者名に俺も入ってる」

「空白の旗として?」

「竜胆迅として」

「組織責任を個人へ戻している」

「組織がないって言った」

「だから責任逃れだと言っています」

 迅は、そこで黙る。

 反論はある。

 恒久組織にすれば、いつか命令権と徴収権が付く。

 名前のない布だから、仕事が終われば降ろせる。

 しかし、降ろした後に残る請求書まで消せるわけではない。

「空白にした理由は」

「誰かの王冠にしないため」

「結果、誰の責任か分からなくなった」

「なった時がある」

「失敗ですね」

「はい」

 冬城が、補佐官へ代わって問う。

「白布を掲げた者は、住民から英雄視されましたね」

「された」

「あなたは、王にならないと言いながら、王以上の人気を得た」

「人気は数えてない」

「数えないことが、存在しないことになりますか」

「ならない」

「支持率を測らず、任期もなく、辞職手続きもなく、必要な時だけ現れる。選挙を受けない王では」

 迅は、冬城を見る。

「そう見える場面がある」

「否定しない?」

「否定する仕組みが足りない」

「では、私より危険では」

「可能性はある」

 傍聴席から、怒った声。

「何を言ってる!」

「迅が冬城と同じなわけない!」

 迅は声の方へ向かない。

「同じじゃないと言ってもらうために、ここへ座ってない」

 冬城の目が、少し細くなる。

「なら、何のために」

「どこが同じになり得るか、出すため」

「自分を疑う姿勢を見せれば、免責されると思っている?」

「思ってない」

「では、何が残る」

「記録と、終了条件」

「その説明は後で聞きます」

 冬城は、白布を指した。

「まず、空白が失敗した現場を全部出してください」

 迅は二冊目の記録を開いた。

 全部ではない。

 全部と呼べる範囲を、先に定義する必要がある。

「確認できたもの、二十七件」

「少ない」

「苦情、損害、期限超過、役割不明、無断撮影、搬送先変更、支払い遅れ。分類が違う」

「死者は」

「空白の旗の判断だけを単独原因にした死亡認定はない」

「巧妙ですね」

「共同原因の疑いがある死亡は、三件」

 法廷が静かになる。

「説明を」

「一件は、病院搬送の保留中に容体悪化。医療側は搬送可能、本人家族は行先未確認。白布の担当が、確認を待った」

「死亡した」

「二日後に」

「待たなければ助かった?」

「不明」

「二件目」

「撤退経路を三つへ分けた時、作戦前に死亡確認されていた五人のうち、遺体二人を現地へ残した。死因とは関係ない。返還が遅れ、遺族の確認が二十一日遅れた」

「死亡ではなく、死後の損害」

「はい」

「三件目」

「洪水避難で、残留を選んだ人の一人が、二日後に持病で死亡。避難すれば助かったかは不明。説明が足りたか、再確認中」

「それを失敗へ含める?」

「本人が残ると選んだことを、成功へ数えないため」

「責任の範囲を、広げすぎでは」

「狭くしてきたから、広げてる」

「感情で」

「記録で」

 迅は、三件の頁を開いたまま机へ置いた。

 白布は、その横で何も書かれていない。

 冬城側は、迅が「しなかったこと」を証拠へ出した。

 最初は、外環境界の戦闘記録。

 武器を預け、誓痕を一度も使わず、行方不明者を三つの行先へ分けた件。

「能力を使わなかったことが、正しい判断だったと主張しますか」

「しない」

「では、なぜ提出した」

「能力を使える状況と、使わないと決めた人間を残すため」

「結果は成功した」

「その場では」

「後の境界緊張は続いた」

「続いた」

「つまり、能力不使用は根本解決ではない」

「そうだよ」

「英雄的な自制を演出しているだけでは」

「演出に使われたことはある」

 七瀬が撮影台の横で、視線だけを上げた。

 迅は続ける。

「俺が使わなかったことを、他人にも使うなって命令した映像がある。あれは間違い」

「誰が撮った」

「七瀬」

「公開されていますか」

「訂正版と一緒に」

 七瀬が証拠番号を示す。

 公開映像では、迅が境界警備へ向かって言っている。

『武器も能力も置け』

 その後、訂正版。

『俺が使わないと決めた。おまえの判断まで取ってない』

 冬城側補佐官が言う。

「最初の命令は、あなたが否定する中央命令と同じでは」

「同じ部分がある」

「訂正すれば済む?」

「済まない。最初に止めた時間は戻らない」

「しかし、被害はなかった」

「発砲しないと決めた兵士が、自分で決めた記録を後から取り直す必要が出た。彼の判断を、俺の命令の結果に見せた」

「精神的な話ですか」

「責任の話」

 次の証拠。

 環水三号塔の正面扉。

 破壊せず、蝶番軸を抜き、後で戻した扉。

「あなた方は、壊さなかったことを成功として宣伝した」

「した人はいる」

「あなたは」

「壊すと住民の保証が消えるから、壊さなかった」

「結果、救助が遅れた」

「一時間四十七分」

「その間、給水塔の圧力は危険域だった」

「はい」

「もし破壊していれば、早く入れた」

「入れた可能性がある」

「死者は出なかった」

「出なかったから、遅れが安全だったとは言えない」

「壊さない判断を、今も正しいと?」

「当時の条件では選ぶ。でも、次も同じとは言わない」

「便利です」

「水圧は、便利な思想に合わせない」

 塔の住民技師・水巻ハツが、短い補足証言を行った。

「扉を戻せたおかげで、翌日から住めました」

 補佐官が聞く。

「待った時間に、危険を感じましたか」

「感じました」

「迅たちへ、早く壊せと言った?」

「言いました」

「今も、言うべきだったと」

「言う。壊さなかった判断は、結果として助かった。でも、待ってる側は結果を知らない」

「では、迅の判断を批判する」

「批判します」

 水巻は、迅を見る。

「扉を戻したことは感謝してる。待たせたことは、今も腹が立つ」

 迅はうなずく。

「両方でいい」

「あなたが決めないで」

「……そうだな」

 次の証拠。

 青石台撤退。

 三経路。

 三百十二人。

 殿十七人。

 新規死亡ゼロ。

 迅が《七退一還》を六歩で中断した記録。

「最後の受領札を奪おうとした追撃者へ、能力を使わなかった」

「七歩目へ退くと、札が雨に濡れた」

「札は複製可能では」

「原受領時刻が消える」

「人命より紙を優先?」

「追撃者を殴るより、札を運ぶ方がその時は人命につながった」

「追撃者が別の人を襲えば」

「その可能性はあった」

「あなたは、暴力を止めなかった」

「止めきれなかった」

「能力を使わないことを美徳にしたため?」

「違う」

「どう違う」

「使わなかった記録の横に、追撃者を逃した記録もある」

「並べれば免責?」

「ならない」

「何のために並べる」

「次に同じ条件で、札を防水にする。追撃者を別の人が止める。俺一人の七歩へ二つの仕事を載せない」

 冬城が口を挟む。

「それには、事前の組織が要る」

「要る」

「空白の旗にはない」

「その時は足りなかった」

「中央なら、役割を分けた」

「中央が役割を分けた記録もある」

「認める?」

「認める」

「ならば、中央を残すべきでは」

「中央って一語で、反証転嫁まで残さない」

「役割分担だけ残せばよい?」

「誰の役割か、更新できる形で」

「あなたは、中央の成果を分解し、自分たちの失敗を共同原因へ分散する」

 迅は少し笑い、頬が引きつる。

「逆もやってる。白布の成功を分解して、失敗の俺の名前を出してる」

「本当に全部?」

「確認できた分」

「確認しなかった分は」

「残る」

「それが空白です」

「そうだな」

 迅は、白布の染みへ目を落とす。

「だから、空白を正しさの色にはしない」

 午後の反対尋問では、空白の旗に助けられた者ではなく、待たされた者が呼ばれた。

 最初は、南環市場の元青果店契約者、三一。

 小口運搬を続ける少年は、証人席へ座ると、名前の数字を指で三度なぞった。

「迅たちが契約を分けたことで、住居と親の債務を切り離せた」

 真琴が確認する。

「はい」

「利益があった」

「ありました」

「不利益は」

「警備を残すか決めるまで、店の夜番がいなかった。俺は保留を選んだ」

「なぜ」

「警備料が払えない。でも、断ると店が壊れると思った」

「白布側は」

「決めるまで待つって言った」

「待ったことで」

「二晩、自分で店にいた。学校を休んだ。三日目に棚が壊された」

「誰が」

「分からない」

「迅の責任?」

 三一は、迅を見る。

「全部じゃない」

「どの部分」

《決めなくていい》って言われた時、待ってる間の仕事を誰がやるか決まってなかった」

「あなたが、保留を選んだ」

「選んだ」

「なら、自分の責任では」

 三一の指が止まる。

「保留って、何もしなくていい札だと思った」

「説明不足?」

「説明はあった。字も読んだ。でも、夜番が必要って、俺は分かってなかった」

「白布側が、全部の結果を説明すべき?」

「全部は無理」

「では」

「分からない時に、保留した人の生活を聞く係が要った」

 迅が短く言う。

「いまは置いてる」

 冬城側補佐官がすぐに問う。

「いまは、です。当時はなかった」

「なかった」

「被害後に制度を足した」

「はい」

「中央制度と同じでは。失敗のたびに規則を増やす」

「増やすだけなら同じ」

「違いは」

「三一が、係を止められる。三十日で失効する」

 三一が横から言う。

「俺だけじゃ止められない」

 迅が振り向く。

「申立てできる」

「止めるのは審理係」

「……そうだ」

「いま、また大きく言った」

 傍聴席に笑いが起きる。

 迅は、笑わず訂正した。

「保留生活係は、当事者が停止申立てできる。停止判断は三人の確認。緊急時は一人で仮停止、二十四時間以内に再確認」

 三一はうなずく。

「その言い方なら」

「最初から言え?」

「言っても分からない時ある」

「じゃあ」

「現場で聞け」

 冬城が言う。

「現場で一人ずつ聞く間に、夜は来る」

 三一が答える。

「夜は、中央命令より先に来るよ」

「だから、警備を自動配置する」

「払えない人は?」

「公費」

「公費の条件は?」

「所得確認」

「確認の間は?」

 冬城は黙らない。

「暫定配置」

「誰が決める」

「地域責任者」

 三一は迅を見る。

「同じこと聞いてる」

「そうだな」

「二人とも、違う顔で同じ質問する」

 次の証人は、環水三号塔の水巻ハツ。

 彼女は、鍵束を持ってきた。

 現在使われているのは、正面共用鍵だけ。

 診療所、食料庫、住戸、ポンプ室は別々の持ち主へ分けられている。

「白布が塔から去った後、警備契約の期限が切れた夜、何が起きましたか」

「外壁の二箇所へ落書き。ポンプ室へ侵入未遂。住民三人が、自主警備を始めた」

「白布へ連絡した?」

「した」

「対応は」

《誰が依頼者か》で二時間止まった」

「なぜ」

「住民代表がいなかったから。全員の同意を取る必要はないのに、誰が費用を払うか決まらなかった」

「被害は」

「侵入未遂は住民で止めた。けが一人。手の甲を二針」

「迅は現場へ」

「三時間後」

「遅い」

「遅い」

「中央警備なら」

「もっと早かったかも」

「では、中央がよい?」

 水巻は鍵束を机へ置いた。

「中央警備は、ポンプ室の鍵と住戸の所在も持っていった」

「安全のため」

「早く来る代わりに、ずっといる」

「白布は遅く来て、すぐ去る」

「そう」

「どちらがよい」

「どっちも、そのままじゃ嫌」

 冬城側補佐官が苦笑する。

「証人は、理想論を」

「違う」

 水巻は、正面共用鍵だけを持ち上げた。

「早く来る警備に、この鍵だけ渡す。住戸鍵は渡さない。三日で切れる。費用は塔の共同口座。今はそうしてる」

「誰が作った」

「塔の住民。白布は書式を持ってきた。久我は危険一覧を出した。外壁作業員は巡回時間を決めた」

「複雑です」

「鍵が一つなら簡単。でも、全部開く」

 迅は、右頬の糸を動かさないように口角だけ上げた。

「それ、名言にしていい?」

「使用料取る」

「やめとく」

 三人目は、波佐間啓吾。

 硝子店主。

 契約事件では、保証と警備を残したい側だった。

「あなたは、白布の契約分離に反対した」

「一部に」

「理由」

「全部ばらせば、共同保証が消える。高価な硝子を一軒で守れない」

「結果」

「保証を残す店と外す店を分けた」

「成功では」

「小さい店が外れた。共同保証の負担が、残った店へ増えた」

「自分で選んだ」

「選んだ。だから負担が軽くなるわけじゃない」

「迅たちは」

「選択を返した。でも、選択後の価格は市場へ任せた」

「何が問題」

「選べることと、払えることは違う」

 迅が答える。

「いまも解けてない」

「そう」

「俺たちの失敗?」

「全部じゃない。けど、《選べたから終わり》って顔をしたのは失敗」

「俺、そんな顔してた?」

「してない。顔はいつも不機嫌」

「じゃあ誰が」

「見てた人」

 七瀬が撮影台から言う。

「公開映像の編集責任は私にもある。選択札を返したところで映像を切った」

 波佐間がうなずく。

「翌月の保証料まで撮ってない」

「撮らなかった」

「迅だけの審理じゃなくなった」

「最初から、そうです」

 真琴が言う。

 四人目の証人は、氏名を公開しなかった。

 外環共同病院で、暗闇の触覚札を作った少年。

 当時は八番室にいた。

 いまの病室も、年齢も、病名も非公開。

 証人席の背もたれが高すぎるため、足台を一枚入れる。

「あなたは、空白の旗の行動で利益を受けましたか」

 真琴が尋ねる。

「受けた」

「何を」

「名前を言わなくても、薬と人を間違えない札を作ってもらった。俺も作った」

「現在も使われていますか」

「使ってる場所がある」

「不利益は」

 少年は、手元の札を指で回す。

 縁に、三つの切れ込み。

「退院した後、《札の子》って呼ばれた」

「誰に」

「病院の人。記録を見た人。助けてって来た人」

「顔や名前は非公開だったはずです」

「手の傷と札の切り方で分かった人がいた」

 七瀬の撮影機が、少年の手へ寄りかける。

 七瀬は代行記録係へ合図を出す。

「手の傷、画角から外して」

 少年が言う。

「いまは出していい」

「なぜ」

「証拠になるから」

「何の」

「隠しても分かる人がいるって」

 七瀬は少し考える。

「傷の全景は撮らない。切れ込みを作る動作だけ。傷が識別に使われたことは、あなたの証言で残す」

「俺が出していいって言ってる」

「いま出した映像が、あとで別の人に使われる」

「それ、俺が決めるんじゃないの」

「決める。だから、使われ方の説明をして、もう一度聞く」

「長い」

「長く説明した後でも、出す?」

 七瀬は、映像の複製、顔認証、手の特徴、再利用、撤回後に消せない写しを説明する。

 少年は途中で二度、もう分かったと言う。

 七瀬は止めない。

 説明を最後まで聞かせることも、圧力になる。

「長すぎる?」

「長い。でも、前は短すぎた」

「出す?」

「動作だけ。傷は出さない」

 七瀬は、少年の変更を記録する。

 冬城側補佐官が尋ねた。

「空白の旗は、あなたの選択を守ったのでは」

「最初は」

「その後、誰があなたを《札の子》として扱った」

「みんな。白布の人も」

 迅が顔を上げる。

「俺も?」

「病院で会った時、《札、手伝える?》って最初に聞いた」

「……聞いた」

「俺は、見舞いに来たのかと思った」

 迅の右頬の糸が、口を動かすと引きつる。

「ごめん」

「謝れば終わる?」

「終わらない」

「じゃあ、何を変えた」

「役割を聞く前に、今日は何しに来たか聞く」

「俺にだけ?」

「全員にするつもり」

「した?」

「全部は、まだ」

「じゃあ、記録は《変えた》じゃなく、《変えると言った》

 真琴が、そのとおり記す。

 補佐官が言う。

「あなたは、空白の旗を支持しますか」

 少年は、波形板を押した。

「その聞き方じゃ答えられない」

「助けられた?」

「助けられた」

「傷つけられた?」

「傷ってほどじゃないと思ってた。でも、役に立つ時だけ呼ばれるのは嫌だった」

「では、被害?」

「名前を決めないで」

 補佐官は口を閉じる。

 少年は、札を机へ置いた。

「これ、返す」

「証拠として?」

「違う。借りてた道具」

 迅は立たず、証拠係を呼ぶ。

 返却先は、病院の触覚札保管棚。

 空白の旗ではない。

 少年は、証人席を降りる時、迅へ言った。

「次に会ったら、札の話から始めないで」

「何から」

「それを、俺に聞いて」

 迅は頷いた。

 約束した時刻が記録された。

 守ったかどうかは、まだ記録にない。

 冬城は、四人の証言を聞き終えてから尋ねた。

「白布の制度は、失敗後に修正できる。それを強みとする?」

 迅が答える。

「修正できる方がいい」

「中央も修正してきた」

「した」

「なら、なぜ中央だけを止める」

「中央だからじゃない。止められない範囲が広すぎるから」

「白布の失敗は小さいから許す?」

「小さく見えるだけかもしれない」

「責任基準が曖昧です」

「だから、いまの規約を出す」

 迅が出したのは、旗ではなかった。

 十二枚の作業札。

 薬品搬送。

 契約分離。

 列車制動。

 設備修理。

 撤退。

 避難口。

 証拠搬送。

 仕事ごとに書式が違う。

「統一されていませんね」

 冬城側補佐官が言う。

「現場が違う」

「共通規則は」

「五つ」

 迅は、最も新しい一枚を机へ置いた。

《仕事名》

《担当者名》

《できること》

《終了条件と時刻》

《拒否・撤回・苦情の窓口》

「これだけ?」

「最低欄」

「安全基準、予算、監査、資格は」

「仕事ごとの別紙」

「また別紙」

 真琴が小さく咳をした。

「別紙への偏見は困ります」

「あなたは当事者です」

「だから偏見に敏感です」

 迅が続ける。

「担当者が決まってない仕事は始めない」

「緊急時は」

「仮担当を置く。本人名、範囲、終了時刻」

「本人が拒否したら」

「次を探す」

「見つからなければ」

「やらない場合もある」

「人が死ぬ」

「やる場合もある」

「誰が決める」

「そこにいる人」

「曖昧です」

「状況が曖昧だから」

「法ではない」

「法にするつもりはない」

「では、何です」

「仕事の始め方」

「国は、仕事だけでは動かない」

「今日は国を作る審理じゃない」

「また範囲へ逃げる」

「範囲を越えて決めたのが、反証転嫁だろ」

 冬城が問う。

「意識のない患者がいる。家族はいない。医師は二つの治療で割れた。時間は三分。誰が決める」

「医療担当」

「一人?」

「その場の責任者」

「中央と同じでは」

「範囲がその患者。終了は治療判断。あとで記録する」

「誤れば死ぬ」

「死ぬ」

「責任者を罰すれば済む?」

「済まない」

「では、なぜ名を書く」

「罰するためだけじゃない。次に誰へ聞くか分かる」

「人は、名前が残れば決断を避ける」

「避ける人もいる」

「結果、決められる強い人間へ集中する」

「する危険がある」

「それが、あなたや凱です」

「そうなる危険がある」

「なら、中央の方が制度的です」