第577話 第十一章「保存」前編
六月二十八日 午後零時二十四分
燃えなかった記録は、残った記録ではない。
誰が持ち、誰が読めて、誰が返せるかまで決まって、ようやく残る。
石英綺理は、旧中央城の限定閲覧室で、十七枚の穴あき札をもう一度数えた。
一。
二。
三。
十七。
逆から。
十七。
十六。
十五。
一。
数は変わらない。
中身も、開かれていない。
《最終決裁》の発動と襲撃で、城内の保管設備は三系統が停止していた。
磁気保管庫の冷却は、地下の黒粉侵入を疑って予備運転へ切り替え。
紙原本室の湿度調整は、停電で一度途切れた。
記憶容器の認証錠は、冬城の銀具波形へ引かれ、二十三秒だけ中央決裁室を優先した。
二十三秒。
短い。
人間が扉を開けて容器を奪うには足りない。
機械が《中央に従った》という履歴を残すには、長い。
「不提出十七点、認証錠の優先履歴あり」
綺理が言う。
保管係が復唱する。
「内容照会なし。錠開放なし。外部認証波、二十三秒」
「波形を公開しますか」
「公開。容器番号との対応は限定」
「不提出なのに?」
「不提出なのは中身です。外から触れようとした事実まで隠すと、守ったのか分からなくなる」
保管係は、十七枚の札の横へ細い黒線を引いた。
《六月二十八日午前十時七分四十秒~十時八分三秒 中央認証波受信》
《開放なし》
《内容照会なし》
穴の中には、何も書かない。
七瀬が限定閲覧室の入口に立っていた。
撮影機は持っていない。
左腕は胸の前で薄い支持帯へ預け、右手に紙と鉛筆だけを持っている。
「一本、欲しい」
綺理は数える手を止めない。
「何を」
「波形の写し」
「公開分なら、外の配布台」
「違う。容器番号との対応」
「限定です」
「審理記録の改変を確認するため」
「目的を書いて」
七瀬は、用紙へ書く。
《《最終決裁》発動時、所有者拒否資料へ中央認証波が届いた順番を、公開証拠への影響と照合するため》
綺理は読む。
「照合結果を公開しますか」
「中身へつながらない範囲」
「つながる可能性は」
「ある」
「なら、許可できません」
「まだ照合もしてない」
「することで、番号十七の取得時刻と、中央認証波の強さが結びつく。そこから、何の記録か推測されるかもしれない」
「推測禁止は、もう目録に書いてある」
「禁止と、できないは違います」
「分かってる」
「分かっている人は、二度頼まない」
七瀬の右手が止まる。
「母の時も、そうだった?」
「何が」
「記録を見たい人に、二度頼むなって言った?」
「言いました」
「聞いた?」
「聞かない人もいました」
「母は」
綺理は、十七枚目を置く。
「あなたがいま聞くことではありません」
「逃げる」
「所有者が答えを許可していません」
「私に不利なことでも?」
「あなたに有利か不利かを、判断基準にしません」
「審理に必要でも?」
「必要だと誰が決めますか」
「審理官」
「所有者の記憶を、審理官が持っていますか」
「持ってない」
「なら、提出命令は中身を所有する命令ではありません」
七瀬は紙を丸めない。
破りもしない。
「私、勝ちたいんだね」
「知っていました」
「言い方が嫌」
「勝ちたい人が悪いとは言っていません」
「勝ちたいから、見たい」
「はい」
「見たいから、必要だと思う」
「はい」
「でも、本当に必要かもしれない」
「はい」
「全部、はいで返すな」
「いまの質問はありません」
七瀬は笑いかけ、肩の痛みで止めた。
「痛い?」
「五」
「医療へ」
「もう休んだ」
「休んだことは、いま休まなくてよい理由ではありません」
「あなた、記録以外でも面倒だね」
「面倒でない保管者は、鍵を持たない方がいい」
限定閲覧室の外で、鐘が一度鳴った。
再開審理の予告ではない。
緊急の提出命令が届いた合図だ。
保管係が、灰色の封筒を持って入る。
《公開審理場 証拠提出命令》
対象は、不提出番号十一。
理由。
《中央反証分配承認会議の前後三十分に取得された可能性があり、承認者の認識範囲を確定する上で高い関連性を持つ》
《内容は限定審理官三名のみ閲覧》
《公開禁止》
《所有者の異議は記録する》
七瀬が、綺理を見る。
「十一?」
「番号だけです」
「取得時刻が、会議前後?」
「命令文が推測を一つ増やしました」
「審理官が書いた」
「だから正しいとは限りません」
綺理は封筒の裏を見る。
署名三名。
発令時刻、午後零時十九分。
異議申立て期限、午後一時。
不提出の保管鎖を切らず、限定室で開封する条件。
手続きは整っている。
整っている手続きほど、拒む理由を人間のわがままに見せる。
「所有者へ再確認しますか」
保管係が問う。
「午前七時四分に再確認済み」
「最終決裁前です」
「《審理結果にかかわらず提出しない。再確認は六月二十九日返却時のみ》と本人が指定しています」
「提出命令が出た場合の回答は」
「《命令が出ても拒否。綺理が法廷侮辱に問われても拒否》」
七瀬の目が動く。
「そこまで?」
「公開範囲は、《命令時にも拒否》まで。私の処分に関する文は非公開」
「いま言った」
「あなたは限定室の立会人です」
「公開しない」
「理由は」
「所有者が許可してない」
「正解です」
「試した?」
「確認しました」
「同じ意味だよ」
「試すは、相手が失敗することを期待します。確認は、条件が変わっていないか見ます」
「言葉が多い」
「巴に言ってください」
七瀬は、灰色の命令書を見た。
「十一に、冬城が承認を迷ってた記録があるかもしれない」
「あるかもしれません」
「被害を知ってた記録も」
「あるかもしれません」
「中央に有利な、現場からの虚偽報告かもしれない」
「あるかもしれません」
「何も関係ない食事の記憶かも」
「あるかもしれません」
「内容を知らない?」
「知りません」
「預かったのに」
「内容を見ない条件で預かりました」
「どうやって関連時刻だけ分かった」
「容器外側の取得時刻と、所有者が許可した分類語。《会議周辺》。それ以上は知りません」
七瀬は、命令書を綺理へ返した。
「提出する?」
「しません」
「法廷侮辱」
「処分を受けます」
「収監もあり得る」
「あります」
「能力を使う?」
綺理は、そこで答えなかった。
《預かり物》は、預けた本人が自発的に託し、保管条件を定めた記憶だけを、保管者自身を含め一時的に読めなくする。
消さない。
壊さない。
逃がさない。
ただ、奪って読むことをできなくする。
使えば、命令が撤回されても、条件期間が終わるまで綺理にも開けられない。
所有者が明日、気が変わっても、指定した解除条件より前には戻せない。
守る能力は、持ち主の変更権まで止めることがある。
「所有者の解除条件は」
七瀬が聞く。
「六月二十九日、本人への現物返却。本人が自分の手で封を切る。その前の解除なし」
「今日、気が変わったら」
「午前七時四分の確認後は、変更窓口を閉じると本人が選びました」
「なぜ」
「法廷の結果や脅迫で、意思を変えさせられないため」
「変えない自由を守るために、変える自由を止めた」
「はい」
「正しい?」
「分かりません」
綺理は波形の板を使わない。
自分の声で言った。
「でも、本人が選んだ条件です」
午後零時三十六分。
綺理は十七箱を説明し直さなかった。
不提出番号十一だけを棚から取り、両腕で机へ運んだ。
箱の重さ、鍵の冷たさ、所有者がここにいないこと。その三つが、分類表より先に法廷へ出た。
綺理は、不提出番号十一の容器を机へ置いた。
透明ではない。
灰色の薄い箱。
外側に、取得時刻と所有確認印だけ。
七瀬は撮らない。
代行撮影係も、限定室の外にいる。
立会人は三人。
綺理。
保管係。
七瀬。
提出命令の執行担当が扉の外へ来る。
「命令に基づき、番号十一を受領します」
綺理は答える。
「拒否します」
「法的根拠」
「所有者拒否。取得時の保管契約。公開審理規則第十二条、本人の記憶内容は本人の所有。提出命令は存在記録と関連性審査を越えて内容取得を当然には許可しない」
「審理官三名が必要性を認定しています」
「必要性の認定と、所有権の移転は別です」
「限定閲覧です」
「三人に奪われることと、三千人に奪われることは、人数が違います」
「あなたは事実認定を妨害する」
「その可能性を認めます」
「冬城評議官の責任を問う側に有利な証拠かもしれない」
「かもしれません」
「不利かもしれない」
「かもしれません」
「内容を見てから判断すべきです」
「見た時点で、拒否は破られます」
執行担当が、灰色箱へ手を伸ばす。
綺理は箱を引かない。
「触れれば、保管鎖へ記録します」
「命令執行です」
「はい」
「抵抗しますか」
「身体では抵抗しません」
「では受領します」
指が箱へ触れる前に、綺理は両手を机上へ置いた。
右手の中指が、灰色箱の封印へ触れる。
「所有者が預けた呼称」
声は小さい。
「《見せないまま返すもの》」
灰色箱の縁へ、白い石英のような光が走った。
預かり物〈セーフキープ〉。
一度。
光は派手に広がらない。
箱の鍵も消えない。
重さも変わらない。
ただ、外側の取得時刻が読めなくなる。
封印番号も、指でなぞっても意味へ結びつかない。
綺理自身が見ても、何を預かった箱か分からない。
机上には灰色箱がある。
あることだけが、分かる。
執行担当が持ち上げる。
「開封します」
「どうぞ」
七瀬が息を止める。
箱の外蓋が開く。
中に、記憶容器が一つ。
見える。
触れる。
上映機へ接続できる形をしている。
執行担当が認証端末へ置く。
端末は作動する。
《媒体あり》
《内容識別不能》
《取得時刻識別不能》
《保管条件――返却時解除》
「能力による証拠隠匿」
執行担当が言う。
「所有者の拒否を実行しました」
「法廷侮辱として拘束を求めます」
「申請してください」
綺理は立たない。
逃げない。
七瀬が口を開く。
「私が立会人です」
「あなたは当事者側の記録者です」
「だから、綺理に不利なことも言う。私は、この資料を見たかった。提出命令を支持しかけた。いまも、見れば事実認定が進むかもしれないと思ってる」
綺理が七瀬を見る。
「言わなくていい」
「私が決める」
「所有者の話ではありません」
「私の欲の話」
七瀬は、撮影機を持たない右手で、立会記録へ署名した。
「綺理は、私たちに有利かもしれない資料も拒んだ。だから信用できる、とは書かない。私が見たかったこと。綺理が拒んだこと。能力を一度使ったこと。内容は誰も見なかったことだけ書く」
「最後の《誰も》は、所有者を除いて」
「訂正。所有者以外、現在閲覧不能」
執行担当は、箱を持ったまま動かない。
「これは、審理場へ運びます」
「存在と執行失敗を示すためなら、外箱だけ」
「命令対象は中身です」
「中身は読めません」
「だからこそ、審理官が確認する」
「確認できません」
「試す」
「試すために保管鎖を移す理由がありません」
執行担当と綺理は、同じ灰色箱を見ている。
どちらも中身を知らない。
一方は、知らないから開けたい。
もう一方は、知らないまま返すと約束した。
法廷は、その二人のどちらかを正義にするほど簡単ではない。
午後零時四十九分。
首席審理官が限定室へ来た。
通常なら、保管者を法廷へ呼ぶ。
今日は、能力使用後の箱を移動させないため、審理官が来た。
「石英綺理。提出命令に従わなかった事実を認めますか」
「認めます」
「能力を使用し、命令執行を不能にした」
「はい」
「所有者の拒否を守る以外に、理由は」
「ありません」
「資料内容が、あなたや七瀬側に有利だと知っていますか」
「知りません」
「不利だと」
「知りません」
「歴史的価値が高い可能性は」
「あります」
「人命に関わる将来の判断へ必要な可能性は」
「あります」
「それでも」
「返します」
「あなたは、所有者一人の意思を、公共の事実認定より上に置く?」
綺理は少し考えた。
「上ではありません」
「では」
「別の軸です。公共の必要が高いほど、奪う理由は強くなる。だから、奪わない仕組みも強くないと、拒否は最初から存在できません」
「拒否が犯罪を隠す場合は」
「他の証拠を集めます」
「唯一の証拠なら」
「その犯罪は、認定できないかもしれません」
「被害者へ、そう言える?」
「言えないかもしれません」
「それでも守る」
「はい」
「なぜ」
「記憶を差し出した人だけが、公共の人になれる社会にしたくないからです」
首席審理官は、灰色箱へ触れない。
「法廷侮辱の判断は、事実認定後に別手続きとします。現時点で身体拘束は行わない。箱は元の保管庫へ。返却時まで封印。執行失敗の事実、能力使用、所有者拒否、審理への不利益可能性を記録する」
綺理は頭を下げない。
「承知しました」
「感謝は」
「しません」
「聞いていません」
「顔が聞いていました」
首席審理官は、ほんの少し眉を動かした。
「あなたは、人の顔を読まない人だと思っていました」
「読めます。記録へ使わないだけです」
審理官が退出する。
灰色箱は、同じ保管係が、同じ棚へ戻す。
七瀬が綺理へ言う。
「あなたが処分されたら、所有者は喜ぶ?」
「知りません」
「聞かない?」
「返却時に、処分を伝えるかどうか確認します」
「自分のことなのに」
「自分の処分を、所有者へ罪悪感として渡したくありません」
「そこまで決めるのは、逆に支配じゃない?」
綺理は手を止める。
「そうかもしれません」
「珍しい」
「何が」
「分からないって言った」
「さっきも言いました」
「二回目だから、一回目が本当だったと分かる?」
「その冗談は、私が先です」
「記録に所有権はない」
綺理は、ほんの少しだけ口元を動かした。
「腹が立ちます」
限定室の外では、保管計画の組み直しが始まっていた。
一か所へ戻せば、また同じ襲撃で全部が揺れる。
すべて複製すれば、拒否と限定が消える。
真琴は、九種類の保管先を床へ並べた。
「公開九十二点」
正式文原本。
平文写し。
機械時刻帯。
撮影記録。
音声記録。
「公開だから、全複製ではありません」
巴が言う。
「複製の数が多いほど、訂正履歴が追えなくなる」
「五系統」
真琴が提案する。
「城外公文庫。市民記憶庫。南市場平文室。外環共同病院の耐火庫。剛嶺側の共同保管所」
凱が聞く。
「病院に、審理記録を置く?」
「病院は中央設備の記録当事者でもある。保管負担と閲覧対応を押しつけない条件が必要です」
「ミソラは断るかも」
「断る窓口を先に付けます」
「剛嶺も」
「由良へ自動委任しません。現地の保管担当が受領する場合だけ」
真琴は、保管先を《予定》として書く。
予定は、決定ではない。
公開九十二点のうち、紙原本は一つしかないものが十三点ある。
原本を五つへ分けることはできない。
「原本は、取得地域へ戻す」
綺理が限定室から出て言う。
「中央城が集めたまま持たない」
「取得地域が保管を拒否したら」
「返却先を本人または取得主体と再協議」
「安全性が低い場所もある」
「中央が安全だから所有する、に戻さないで」
「安全を無視もしません」
轟が、城外の構造図を持って入る。
「箱を置ける床と、置けない床はある。正しさで梁は太くならない」
「名言みたい」
迅が言う。
「荷重計算だ」
「技師は、数字を聞いてもらえない時に短い言葉へ逃げる?」
「おまえを床下へ逃がすぞ」
「肩を使うなよ」
「口を使う」
「怖い」
轟は左肩を上げない。
図面を右手と机で広げる。
城外公文庫は、紙六百キロまで。
市民記憶庫は、磁気媒体四十八容器まで。
南市場平文室は、閲覧写しだけ。
病院耐火庫は、患者記録との混同を避ける別棚が作れる場合のみ。
剛嶺共同保管所は、湿度設備が未確認。
「安全な五か所」ではない。
安全条件が違う五か所だ。
「限定三十一点は?」
七瀬が問う。
「原所有者、限定閲覧室、市民記憶庫の三者で受領条件を決める」
綺理が答える。
「公開写しは作らない。閲覧鍵と内容媒体を別々に置く。一人で開けられないようにするが、鍵の二人が新しい権力にならないよう、期限と交代条件を付ける」
「交代条件を誰が決める」
「所有者」
「死亡している場合」
「生前指定。なければ、限定を広げず保留」
「公共の必要が」
「さっき聞かれました」
「聞きたい人が増える」
「答えは同じです」
不提出十七点は、複製しない。
所在記録だけを三か所へ置く。
容器は所有者へ返す。
返却不能なら、所有者が指定した保管先。
所有者が指定していない場合、綺理の記憶庫へ自動移管しない。
「保管者が、自分へ集めない」
朝が言う。
「あなたの権限は、どう監査する?」
綺理が答える。
「返却票。拒否時刻。開封履歴。私が見なかったことを、私以外の保管係が署名する」
「能力を使った記録は」
「一回。番号十一。解除条件と、提出命令を妨げた事実を公開」
「内容は」
「公開しない」
「法廷侮辱の結果は」
「決まれば、別記録」
朝は頷かない。
同意ではなく、聞いたことだけを記す。
真正性不足七点は、いちばん扱いが難しかった。
偽物と断定されていない。
本物とも言えない。
そのうち二点には、冬城の声に似た音声が入っている。
一点には、灯里の撮影機と同型の傷がある。
四点は、取得時刻が他証拠と矛盾している。
「捨てる?」
迅が聞く。
「捨てません」
七瀬が答える。
「本物としても使わない。偽物の棚を作らない。《真正性不足》のまま、足りない理由を付けて返す」
「あとで本物になる?」
「新しい保管鎖や照合が出れば、再審査はできる」
「いつ」
「決めない」
「期限なし?」
「保管期限は所有者と決める。審査の予定を、未来の約束にしない」
薄墨が紙板を出す。
《一点、私が作った可能性》
七瀬が見る。
「どれ」
薄墨は番号を示す。
真正性不足四番。
《灯里の旧素材を複製した時、傷のある空媒体へ移した。内容は見覚えがあるが、同じ版か不明》
「いま言う?」
《いま思い出した》
「便利」
《不便。私に不利》
「不利なら信用できる、って言わせたい?」
《違う》
「いつ作った」
《十五年前。月不明》
「誰の指示」
《灯里か、自分。覚えていない》
「分からないを残す?」
《残す》
七瀬は、薄墨の紙板を真正性不足四番の返却票へ添付する。
「これで本物にならない」
《はい》
「偽物にもならない」
《はい》
「腹立つ」
《同意》
午後三時十一分。
保管計画の試験が始まった。
公開証拠の写しを、五つの経路へ同時に運ばない。
一斉に動かせば、また一つの時刻へ集中する。
十五分ずつずらす。
第一便、公文庫。
第二便、平文室。
第三便、市民記憶庫。
第四便、病院耐火庫の受領確認待ち。
第五便、剛嶺側の受領確認待ち。
受領確認が来ない便は出さない。
タマキは、城内の配達台で封筒を分けていた。
《封緘便》は使わない。
道は、地図と警備確認で分かる。
受取先も、通常の返事を待てる。
左耳の圧外傷後の平衡障害は、長い回廊で強くなる。
彼女は机の角へ指を置き、床が傾いていないことを確かめる。
「能力を使えば早い?」
迅が聞く。
「使える条件の便はある」
「使わない?」
「急いでない」
「襲撃された」
「だから急ぐ、は、襲撃した人が時刻を決めることになる」
「名言?」
「料金表の考え方」
「配達員は、長い説明を」
「それ、何人から盗む気?」
「記録に所有権はない」
「料金はある」
「いくら」
「いまの会話、二文で一食」
「高い」
「払わなくてもいい。受取拒否」
タマキは、最初の便を普通の紐で結ぶ。
送り主。
受取人。
目的。
返送条件。
料金。
能力を持つ前から書いていた五つ。
第一便の運搬者は、空白の旗ではない公文庫職員二人。
警備は城外監査台が付ける。
迅は同行しない。
「守らなくていいの?」
タマキが聞く。
「守りたい」
「なら」
「担当じゃない」
「前にも言った?」
「今日、二回目」
「一回目が本当だったと」
「それ、綺理の台詞」
「記録に」
「所有権はない」
二人は同時に言った。