第578話 第十一章「保存」後編
タマキが笑う。
笑った後、視界が少し揺れ、机へ手をつく。
「座る?」
「提案?」
「提案」
「受領。五分」
彼女は座った。
便は、彼女が休んでいる間も、別の運搬者によって出ていく。
能力者が止まっても、配達が止まらない。
午後四時四十七分。
病院から受領返事が来た。
《耐火庫は使用可。ただし患者記録と同一担当にしない》
《保管期間十四日》
《延長は自動更新しない》
《閲覧対応は病院業務ではない》
《搬入時に感染区域を通らない》
ミソラの署名ではない。
病院施設担当、患者代表、夜勤清掃担当の三名。
小麦から、別紙が付いていた。
《運搬者の食事は病院厨房へ請求しない。城側負担》
迅が読む。
「そこまで?」
「食べた人は、証拠にならないからね」
小麦は城へ来ていない。
厨房からの音声だけだ。
「食事代を記録しないと、善意を誰かの労働へ移す」
「分かった。城側警備費から」
「警備費に食費欄ある?」
「ない」
「作る?」
「今日、作ると間に合わない」
「じゃあ暫定食費。期限、返金窓口」
「細かい」
「空腹は、細かくないよ」
真琴が、暫定食費欄を追加した。
証拠を守る話は、いつも鍵と壁で始まり、最後は賃金と食事へ降りてくる。
降りてこない正義は、だいたい誰かの肩に乗っている。
午後六時二分。
剛嶺側から受領返事。
《紙写しのみ受領》
《磁気媒体は設備不足で拒否》
《保管責任者二名。期限十日》
《天環側の要約を正式文としない》
由良の署名は、連絡確認欄にだけある。
受領決定者ではない。
「断られた半分は」
真琴が聞く。
「別の保管先を探す」
綺理が答える。
「中央城へ残す?」
「期限三日。受領先が決まらなければ、取得主体へ返す」
「安全が」
「不十分なら、その不十分も返却票へ」
「返せば責任を果たしたことになる?」
「なりません」
「では」
「返した後に壊れれば、返却判断をした人の責任も残る。持ち続けて壊れれば、持った人の責任が残る。どちらも消えません」
真琴は、返却判断者欄へ自分の名を書いた。
「あなた一人ではありません」
綺理が言う。
「審理官、保管者、取得主体、所有者の四者」
「私も提案した」
「提案者欄へ」
「責任を薄める?」
「分けます。相殺しません」
朝が、少し離れた椅子から言う。
「その言い方、何度目でしょう」
「必要なだけ」
真琴が答える。
「同じ説明の反復は避けるんじゃなかった?」
「忘れやすいことは、反復します」
「都合がいい」
「法は、都合の悪い反復を手続きと呼びます」
午後七時十八分。
冬城の医療報告が届いた。
不整脈は薬剤で一時安定。
腎機能障害は急性増悪。
意識清明。
審理への遠隔参加を本人が希望。
医療側は、当日再参加を認めない。
翌日、二十分単位、着席、能力使用禁止、体調悪化時即時中断の条件を提示。
冬城は、その条件をまだ受領していない。
「拒否するかな」
迅が言う。
「予想を記録へ入れません」
七瀬が答える。
「撮ってないのに、記録係」
「撮らなくても、時刻はある」
「肩」
「六」
「医療へ」
「さっき行った」
「いま行かなくていい理由に」
「綺理の言い方を盗むな」
「記録に所有権は」
「ある。いまだけ私が決めた」
七瀬は、右手で支持帯を締め直した。
「固定撮影は、明日も代行。私は照合席」
「戻らない?」
「戻りたい」
「でも」
「戻らない」
「担当が違うから?」
「身体が違うから」
迅は、その答えへ名言を付けなかった。
夜九時。
五つの保管経路のうち、三つが完了した。
病院便は出発。
剛嶺便は紙写しのみ出発。
中央城には、原本返却待ち、限定閲覧、真正性不足、不提出が残る。
法廷の正面壁から、《最終決裁》の凍結表示が外された。
消去ではない。
紙へ転写され、能力発動前、第一表示、第二表示、第三表示、中断時表示の五枚に分けて保管される。
一つの最終決裁が、五つの途中経過になる。
薄墨が、転写紙を見て紙板へ書く。
《編集素材としては多い》
七瀬が答える。
「編集しない」
《並べるだけで編集》
「じゃあ、並べた人の名を出す」
《私も?》
「手伝うなら」
薄墨は少し考える。
《機械巻取りだけ》
「画角は決めない」
《はい》
「開始と停止は代行記録係」
《はい》
「母の映像へ触らない」
《はい》
「逃げない?」
薄墨は、そこで長く止まった。
《分からない》
「正式回答?」
《正式》
七瀬は、薄墨へ巻取り機の右側を任せた。
許したのではない。
信用したのでもない。
耳の聞こえにくい男が、一定速度で紙を巻く技能を持っている。
七瀬の左肩は、その作業を続けられない。
それだけの理由で、同じ机に立つ。
仕事は、和解より先に人を隣へ置くことがある。
隣へ置いたからといって、過去が近くなるわけではない。
午後十時十一分。
不提出十七点の最終確認。
一から十。
十二から十七。
十一は、灰色箱の中で、綺理にも読めない。
数は、十七。
綺理は、穴あき札を並べた。
十一番の札だけ、外側に白い線が一本増えている。
《提出命令あり》
《拒否継続》
《預かり物使用一回》
《内容閲覧なし》
《返却時解除》
「この一枚だけ、目立つ」
七瀬が言う。
「目立つことと、中身を示すことは違います」
「みんな、推測する」
「します」
「止められない」
「止められません」
「守れた?」
綺理は、灰色箱を見ない。
「返すまで、答えません」
法廷の照明が一列ずつ消える。
空いた証人席は、そのまま残される。
明日も誰かが座るかもしれない。
誰も座らないかもしれない。
証拠は、五つの方向へ分かれた。
不提出は、見せないまま残った。
そして城の中には、何も決めないために守られた一箱が、確かな重さで置かれていた。