第583話 第二章「中央塔の招集」前編

七月二日 午前八時九分

 中央塔の招集状には、椅子の絵が九脚描かれていた。

 九地域。

 九代表。

 九つの署名。

 中央の一脚だけが、ほかより半分ほど大きい。

「露骨ですね」

 朽葉真琴は、招集状を光へ透かした。

「大きい椅子へ誰が座るか、先に決めてある」

 七瀬が言う。

「決めてはいません。座らせたいだけです」

「違う?」

「決定は責任を伴います。誘導は、責任を美術担当へ逃がせます」

「椅子を描いた人が悪い?」

「描けと注文した人、承認した人、印刷した人、配った人。それぞれです」

 迅が招集状を逆さに持った。

「逆さでも中央が大きい」

「画期的な発見ですね」

「褒めるなよ。馬鹿にされてる感じが薄まる」

 真琴は招集状を取り返し、裏面へ指を滑らせた。

 紙は二層だった。

 表は普通の白紙。

 裏へ薄い透明膜が圧着されている。

 その膜に、肉眼では見えにくい灰色の文字が印刷されていた。

 前夜、真琴が言ったとおりだった。

 中央は、紙の裏に国を作る。

《本招集への出席は、招集期間中に限り、出席者が当該地域の連絡、配給、境界、医療補助の代表権を保有することへの同意を含む》

《複数出席者がある場合、中央継続席が代表順位を決定する》

《出席者が決裁不能となった場合、中央継続席は安全上必要な代替判断を行う》

「出席したら代表になる」

 七瀬が言った。

「地域から委任されていなくても?」

「この紙では」

「帰ったら?」

「招集期間が終わるまで続きます。期間の終了条件は、統一決裁の成立または中央継続局の終了宣言」

「自動更新はない?」

「終了宣言が出なければ、期間が終わりません」

「それ、自動更新より悪いな」

 迅が言った。

「自動更新は止め方が書けます。終わらない期間は、止め方を考えること自体が違反になります」

 旧配給所の文書室には、朝から扇風機が二台回っていた。

 真琴は一台を止めた。

「暑い」

 迅が言う。

「透明膜が浮きます」

「風に弱い国だな」

「たいていの国は、紙の端から剥がれます」

 真琴は左手で膜の角を持ち上げ、右手で時刻を記した。

 七瀬の撮影機は固定台の上。

 映しているのは顔ではなく、紙の二層と指先だった。

「開始八時十三分。招集状裏面。受領時には不可視。熱と斜光で確認」

「不可視という表現は正確ではありません」

「見ようと思えば見える?」

「強い斜光、四十五度以下。膜を剥がさず読むには、紙面から十九センチ以内」

「つまり、読ませる気はない」

「意図は断定しません。読めるようには作っていない」

 七瀬が撮影台を一センチ下げた。

「同じことを、違う言葉で言うの好きだね」

「同じではありません。相手の心は証拠になりにくい。作った結果は測れます」

「読者は心を知りたがる」

「文書は、読者へ責任を取らせません」

「映像も取らせない。だから、作った人が取る」

 二人の声が尖り始めたところで、轟が透明膜へ金属定規を置いた。

「熱で縮んでる」

「どの程度です」

「端が〇・八ミリ。剥がすなら今。午後は切れる」

 真琴は口を閉じた。

 正しさの順番より、材料の時間が先に来ることがある。

「剥離します。七瀬、全工程を固定。轟、紙へ荷重を掛けない方法を」

「四隅に重し。中央は触るな」

「迅」

「何」

「扇風機を止めたまま、文句を言わないでください」

「一番難しい役だな」

 透明膜を剥がす間に、玉樹が外から戻った。

 手には、同じ招集状が七通。

「北、南、市場、病院、剛嶺、水上、記憶庫。全部同じ」

「誰が受け取った」

「それぞれ違う。受領した人と、代表として同意した人を同じ欄にされてたから、みんな書き直してる」

「澪は?」

「『来ない』って」

「早いですね」

「笛より早かった」

「小麦は」

「『厨房を止めて会議へ来いという人へ、空の鍋を送る』って」

 迅が笑った。

「送った?」

「送料を払う人がいないから、送ってない」

「現実的だな」

「巴は、読んでから返事。カナタは放送所の契約確認。由良は委任がないから返答不能。紬は水位が下がってるから来ない。ミソラは患者の確認が先。イオは手動系の勤務表を見てる。綺理は、招集状を記憶資料として受け取るか審査中。朝は中継室の内部資料を確認するって」

「全員、来ない」

 七瀬が言った。

 その声に、わずかな空白があった。

 安堵ではない。

 失望でもない。

 最終局面に、全員が同じ場所へ集まる映像を、七瀬は一度だけ想像していた。

 想像したことを、まだ誰にも言っていない。

 真琴には分かった。

「残念ですか」

「何が」

「九つの画面を一つへ並べられない」

「並べられる。来なくても映像は届く」

「同時刻、同じ構図、同じ終わり方で?」

「……それをやると、中央と同じだって言いたい?」

「私はまだ言っていません」

「眼鏡が言ってる」

「眼鏡へ人格を与えないでください。責任者名が曖昧になります」

 七瀬は黙った。

 真琴は言葉を足さなかった。

 言い過ぎた時、謝罪を長くすると、相手へ許す仕事を増やす。

「今のは余計でした」

「短いね」

「謝罪案を三つ考えました」

「一番短いのにした?」

「はい」

「じゃあ保留」

「受領は」

「した」

 真琴は小さくうなずいた。

 午前九時二十一分。

 中央塔から、二度目の通信が入った。

 今回は映像があった。

 白い病室。

 背の高い椅子。

 黒い上着。

 右肩に銀色の固定具。

 冬城征士郎は、病院から中継されていた。

 顔色は青白い。

 顎の下に透析用の一時カテーテル痕を覆う薄い布。

 胸元には心電図の導線。

 それでも声は、書類の角と同じように整っていた。

「おはようございます」

 誰も返さなかった。

 冬城は待った。

 七秒ではない。

 九秒。

「返礼を求める通信ではありません。開始確認です」

「開始に同意していません」

 真琴が言った。

「では、受信確認だけをお願いします」

「受信しています」

「ありがとうございます」

 冬城の後ろには、医療担当者が二人いる。顔は映っていない。手元だけが時折入り、心拍と血圧を確認する。

「招集状の裏面を読みました」

 真琴は透明膜を画面へ向けた。

「よく見つけました」

「褒められると、隠したことが確定するように聞こえます」

「隠してはいません。標準文書の補足層です」

「十九センチ以内、斜光四十五度以下、熱剥離が必要な補足です」

「読解能力のある実務者が確認する設計です」

「読解能力のない当事者には効かない?」

「効力は同じです」

「そこが問題です」

 冬城は、わずかに目を細めた。

「朽葉さん。あなたは、すべての人が同じ速度で規則を読める街を作れますか」

「作れません」

「では、誰かが読んで支える必要がある」

「支える人が代表権まで取る必要はありません」

「危機では、説明と決定を分ける時間がない」

「その言葉で二年分の拘束が作られました」

「その二年で、止まらなかった設備もあります」

 真琴は反論しなかった。

 止まらなかった設備がある。

 救われた人がいる。

 それは既に審理で認定された。

 事実を敵に渡すと負ける、という考え方が、最も早く法を腐らせる。

「招集の目的を、あなたの言葉で説明してください」

 真琴が言った。

「中央決裁の継続です」

「継続する機能は」

「地域間の連絡、配給照合、境界認証、医療補助、反証登録」

「継続しない機能は」

「現段階では定めていません」

「誰が定める」

「招集された代表者です」

「代表者が来なければ」

「中央継続席が安全上の代替判断を行います」

「あなたが座る?」

 七瀬が聞いた。

 冬城は七瀬を見た。

「私の決裁権は一部停止されています」

「一部」

「技術的説明と異議提出は認められている」

「椅子へ座らないとは言ってない」

「医療上、長時間座位は制限されています」

「そういう意味じゃない」

「意味を限定してください」

 七瀬の口元が固くなる。

 真琴が先に言った。

「中央継続席の判断者として、冬城征士郎本人が予定されていますか」

「予定ではありません」

「候補ですか」

「技術責任者として招集されています」

「決裁環の操作権限は」

「監督下で限定的に認められる可能性があります」

「誰の監督」

「中央継続局」

「人名を」

「招集成立後に公開されます」

「成立させるために、公開前の人へ権限を渡せと」

「公開順序の問題です」

「順序は権力です」

 冬城は否定しなかった。

「だから、順序を中央で管理する」

 その一言で、室内の空気が変わった。

 冬城は悪意を隠していない。

 善意を語ってもいない。

 遅れた判断で人が死ぬことを知っている。

 だから、順序を持つ者が必要だと信じている。

 信念は、狂気より壊しにくい。

 狂気は現実から離れる。

 信念は現実の一部だけを握り、ほかを現実ではないことにする。

「各地域が同じ回答を出さなければ、決裁は成立しない?」

 真琴が聞いた。

「一定の不一致は調整されます」

「調整とは」

「共通目的に沿って、選択肢を整理する」

「何択へ」

「最終的には二択です」

「なぜ二つ」

「決定とは、進むか止まるかだからです」

 轟が鼻から息を吐いた。

「橋には、横へ逃がす荷重がある」

 冬城が轟を見る。

「構造物と社会は同じではありません」

「社会の建物で人を潰してきたやつが言うな」

「だからこそ、荷重を測っています」

「人間をキロで測るな」

「あなたは測る」

「梁を測る。人がどこへ立つかは本人に聞く」

 冬城の視線が、ほんの少し下がった。

 心電図の警告音が一度鳴る。

 医療担当者の手が入り、冬城の右手首へ触れた。

「本日の中継は十分です」

 冬城が言った。

「招集への回答を、正午までに」

「一つの回答は出しません」

 真琴が答えた。

「その場合、未回答として処理されます」

「処理の誤りとして記録します」

 通信が切れた。

 黒い画面に、九脚の椅子が残った。

 真琴は招集状を五つに分けた。

 本人確認。

 拒否窓口。

 期限。

 異議受領。

 再交渉日。

 まだ協定ではない。

 質問の見出しだった。

「これだけ共通にする?」

 玉樹が言う。

「共通にできるか、各地へ聞きます」

「答えが違ったら」

「違うまま残します」

「中央は二択にする」

「だから、二択へ入れる前の原文を別に持つ」

 七瀬が固定台を押した。

「映像も別に?」

「あなたが一つへ編集しなければ」

「またそれ」

「今度は余計ではありません」

「分かってる」

 七瀬は苛立っていた。

 苛立つ相手が間違っていない時ほど、人は相手の声量を問題にしたくなる。

「私は、一つの完成映像を作りたいんじゃない」

「では何を」

「誰がどこにいたか、見失いたくない」

「同じ画面へ置く必要は」

「ない。頭では分かってる」

「肩では?」

「肩は関係ない」

「機材の委任に関係します」

「そうやって身体を論点に入れれば勝てると思わないで」

「勝ちたいのではありません」

「その言い方が一番勝ってる」

 沈黙。

 迅が机の下から、真琴の予備眼鏡を一つ出した。

「これ、何でここにある」

「そこへ隠しました」

「喧嘩の止め方が分からないから、話題変えた?」

「そう」

 迅は正直だった。

 七瀬が息を吐いた。

「じゃあ、話題変える。誰が中央へ行く」

「限定権限で四人」

 真琴は白紙を出した。

「迅。中央塔の物理的な経路確保と、暴力の停止。設備停止の決定権なし」

「狭いな」

「拳へ行政権を付けたくありません」

「俺もいらない」

「凱。中央側の提案を聴取し、過去の決裁構造を説明する。地域代表権なし。王位復帰への同意権は本人分のみ」

「本人分の王位復帰って何だ」

「自分が王になりたいかどうかだけです。他人が従うかは別」

「なら、拒否する」

「事前回答は書きません。現地で再確認します」

「面倒だな」

「責任は――」

「その名言、もう聞いた」

「七瀬。中央塔内の公開記録。非公開指定、医療情報、所有者拒否は撮影しない。全地域を代表する最終映像の作成権なし」

 七瀬は真琴を見た。

「そこまで書く?」

「あなたが自分で書くべきです」

 七瀬は左手で紙を押さえ、右手で追記した。

《私は全地域を代表する完成映像を作らない。撮影できなかった範囲を失敗として隠さない》

「これで」

「はい」

「真琴は」

「招集条項の確認、異議の提出、限定権限の保全。最終協定の単独作成権なし。署名は自分の確認範囲のみ」

「自分で自分を縛るの、好きだな」

 迅が言った。

「他人に縛られるより、条文が読めます」

「その条文、自分で書くんだろ」

「だから、七瀬に撮らせます」

「信用してる?」

「監査しています」

「似てるな」

「違います」

「同時に言った」

 七瀬と真琴が、同時に迅を睨んだ。

 正午までに、四枚の限定出席票が完成した。

 残る五脚分の出席票は、白紙のまま中央へ返送した。

 白紙は委任ではない。

 玉樹が封筒の表へ、太い字で書いた。

《来ない。答えは各地から返す》

 中央の自動受付機は、四枚の出席票を読み取った。

《代表数不足》

 赤い警告。

 続いて、白紙の五枚を吸い込もうとした。

「待って」

 玉樹が手を伸ばす。

 受付機のローラーが、白紙の角を噛んだ。

 轟が機械本体を押さえた。

 左肩は使わない。

 右手と腰と床の摩擦で、箱が動くのを止める。

 迅がローラーの隙間へ薄い金属札を差し込んだ。

「壊すな」

 真琴が言う。

「壊してない」

「音がしています」

「機械が怒ってる」

「感情を与えないでください」

 玉樹は白紙を引かなかった。

 引けば破れる。

「送り主は?」

 受付機へ聞く。

 機械は答えない。

「受取人は?」

 赤灯が点滅する。

「目的は?」

《代表数不足》

「それ、目的じゃない」

 玉樹は機械の側面へある手動解除穴を探した。床が少し揺れて見える。右へ傾いた錯覚。彼女は目を閉じず、轟の靴底を水平の基準にした。

「七センチ下」

 轟が言う。

「見えてる」

「指が上だ」

「見えてるのと、身体がそこへ行くのは別」

 玉樹は手を止めた。

「案内して」

「二センチ右。三センチ下」

 指先が解除穴へ入る。

 押す。

 ローラーが止まった。

 白紙は、角に薄い歯形だけを残して戻った。

「受け取らないって、機械にも難しいね」

 玉樹が言った。

「人間にも難しい」

 凱が答えた。

「だから、窓口がいる」

 中央受付機へ返された五枚の白紙には、同じ言葉は書かなかった。

 澪の紙には、《北部路を離れない》

 小麦の紙には、《鍋を空にしてまで出席しない》

 由良の紙には、《委任がない》

 ミソラの紙には、《患者確認が終わらない》

 紬の紙には、《水位は会議を待たない》

 同じ不参加でも、理由は違った。

 白紙を返す作業が終わった直後、受付機の画面へ新しい表示が出た。

《不足代表数 五》

《中央継続席による代行補完を開始》

 九脚のうち、空いていた五脚から細い線が伸び、中央の大きな椅子へ集まった。

「来ない理由を返したのに」

 七瀬が言った。

「受付機は、理由を人数として読めません」

 真琴は画面を撮らせた。

《代行補完まで六十秒》

「止める?」

 迅が受付機の側面へ回る。

「壊さないで」

「言われる前に手を出してない」

「手を出す顔です」

「今日は顔がよく喋るな」

 玉樹は返された五枚の紙を、もう一度並べた。

「機械へ、来ない人の椅子が空席じゃないって届ければいい?」

「意味としては」

「送り主は各地。受取人は中央受付。目的は、不在理由の受領」

「でも、機械の欄がありません」

「欄がないなら、箱を変える」

 受付機の下には、紙くず回収箱がある。

 玉樹はそれを引き出した。

「ここ、受け取る?」

《廃棄物回収》

「受け取る。目的が違う」

「紙を捨てる気ですか」

 真琴の声が一段低くなる。

「捨てない。回収箱を外して、五枚の保管箱にする」

「設備の用途変更」

「誰の許可」

 玉樹は受付機の保守札を見た。

 担当者名がある。

 中央受付保守、佐田。

「人の名前、あった」

 呼出し。

 三十秒後、疲れた声の男が出た。

《何です》