第597話 第九章「決裁中継室」前編
七月六日 午前七時五十六分
御厨朝は、階段を上がらなかった。
決裁中継室は地下二階。
入口は地上三階。
その間を結ぶ昇降機は、中央認証を受けた職員だけが動かせる。
朝の認証は停止されている。
「三階から地下二階。下りなのに、上がれないと入れない」
水科イオが言った。
「中央の建物は、入口へ階級を付けるのが好きです」
朝は黒い杖を右へ置いた。
右脚の短下肢装具が、金属床へ硬い音を返す。
「別の入口」
伏見轟が壁を見上げた。
給気管。
保守梯子。
廃止された書類搬送路。
「書類路。幅八十。傾斜十三度。床荷重、一平方メートル百二十キロ」
「私は六十三」
朝が言う。
「杖と装具、五。荷物」
「記録箱八。異議箱十二」
「合計八十八。俺が一緒に乗ると超える」
「私一人で」
「傾斜を下れる?」
「下れます」
「止まれる?」
朝は答えなかった。
両側腓骨神経障害。
右足背屈の低下。
急な傾斜では、つま先が床へ引っ掛かる。
「止まる方が難しいです」
「じゃあ、制動索」
轟は書類搬送路の上端へ滑車を付けた。
左肩を頭上へ上げない。
台へ乗らず、長い柄で金具を掛ける。
イオが固定ボルトを締める。
右腕に能力の光はない。
終業刻を失ってから、彼女の手は普通の速度で動く。
普通の速度は、遅くはない。
能力時代の自分と比べなければ。
「締付け三十二」
「規格は三十」
轟が言う。
「古い金具」
「二多いと割れる」
「じゃあ二十九」
「緩む」
「三十」
「最初からそれ」
「確認した」
イオはレンチを止めた。
朝は書類搬送路へ座った。
脚を前へ伸ばす。
杖は胸へ抱える。
「子どもの滑り台みたい」
環玉樹が言った。
「子どもへ責任を負わせる滑り台はありません」
「落ちたら、下で受け取る」
「受取先は」
「イオ」
「私は下へ先に行く」
「目的は」
「決裁中継室へ入る」
「途中撤回」
「したら、索を止めて」
「分かった」
玉樹は能力を使わない。
これは配達ではない。
受取先へ物を運ぶ仕事でもない。
朝本人の移動だ。
轟が制動索を緩める。
朝の身体が、傾斜を滑る。
右足が壁へ当たりそうになる。
「右、三センチ」
玉樹が声を掛ける。
朝は杖の石突きを左壁へ押し、身体をずらす。
「速度、毎秒四十」
轟が上から言う。
「単位」
「センチ」
「先に言ってください」
「今、言った」
地下二階。
イオが制動索を受ける。
朝は自分の足で立とうとしなかった。
まず壁へ背を付ける。
杖を立てる。
左脚へ体重。
右脚の装具を確認。
それから立つ。
「入室時刻、八時十二分」
朝が記録した。
「昇降機を使えなかった理由も」
「権限停止」
「代替経路」
「書類搬送路」
「介助」
「轟、イオ、玉樹」
「私、運んでない」
玉樹が言った。
「姿勢案内」
「それなら」
決裁中継室の扉には、三つの鍵がある。
中央職員鍵。
技術鍵。
異議申立人鍵。
朝は、異議申立人鍵を持っている。
技術鍵はイオ。
中央職員鍵は、室内の作業員が開けた。
扉の向こうに、四十二人いた。
操作員。
保守員。
記録係。
清掃員。
警備員。
全員が冬城の支持者ではない。
全員が朝たちを歓迎しているわけでもない。
中継室が止まれば、仕事を失う。
「作業停止命令は受けていません」
責任者が言った。
「全面停止しに来たのではありません」
朝が答える。
「中央決裁を止めるのでしょう」
「異なる回答を一つの賛否へ変換する機能を、地域受領が揃った範囲から遮断します」
「同じです」
「給水照会、病院部品認証、境界記録は残す」
「決裁変換と同じ母線です」
「分ける」
「設備を知らない」
「だから、あなたたちが必要です」
責任者は笑わなかった。
「止める側は、いつも『あなたたちが必要』と言う。止めた後、必要だった人から解雇する」
イオが前へ出た。
「賃金表を見せて」
「何のために」
「停止後の手動系へ必要人数を移す。今の賃金を下げない条件を作る」
「あなたに権限は」
「ない」
「では約束できない」
「できない。だから、約束する人の名前を出させる」
「出なかったら」
「止める仕事を無給でやらない」
責任者の目が、少し動いた。
イオは続けた。
「能力者を番号にして働かせた施設で、停止作業だけ善意にされた。元能力者の手動系も、訓練の名で安く使われてる。今回も同じなら、私は止めない」
朝がイオを見る。
「止めない?」
「賃金責任者が出るまで、作業開始しない」
「期限は」
「午前九時」
「三十分」
「少ない?」
「少ない。だが、あなたが決めた」
「異議は」
「出す。開始を止めない」
朝は記録した。
自分の作戦へ、イオが条件を付けた。
作戦参加者の一体感を壊す条件ではない。
一体感を前提にしない作戦だから、入れられる。
中継室の中央には、直径十二メートルの円形盤がある。
九地域からの回答が、外周へ入る。
文字、音、電気信号、振動、穴の形。
それらを中央の変換器が読み取り、内周の二灯へまとめる。
《継続》
《停止》
保留も、拒否も、条件付きも、回答不能も、最後はどちらかへ入る。
「今の分類」
朝が聞く。
記録係が一覧を出した。
北部路――継続。
厨房――継続。
平文室――停止。
放送所――停止。
病院――未回答を停止へ暫定分類。
記憶庫――停止。
剛嶺――未回答を停止へ暫定分類。
水上――停止。
中央塔――継続。
「北部は何を継続」
「中央互換を一部使用しているため」
「厨房は」
「中央塔へ食事を送ったため」
「第七厨房は拒否」
「地域全体の多数行動で分類」
「病院は九回答、七未確認だった」
「一つの代表回答がないため、未回答」
「剛嶺は通行最低条件へ同意、統一本文は分散」
「代表回答なし」
朝は円形盤を杖で指した。
「この装置は、答えを集めていない」
「決裁可能な形式へ整えています」
「答えを減らしている」
「減らさなければ決められない」
責任者が言った。
「決めなければ、今日の給水量も明日の配給も出ません」
「地域では出ている」
「地域同士が衝突したら」
「再交渉」
「間に合わなければ」
「被害が出る」
「中央なら減らせる」
「中央の被害も出た」
「だから改善する。壊すのではなく」
責任者の言葉には合理性がある。
中央の遅れで死んだ人。
地域の遅れで死ぬかもしれない人。
どちらか一方だけを数えれば、答えは簡単になる。
「改善案を出してください」
朝が言った。
「中央を残す」
「範囲」
「地域間衝突の最終判断」
「期限」
「恒久」
「異議窓口」
「中央審理」
「再交渉日」
「必要時」
「それを改善とは受け取れない」
「なら、あなたたちの案は」
「本人確認、拒否窓口、期限、異議受領、再交渉日。地域本文は別」
「誰が違反を止める」
「まだ決まっていない」
「未完成だ」
「はい」
朝は認めた。
「未完成の仕組みで、完成して動いている中央を止める?」
「完成していません。止め方がない」
「止め方がある設備は、危機に弱い」
「止められない設備は、人を危機にする」
責任者は黙った。
午前八時四十四分。
賃金責任者の名が届いた。
中央継続局の会計担当。
手動系へ移る四十二人の現行賃金を、七月十三日まで保証。
その後は再契約。
「七日だけ」
作業員が言った。
「七日でも、無給よりは」
別の人が言う。
「七日後に切られる」
「再契約へ名前を出す」
イオが言った。
「誰の」
「私と、会計担当と、各作業員。空白の旗の名前は使わない」
「保証できる?」
「できない。保証できないと書く」
「それで契約?」
「嘘の保証より、交渉開始日がある方がまし」
四十二人のうち、三十一人が作業参加。
六人は保留。
五人は拒否。
拒否した五人を、中央支持者として扱わない。
仕事を失う危険を受け入れられなかった人もいる。
「拒否者の通行」
朝が聞く。
「退出自由」
責任者が答えた。
「記録へ不利益は」
「ありません」
「今、口頭」
真琴の代理記録員が言う。
「書いて」
責任者は書いた。
午前九時〇八分。
部分遮断作業が始まった。
外周九系統。
各地域の入力を、二灯へ送る変換軸だけを外す。
連絡、医療、配給、境界の原信号は残す。
構造上、一本ずつしか外せない。
北部路。
受領確認あり。
遮断。
厨房。
十二厨房すべての受領が必要か。
第七厨房は中央塔支援を拒否している。
「拒否を受領した?」
朝が聞く。
「中央では未承認」
「地域記録は」
「あり」
「なら受領あり」
「中央が認めていない」
「認める必要はない。受け取った事実」
厨房変換軸を外す。
平文室。
受領確認あり。
遮断。
放送所。
退出四人の記録まで確認。
遮断。
病院。
十六人の条件が別。
「全域を同時には遮断できません」
技師が言う。
「分岐」
「この盤にはない」
「外で分岐している」
イオが図を出す。
「病院の地域手動盤。中央へ戻るのは部品照会四人分だけ」
「中央盤では、病院一系統です」
「なら外さない」
「変換が残る」
「患者条件が揃うまで」
「冬城の最終決裁へ病院票が使われます」
「使わせない別の方法」
朝は病院入力の前へ、物理的な異議板を置いた。
信号は入る。
変換器へは、《回答複数/統一不可》と表示される。
「規格外」
「規格外を未回答へしない」
剛嶺。
通行最低条件と統一本文の回答が別。
同じ異議板。
水上。
四本文。
異議板。
記憶庫。
所有者拒否を受領済み。
遮断。
中央塔。
まだ入場していない。
未確認。
「全面停止はできない」
朝が言った。
「権限がないから?」
責任者が聞く。
「受領がないから」
「その間に最終決裁が」
「起きる」
「なら、今止めるべきです」
「今止めれば、中央塔の医療系と反証返却手順も切れる」
「冬城を守る?」
「患者として守る。決裁者として止める」
「同じ人です」
「だから難しい」
午前十時二十六分。
決裁盤の上で、中央の自動復帰が始まった。
外した変換軸が、内側から押し戻される。
「復帰モーター!」
技師が叫ぶ。
円形盤が回転する。
外周へ立つ作業員の足元が動く。
床そのものが、中央へ向かって回る。
人を決裁中心へ集める構造。
「外周へ!」
朝が言う。
作業員が走る。
一人が転ぶ。
右袖が歯車覆いへ挟まる。
轟が境界線を二本引く余地はない。
一人門を使えば、中央盤を一人の敵として受けられる。
しかし、盤の内側には作業員がいる。
能力で敵を一つにすれば、内側の人まで盤側へ含まれる危険がある。
「使わない」
轟は自分へ言った。
右手で転んだ作業員の帯を掴む。
左肩へ荷重を入れない。
腰を落とす。
「袖を切る!」
イオが作業員へ確認する。
「切って!」
鋏。
袖だけを切る。
轟が引く。
身体が歯車から離れる。
円形盤は回り続ける。
「何キロ」
轟が技師へ聞く。
「回転盤、百八十トン!」
「止める荷重じゃない。偏らせる」
「どこへ」
「外した軸の空所へ」
轟は外周に置かれた保守用の鉄塊を見た。
一個四十キロ。
十二個。
「三つずつ、四か所!」
「床が動く!」
「転がせ! 持つな!」
作業員が鉄塊を倒す。
円柱形の鉄塊が、回転と逆方向へ転がる。
空所へ三つ。
二か所。
三か所。
四か所目が足りない。
鉄塊が二つしかない。
「あと四十」
イオが言う。
「人を重しにするな」
「工具箱」
工具箱二つ、十五キロ。
記録箱、八キロ。
異議受領箱、十二キロ。
合計三十五。
「五足りない」
朝が杖を見る。
「私の装具と杖」
「駄目」
轟が即答した。
「五キロです」
「その後、歩けない」
「座る」
「撤収できない」
「異議箱をもう一つ」
玉樹が言った。
「北部へ送る分」
「送る」
「今、重しにしたら」
「経路が開いたら外す」
予備の異議箱、六キロ。
四か所目へ入れる。
回転盤の重心が外へずれる。
速度が落ちる。
「復帰モーター、切断じゃない。手動離隔!」
イオが床下へ潜る。
能力はない。
時計を見ながら、普通の手でボルトを四本外す。
一分十七秒。
モーターが空転する。
盤が止まった。
作業員の負傷、一人。
袖の裂損。
右肘擦過傷。
骨折なし。
「異議箱を外す」
玉樹が言った。
「北部の受取確認は」
朝が聞く。
「通信断。走者はいる。でも、箱の目的を先に確認する」
異議受領箱。
木製。
投入口が三つ。
《異議》
《保留》
《回答しない》
送り主は、決裁中継室の作業員三十一人。
受取先は、北部帰路の受領台。
目的は、中央盤が再起動した時でも、北部の異議を別経路で受け取ること。
受取側の確認が必要。
北部路の通信は不安定だ。
玉樹は、南野へ短い音声を送った。
《異議箱一。北部受領台で受ける? 中身は中央で開けない。投入口三つ。目的、北部の異議を中央変換前に受領》
四十七秒後。
南野の声。
《受ける。受取人、南野と笛中心二名。設置は保留所横。期限、七月七日正午。箱はその後返却》
「送り主、受取先、目的、一致」
玉樹は防水札へ書いた。
封をする。
左耳の奥で、低い圧迫音が鳴る。
封緘便〈シールド・ルート〉。
誓痕が示すのは、現在通行できる一方向。
決裁中継室の北壁。
壁の向こうに、廃止された空調点検路がある。
直線ではない。
上へ十二メートル。
西へ四十。
地上へ出た後、普通の道路を北へ。
「道がある」
「箱を運ぶのは」
イオが聞く。
「私と走者」
「平衡」
「点検路は梯子?」
「最初だけ」
轟が図を確認する。
「梯子十四段。その後は傾斜。玉樹は箱を持たない」
「私の能力」
「道を見る仕事。六キロを持つ仕事は別」
「走者一人に持たせる?」
「交代」
玉樹は左耳を押さえなかった。
床がわずかに右へ傾いて見える。
「案内して」
イオが横へ立つ。
「一段目、二十センチ前」
「見えてる」
「身体が行くのは別」
「みんな同じこと言う」
「必要だから」
玉樹と走者は、異議箱を普通に運んだ。
瞬間移動はしない。
梯子で休む。
地上で運搬者を交代。
道路の検問で目的札を見せる。
中央の自動封鎖は、異議箱を《未分類物》として止めようとした。
玉樹は、封を切らなかった。
受取先へ連絡し、南野が検問まで迎えに来る。
受取側が自分の名で箱を受ける。
午後一時三十四分。
異議箱は北部路へ着いた。
能力の経路表示が消える。
玉樹の方向感覚は保たれた。
虚偽目的も、到達不能もなかった。
ただし、左耳の圧迫感は強い。
南野が言う。
「帰り道、分かる?」
玉樹は周囲を見た。
北が分からない。
能力は終わっている。
「教えて」
「受領台まで一緒に行く。帰りは休んでから」
「急ぐ」
「急げって言う命令、嫌い」
「自分で言った」
「自分の命令も嫌う」
決裁中継室では、朝が部分遮断の一覧を更新していた。
遮断済み、五。
異議板、三。
未確認、一。
全面停止はしていない。
中央塔の決裁入力だけが残る。
責任者が言った。
「一つ残せば、冬城は使います」
「分かっています」
「なら止めろ」
「中央塔の受領確認がない」
「あなたは、遅さを選んで人を危険にする」
「はい」
朝は逃げなかった。
「全面停止を選べば、病院の期限付き照会と反証返却手順を危険にします。どちらも危険です」
「だから中央が決める」
「中央が二つを一つへするから、今ここにいます」
責任者は円形盤を見る。
「中央がなくなった後、誰がこの部屋の責任者になる」
「一人にはしない」
「また分散」
「操作、保守、賃金、異議、医療連絡を分ける」
「遅くなる」
「なる」
「事故が増える」
「増えるかもしれない」
「それを選ぶ?」
「選ぶのではありません。増えた事故を、中央を戻す理由へ自動変換しない仕組みを作る」
「答えになってない」
「完成していないから」
朝は杖の先で、異議板を一枚ずつ確認した。
午後一時四十九分。
北部へ異議箱が届いたという確認と入れ違いに、中継室の天井灯が三回点滅した。
警報ではない。
警報の前に、警報が鳴るかを判断する予告灯。
「換気差圧、低下」
配線係が盤を見る。
「部分遮断で、中央排気と地域給気の回転がずれた」
「止めた系統は」
「決裁変換だけです」
イオが言う。
「設備図では」
「設備図では」
責任者が繰り返した。
「現物は、十年前に排気モーターを決裁盤の予備軸へ継いだ。予算が別だから図面へ反映されていない」
「誰の判断」
朝が聞く。
「当時の保守責任者」
「名前」
「退職済み」
「今、分かる人」
「私です」
配線係の女が手を挙げた。
四十二人のうち、作業参加へ署名した三十一人の一人。
「決裁盤を止めると、ここだけじゃなく、地下医務室と西側便所の排気が落ちる」
「代替」
「手動の補助扇。六台。必要八台」
「二台足りない」
「倉庫に古いのがある。軸受け交換が必要」
「時間」
「最短二時間」
「最終決裁の前に間に合わない」
「だから、決裁盤を少し回しておく」
責任者が言った。
「少し、が中央を残す理由になる」
イオは盤へ近づいた。
「排気だけ別の動力へ逃がす」
「できるなら十年前にやっている」
「十年前の予算は知らない。今ある部品を見せて」
配線係は動かなかった。
「七月十三日以後の契約は」
イオが振り返る。
「今、換気の話」
「契約が切れたら、誰が補助扇を保守する」
「それは後」
「後にしたから、予備軸へ継いだ人の名前が図面から消えた」
配線係の女は、胸元の中央職員証を握った。
「この証が切れたら、娘の薬も切れる」
部屋が静かになった。
「職員医療枠?」
朝が聞く。
「中央継続局の扶養登録。娘は月に一回、神経痛の薬を受けている。私が地域手動系へ移れば、職員区分が変わる」
「七日間の賃金保証に、医療は」
「書いてない」
イオは会計通知を見直した。
現行賃金。
夜勤手当。
危険手当。
扶養医療はない。
「止める作業へ参加したら、中央職員じゃなくなる?」
「明記されてない。明記されてない時は、後で切られる」
「経験?」
「三人切られた」
女は、補助扇の倉庫鍵を持っている。
その鍵を出さなければ、換気分離は遅れる。
出せば、中央を止める作業へ参加した記録が残る。
中継室の側から見れば、一人の協力。
女の家では、薬の受領資格を賭ける判断になる。
「娘さんの薬を、ここへ持ってくることは」
ミソラの病院回線へ照会する。
返事は早かった。
《同成分あり。ただし初回診察と薬歴限定照合が必要。本人同意。費用区分未決》
「無料?」
女が聞く。
イオは答えなかった。
「無料と約束できない」
朝が言った。
「中央なら無料です」
「中央職員である限り」
「だから残して」
その言葉は、冬城への支持ではない。
薬を受け取りたいという要求だった。
イオは工具箱へ座った。
「止める仕事、降りてもいい」
「換気は」
「別の人へ聞く。あなたの知識を無断で使わない」
「知ってるのは私だけ」
「なら、止める時刻を遅らせる」
責任者が言う。
「中央塔は待たない」
「娘も待たない」
イオの声が硬くなる。
「人の薬を、中央を残すか壊すかの投票にするな」
女がイオを見る。
「能力を失った人は、簡単に言う」
「簡単じゃない」
「あなたは中央職員じゃない」
「違う」
「娘もいない」
「いない」
「じゃあ、分からない」
「分からない。分からないまま、薬を人質にしない条件を探す」
「探してる間に、警報が鳴る」
予告灯が、四回目に点滅した。
差圧はさらに低下。
地下医務室から、臭気逆流の報告。
朝は会計担当へ直通を求めた。